ローマの休日のモデルとも言われたマーガレット王女
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1930年8月21日、英国王ジョージ6世の次女として誕生したマーガレット王女。映画『ローマの休日』でオードリー・ヘプバーン演じるアン王女のモデルといわれるほどの美貌を誇った。

毎年、英国では女王から国民へクリスマスのメッセージがあります。恒例のスピーチはこのようにはじまります。

“My husband and I……”

意味深いこのフレーズに込められた、女王のひとりの女性としての幸せと日常を、連載でお届けします。

【前回のあらすじ】離婚歴のあるピーター・タウンゼント大佐との結婚を反対され、恋愛を終わらせたマーガレット王女。煙草を吸って、夜な夜なナイトクラブ通いをするようになりました。

マイ・ハズバンド アンドアイ 11

初恋を終わらせたマーガレット王女の結婚生活

文=渡邉みどり

※こちらの記事は、『婦人画報』2013年3月号より転載しています。

時は絶好の妙薬であった。マーガレット王女がようやく新しい恋を見つけたのだ。アンソニー・アームストロング=ジョーンズ(通称トニー)は5カ月年上。身長も低く彼女に比べて数インチ高いだけだった。見かけは元恋人のタウンゼントとは正反対だったが、貴族出身でない点、名家の御曹司でない点は共通していた。父親は弁護士、母の実家は証券会社を経営し、美しい庭園を持つ裕福な一族ではあった。  

photographer tony armstrong jones
Hulton Deutsch//Getty Images
王室に出入りするカメラマンだったアンソニー・アームストロング=ジョーンズ。

トニーはイートン校からケンブリッジ大学へと名門コースに進学したにもかかわらず、王室に出入りする人種とは一味も二味も違った個性の持ち主だった。職業はカメラマン。トニーが王室メンバーと知り合ったのは腕の良い写真技術でアン王女やチャールズ王子のポートレートを撮影したのがきっかけだった。トニーは、被写体がロイヤルファミリーだからといって遠慮したり縮こまったりはしない。売れっ子カメラマンだった彼は、自分の意思を伝えるのが巧みであった。

トニーはマーガレット王女を、「僕はいつも彼女を金の鳥かごに閉じ込められた鳥だと考えていた。自由を求めていたが無理だろうね」と言い放った。現役バリバリの写真家と王女との出会い。マーガレット王女は、そんなトニーに惹かれ、交際するようになる。 

1959年の初夏、トニーはマーガレット王女の29歳の誕生日記念の公式ポートレートを担当した。女王はバルモラル城に彼を招待したが、その段階では、まだマスコミはふたりの関係に気づいていなかった。カメラマンという職業が絶好のカモフラージュになったのだ。エリザベス女王は、長い間気にかかっていた妹の結婚問題がついに解決したことを喜んでいた。タウンゼント大佐との決別で落ち込んだ妹の姿を見てきただけに、待ち望んだ瞬間であった。 

portrait of princess margaret and anthony armstrong jones sitting
Bettmann//Getty Images
2月29日に公開されたマーガレット王女と婚約者となったトニーの写真。ともに29歳だった。

ただし正式発表はエリザベス女王の第三子の出産まで控えることに決められ、1960年2月19日のアンドリュー王子誕生の1週間後、メディアにも伝えられたのである。国民はマーガレット王女がようやく幸せを見つけ、それも貴族出身ではなく実力勝負の人間を選んだことを喜んでいた。マーガレット王女の友人は仲むつまじいふたりの様子に胸をなでおろした。しかし夫となったトニーの友人たちは、「彼が果たして王室に納まりきるか」と心配していた。結婚式は1960年5月6日、ウエストミンスター大寺院にて。夫に与えられた敬称は“スノードン卿”。女王の戴冠式以来の王室の慶事であった。

margaret's wedding
Hulton Archive//Getty Images
マーガレット王女は、爵位も拒否する個性的な写真家“トニー”と結婚した。

“不倫には不倫で”復讐し合うふたり

やがて、マーガレット夫妻の間にはふたりの子どもが生まれた。リンレイ伯デイビッドが1961年に、レディ・サラ・アームストロング=ジョーンズは1964年に誕生している。スノードン卿は最初は拒否していたが、子どもが平民にならないようにと、スノードン子爵の称号を受けたのである。 

snowdon family
Fox Photos//Getty Images
レディ・サラ・アームストロング=ジョーンズを出産した後に撮影された1枚。

トニー、つまりスノードン卿は実力派カメラマンとしてすでに名声を得ており『ザ・サンデー・タイムズ・マガジン』に定期的に作品を発表していた。結婚当初、マーガレット夫妻は華やかなカップルとして国民の注目を集めていた。

夫妻は、エリザベス女王の負担を減らすため可能な限り公務に出席していたが、夫のカメラマンとしての活動の幅が広がるにつれて夫婦仲は悪化していった。 

一方、女王は妹のマーガレットを不憫に思っていた。自分は女王であり、その上、夫と子どもにも恵まれて、幸せな結婚生活を送っていたが、妹には「人生のテーマ」がなく、何の役割も与えられていない。それなのに物心付いたころから大勢の人にちやほやされながら育ってきたために、結局は、夫の後ろを3歩下がって歩く生活など難しく、夫にもそれは出来なかった。 

