※こちらの記事は、『婦人画報』2013年9月号より転載しています。

在位61年、87歳という、英国史上最長、最高齢の君主であるエリザベス女王。「次の英国王は誰か」ということに関心が高い英国民は、長い年月王位継承順位1位のチャールズ皇太子と息子のウィリアム王子を見つめてきました。めでたく、曾孫まで誕生した英国王室の「未来」について考えます。

マイ・ハズバンド アンドアイ 26

文=渡邉みどり

母の死で傷心のウィリアム王子とヘンリー王子

1997年9月、ウィリアム王子、ヘンリー王子の辛い夏休みは終わった。両親の離婚、父とカミラ夫人との不倫、そして母ダイアナ妃の交通事故死という壮絶な事実が、ふたりの王子をギリギリまで追い詰めた夏だった。 

9月5日、母ダイアナ妃の王室国民葬の前日、王子たちはセント・ジェームズ宮殿の王室チャペルで聖職者立会いのもと、母との無言の対面を果した。黒のドレスにマザーテレサのロザリオを手にした母ダイアナ妃の姿は、傷ついた王子たちの心をさらにえぐった。王子たちが立ち直れなくなってしまっても、おかしくない状況だった。 

それゆえ、英王室とメディアとの間では、ウィリアム王子と弟ヘンリー王子への取材は「自粛」という合意が成立していた。常にストレートで辛辣な英メディアであっても、幼い王子たちの心を慮った。

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Anwar Hussein//Getty Images
12歳のヘンリー王子を慮るような表情のウィリアム王子。

「運命の夏休み」を終え、15歳のウィリアム王子はイートン校に帰った。イートンの町の店という店のウィンドウには、在りし日のダイアナ妃の写真が飾られ、町全体が弔意を示しているようだった。英国屈指の私学の雄、イートン校では、生徒の家庭で問題が起きた場合、学校サイドが親身になって生徒をかばい、まるでファミリーのように保護をする。ウィリアム王子にとって学校はありがたい避難所となった。学校に戻った直後、もともと予定されていた集合写真の撮影には、王子は学校側の配慮で、参加していない。 

弟のヘンリー王子は母ダイアナ妃の急逝を知ったとき、13歳を迎える直前。ショックで学習困難症(ラーニング・ディスオーダー)になったが、投薬治療をしながら勉強し、兄を慕ってその2年後、やはりイートン校に進学している。

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Anwar Hussein//Getty Images
兄ウィリアム王子と同じイートン校に入学したヘンリー王子。

ウィリアム王子、イートン校での学校生活

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イギリスの名門、イートン校。13歳から18歳の少年が通う。

ウィリアム王子が全寮制の名門イートン校に入学したのは1995年9月、13歳だった。12段階ある試験で上位に入り、実力で入学した。 

イートン校は、女王が週末を過ごすウィンザー城からほど近く、テムズ川上流の小さな町にある。学舎は、中世の面影を残した神秘的な佇まいだ。15世紀から続くこの名門校からは、歴代首相20人が卒業し、芸術分野では『007』の作者、イアン・フレミングなども輩出している。この学校では勉強かスポーツで頭角を現さなくては友人や、教師から認めてもらえない。

寮の部屋は狭く、王子の部屋には特別にバスルームが付いていた。学校の方針は厳しく、現金と車の所持は禁止。制服は、テールコートに黒のベスト、白シャツという伝統的なスタイルだ。 

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ウィリアム王子の制服姿。テールコートが特徴的。

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寮のデスクでパソコンを使うウィリアム王子。

学校生活を送るなかで、ウィリアム王子は、両親のスキャンダラスな話題で友達から情け容赦なくからかわれることもあった。一言で言えば「いじめ」である。2年間も別居を続けていた両親の不仲を報じるメディアは、年頃の少年達には格好のネタとなった。チャペルの一角には小さな「告解室」があり、ウィリアム王子もおそらくあの告解室で聖職者に辛い胸のうちを吐き出したに違いない。

在校生の中には彼を守る友人や従兄弟のピーター(アン王女の長男)や、親族のニコラス・ナッチブル(マウントバッテン卿の孫)がいて、彼のために目を光らせていた。彼らはこう話す。

「ウィルはやられたら(いじめにあったら)黙ってはいません。例えば、学校での雪合戦のとき、雪玉を続けざまに投げられたウィルは、ぶつけてきた少年に仕返しして、雪玉を命中させ、男らしく対決したのです」 

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william
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クイーン・マザー100歳のお祝いで。ウィリアム王子とピーター・フィリップス。

王子が両親のスキャンダルをどんな思いで見ていたのか、これまで直接語られたことはない。しかし、ひとつの逸話が残っている。母ダイアナ妃を誹謗中傷する記事を読んだとき、ウィリアム王子は

「なぜ、この人たちはママにこんなことができるんだ。パパはどうしてママを守ろうとしないんだ」

と、父であるチャールズ皇太子に泣きながら迫ったのだという。両親が公の場で侮辱されていても、当然ながら少年は両親を愛していた。 

イートン校の演劇発表会で、ウィリアム王子が英雄「ナポレオン・ボナパルト」を演じたとき、両親が揃って晴れ舞台を観に来た。別居中にもかかわらず、父チャールズ皇太子と母ダイアナ妃が、ふたり揃って学校に来たことは、まだ10代のウィリアムにとっては無常の喜びだったに違いない。劇が終わると父はハイグローブに、母はケンジントン宮殿にそれぞれ帰った。

prince william's first day at eton
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1995年、英国屈指、全寮制の名門校「イートン校」に実力で入学した13歳のウィリアム王子。すでに別居していた両親、弟、寮長と。

次回は、祖母エリザベス女王から帝王学を学ぶウィリアム王子の様子をお届けします。

Profile

わたなべ・みどり●ジャーナリスト。文化学園大学客員教授。東京都出身。早稲田大学卒業後、日本テレビ放送網入社。1980年「三つ子15年の成長記録」で日本民間放送連盟テレビ社会部門最優秀賞。昭和天皇崩御報道の総責任者。1995年『愛新覚羅浩の生涯』で第15回日本文芸大賞。『英国王冠をかけた恋』、『美智子さま「すべては微笑みとともに」』など著書多数。


『婦人画報』2013年9月号より