❝全身映画作家❞ 映画監督・犬童一心による追悼・大林宣彦監督
大林監督がいなかったら、果たして私は映画を撮り始めていただろうか。[追悼・大林宣彦監督#2]
「大林監督がいなかったら、果たして映画を撮り始めていただろうか」。
映画監督・犬童一心さんにとって、それほどまでに大きな存在だった大林宣彦監督。自身のアマチュア時代の経験から、最後まで新しい才能の手助けを果たそうとしていたといいます。
大林監督の遺作で、犬童さんも出演した『海辺の映画館─キネマの玉手箱』に込められた思いも明かしてくださいました。
※犬童さんのポートレイトは大林映画『海辺の映画館─キネマの玉手箱』のワンシーンです。©2020「海辺の映画館-キネマの玉手箱」製作委員会/PSC
゛全身映画作家、大林宣彦 ” 文=犬童一心
高校2年になった春1978年4月、私は初めての自主映画を作り始めた。たとえ8ミリ映画でも人生をかけ本気で取り組む価値があると確信していた。すでに大林監督の『いつか見たドラキュラ』という自主映画の傑作を見ていたからだ。
大林監督は1957年、まだ皆が8ミリカメラを風景や家族や運動会に向けている頃、同じカメラですでに本気の映画作品を撮り始めていた。そして、それを劇場ではなく、新橋の画廊で上映する。そこを出発点に、日本のアマチュア作家、自主映画の世界は始まっていく。66年、自主映画の金字塔的作品『いつか見たドラキュラ』を発表、大きな話題となる。時代にキャッチされた大林監督はCMの世界に迎えられ巨匠となり、77年、8ミリ出身監督として初めて東宝撮影所でアイドル怪奇映画『ハウス』を監督する。当時の撮影所助監督会の大反発の中で、フリーのスタッフで撮りあげた名作だ。『ハウス』は大ヒット、そこから映画監督大林宣彦の快進撃が始まる。
新しい才能の手助けを最後まで果たそうとした人
79年、私の初の8ミリ作品はぴあフィルムフェスティバルに入選。その時の審査員には、大島渚監督、寺山修司監督とともに、当時スター監督となっていた大林監督も参加されていた。大林監督は亡くなる直前までそうだったのだが、時間がある限りあらゆる映像コンテストの審査委員を引き受け、突然若い自主映画の監督に作品を見て欲しいとDVDを渡されても、無い時間を押して作品を見て感想を伝えていた。私も、ぴあフィルムフェスティバルの入選後、大学に入って初めて撮った16ミリ作品を見てくださり、事務所で感想をいただいた。新しい才能がどこから生まれるかわからない、その手助けを最後まで果たそうとした人だった。そこには、自分が8ミリで映画を撮り始めた頃、そんなものはアマチュアのお遊びだとまともに見てもらえなかったことへの悔しい思いがあったと思う。
随分と経って、私もCMの世界を経て東宝撮影所で映画を撮るようになった。もう、その頃には8ミリ映画出身の監督ということにこだわる人はいなかった。私は(仲間たちも含めてだが)、大林監督の轍をたどり、開いてくれた門をくぐってここにいるのだと思う。感謝しかない。
「戦争」を「映画」で止めることができないか
亡くなる前の1年間、大林監督とプロデューサーである妻の恭子さんの映画作りを追ったWOWOWドキュメンタリー「成城物語」を撮影していた。大林夫婦は、1958年成城大学の先輩後輩として知り合い、それから62年間二人で映画を作り続けた。
恭子さんは、東京大空襲で家を焼かれていた。「その日が人生の記憶の始まり」だと言った。大林監督は、戦争当時軍国少年で、子供の頃描いていた絵は戦場の場面ばかりだった。「大人に裏切られた」そんな言葉を口にした。「戦争のせいでやりたいことができなくなった人たちのことがいつも頭にあって、自分は何をすればいいかを考えてきた」とも言っていた。
二人の思いは、「戦争」を「映画」で止めることができないかというものだった。若い映画作家たちに映画の力を信じて欲しい。そんな思いを語っていた。さらに、その思いは観客へ向かう。
遺作となった『海辺の映画館─キネマの玉手箱』の内容は、観客が傍観者でいることなく積極的に映画に加担することで「戦争」を止められないか? というものだった。主人公は映画館の客である三人の若者、彼らは映画館で戦争映画の中を彷徨い地獄めぐりをする。
日々、小さくなり体が思うようにならない中で、時に倒れ、それでも作業を続ける大林監督の姿は、まさに全身映画作家だった。
おおばやしのぶひこ◯1938年広島県尾道市生まれ。幼少期から映像の世界に親しみ、成城大学時代には自主製作映画のパイオニア的存在となる。77年『HOUSE/ ハウス』で商業映画デビュー。『転校生』をはじめ故郷で撮影した“尾道3部作”は大ヒットに。2016年に肺がんと診断されてからも撮影を続けたが20年4月10日逝去。今夏『海辺の映画館─キネマの玉手箱』公開。
いぬどういっしん◯1960年生まれ。東京都出身。映画監督。CMディレクター。高校時代より自主映画の監督・製作をスタートし、99年に『金髪の草原』で商業映画監督デビュー。『ジョゼと虎と魚たち』『メゾン・ド・ヒミコ』『ゼロの焦点』『のぼうの城』などのヒット作を手掛ける。『猫は抱くもの』は大林監督にも高く評価された作品。『海辺の映画館─キネマの玉手箱』では映画監督役で出演。大林監督とは交流が深く、監督と妻でプロデューサーでもある恭子さんを追ったWOWOWのドキュメンタリー番組の企画・構成を担当した。
『婦人画報』2020年9月号より
犬童さんの偏愛♡大林映画
『ÉMOTION=伝説の午後= いつか見たドラキュラ』
「“一瞬は、永遠”そんなことがドラキュラの存在で語られる詩的なアバンギャルド。上質なセンチメンタリズムに満ちた自主映画の金字塔」と犬童さん。
『大林宣彦青春回顧録 DVD SPECIAL EDITION』DVD発売中 発売:バップ
『HOUSE/ハウス』
1977年公開。主演は池上季実子。「アバンギャルドな大林節を、そのまま東宝映画の大スクリーンで展開した大娯楽映画。そして、じつは、若い命を奪った戦争への怨念に満ちた痛切な反戦映画」と犬童さん。
『HOUSE ハウス 〈東宝DVD名作セレクション〉』DVD発売中 発売・販売元:東宝
『花筐/HANAGATAMI』
余命宣告された大林監督が佐賀・唐津を舞台に撮った、檀一雄原作の入魂作。「迫り来る戦争。そこに立ちはだかろうとする若い肉体の輝き。青春の輝きは死してなお永遠に生き続ける。時代を超える映像の壁画」。
『花筐/HANAGATAMI』 Blu-ray5,800円、DVD4,700円発売元:カルチュア・パブリッシャーズ 販売元:TCエンタテインメント