家庭でも妻のマーガレット王女が主導権を握り、住む家も生活費も妻のもの。スノードン卿にとって、わがままな妻の言うとおりになるのは我慢ならないことで、当然のごとく結婚生活は次第にギクシャクしてゆく。やがて、ふたりは“不倫には不倫で”復讐し合うようになる。 

姉であるエリザベス女王にとって、妹の不倫は王室スキャンダルにつながるので頭の痛い問題であった。すぐにマーガレット夫妻の不仲をマスコミが嗅ぎ付けるようにり、1970年代、夫妻は別居生活に入る。 

夫は子どもの前でも妻の悪口を言い、「お前はどこかの国のマニキュアリストそっくり。大嫌い」などというメモをこれみよがしに残すという嫌味のある行動を続けたという。そんななか、マーガレット王女は、元首相の甥でピアニストのロビン・ダグラス=ヒュームと関係を持ち、彼はまもなくピストル自殺を図る。その彼が王女に宛てたラブレターが米国芸能誌で出回るような事件もあった。

princess margaret
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1978年に撮影されたロディ・ルウェリン。初恋の人、ピーター・タウンゼント大佐に似ている…?

43歳になった年には、マーガレット王女は25歳の庭師(一説によればヒッピー)、ロディー・ルウェリンを恋人にする。伝記作家によると、4年にわたる同棲生活は酒びたり。1976年初めには『ザ・ニュース・オブ・ザ・ワールド』が避暑地の海岸で水着で寄り添うマーガレットと庭師の写真を公開した。

一気に大衆紙の取材が始まり、そのことがきっかけで夫とはますます離婚に近づく。スノードン卿は、「悪いのは妻だ」と涼しげな顔で宮殿を後にした。ついにエリザベス女王の堪忍袋の緒も切れ、王室から次の声明が発表された。

「スノードン伯爵夫人であられるマーガレット王女とスノードン伯爵とは別居に同意した。これからの王女の公務にスノードン卿は同行しない。離婚手続きの予定はない」。女王の報道官はメディアに、「女王は当然のことながら事態を悲しんでおられる」と述べた。しかし、1978年にふたりは離婚した。 

そもそも、妹の悲劇は初恋の君との結ばれぬ事件が原因ではないかと考えていたエリザベス女王は、妹の産んだふたりの子どもたちを昔からわが子のように可愛がった。両親がバカンスで羽を伸ばしているときにはいつもバルモラル城やウィンザー城に招待しては一緒に遊んだ。

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1968年12月30日、ロンドンのリバプールストリート駅を出発するエリザベス女王、サラ(マーガレット王女の長女)、エドワード王子(女王の三男)、デイヴィッド(マーガレット王女の長男)。

女王は妹がかわいそうでならなかった。しかし、ロディー・ルウェリンとの恋は決して認めなかったし、「どぶにはまった妹の人生」などと呼んでいたが、表立って禁止することはなかった。

40代も後半になると、マーガレット王女は姉の思いやりとバックアップでようやく落ち着きをみせる。ロイヤルバレエを後援したり、ビートルズのメンバーを王室に招いたりと、文化芸術活動に関心を見出したのである。

1995年、マーガレット王女の初恋の君ピーター・タウンゼント大佐は胃がんで逝った。マーガレット王女も脳卒中で倒れ、車椅子生活を余儀なくされ2002年2月に逝去した。

anwar hussein royal archive
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2001年3月、クイーン・マザー101歳の誕生日に。左からチャールズ皇太子、ウィリアム王子、ハリー王子。車椅子に乗っているのが70歳のマーガレット王女。

ローマの休日のモデルとも言われたマーガレット王女
Rex Features//Aflo

かつて、映画『ローマの休日』のモデルとうたわれた美女マーガレット王女にとって、王室は自立を阻む“金の鳥かご”であった。エリザベス女王とマーガレット王女は、「学校」という近代教育を受けなかった最後の世代であり、王室以外の世界を知らずに育った。しかし幸運にも姉エリザベスには女王という仕事も、守ってくれる夫もある。一方妹は、男に翻弄されて人生のテーマも仕事も見出せなかったのである。 

次回は、エリザベス女王の夫君エディンバラ公のライフスタイルを中心に、“元祖イクメン”とも言える子育て法から、英国の上流社会を象徴するスポーツ「馬」についてお届けする。

Profile

わたなべみどり●ジャーナリスト。文化学園大学客員教授。東京都出身。早稲田大学卒業後、日本テレビ放送網入社。1980年「三つ子15年の成長記録」で日本民間放送連盟テレビ社会部門最優秀賞。昭和天皇崩御報道の総責任者。1995年『愛新覚羅浩の生涯』で第15回日本文芸大賞。『英国王冠をかけた恋』、『美智子さま「すべては微笑みとともに」』など著書多数。


『婦人画報』2013年3月号より