この3月に卒業した注目の女子3選手。左から竹野百香、松井優佳、戸邉香奈実
2023年3月3日に日本競輪選手養成所の卒業式が行なわれ、第123回生の男子選手70人と、第124回生の女子選手23人がプロ選手として競輪界へと羽ばたいた。
史上7人目となる完全Vを果たした松井優佳
卒業記念レース完全優勝
松井優佳(まつい・ゆうか)
1999年4月27日生まれ、大阪府出身
3月1日、2日に開催された日本競輪選手養成所の卒業記念レースで、全4レースで1着をとり、完全優勝を果たした松井優佳。在所成績も2位と好成績を残すなど、将来有望な選手の筆頭だ。
高校時代から本格的に自転車競技を始め、高校総体女子ポイントレース優勝、アジア選手権ジュニア女子ポイントレース3位・ジュニア女子2km個人パシュート3位、UCIジュニアトラック世界選手権出場など、数々の好成績を残してきた。中学時代に見たガールズケイリンに魅了され、いつかはプロになりたいという夢を持っていたが、高校卒業後にそのまま養成所に進んだわけではなかった。
「まずは自分の体のことを知らなければ、プロの世界ではやっていけないと思い、大学でスポーツ健康科学を学んでさまざまな知識を身につけたうえで、次の進路を決めたいと思いました」
同志社大学進学後も、自転車競技に励み、学生選手権女子スプリント1位、500mタイムトライアル1位など次々と結果を残した。
そして「ガールズケイリンに挑戦するには今しかない」との思いで大学卒業のタイミングで養成所へ。23人の入所者のなかで常に上位に名を連ね、在所中に出場した40回のレースで20回1着をとるなど、ここでもその実力をいかんなく発揮した。
この経歴を見るに、自信に満ちあふれたエリート選手という印象を受けるが、本人はいたって謙虚。「自分は結構メンタルが弱くて、あまり自信が持てない」とどちらかというと気弱に見える。
自己分析ではメンタル面での課題を口にするが、言い換えれば、彼女は石橋を叩いて渡る慎重派。卒業記念レースでの完全優勝、在所成績2位という好結果は、彼女のこの性格が有利に働いている証拠だ。
現に「しっかり練習ができて、自信を持った状態でレースに臨めば、結構いい走りができる」とすでに勝利のために為すべきことを理解しているようだ。今後の目標については、「自分は脚がなさすぎて(脚力が不足していて)、何ができるかわかりませんが」と前置きしつつも、ナショナルチーム入りを目指す意欲を見せた。
124回生でナンバー1の総合力、竹野百香
在所成績1位の逸材
竹野百香(たけの・ももか)
2002年8月22日生まれ、三重県出身
「先行1本で頑張ります」
卒業記念レースの決勝戦を控えたインタビューで高らかにそう宣言した竹野百香。「先行」とは文字どおりレースで先頭を走る戦法で、レースの主導権を握ることができるうえに、先頭を狙う後続の選手を防ぐこともできる。しかし風を受けるために消耗が激しく、後続からのけん制をうまくかわす必要も出てくるため、スタミナ切れのリスクがつきまとう。
彼女がこの戦法にこだわるのには理由がある。
高校から自転車競技をやり始めた竹野。
「高校時代は日曜日が休みだったんですが、その日は自転車を分解して洗車したり、乗りに行ったりしていました。洗車は1週間に1回は必ずやっていたほど、自転車が大好きでした」
また、生来の負けず嫌いの性格もあり、少しでも速くなりたいと地道に努力を重ねた。着実に成長を遂げた竹野は、高校3年時に全日本ジュニアスプリントで2位、500mタイムトライアルで3位の好成績を残した。それでもこの結果に満足できず、卒業後も自転車を続け、いつかは頂点に立ちたいという強い願望が湧いてきた。
そうして日本競輪選手養成所の門を叩くが、ここで大きな試練が立ちはだかる。
「最初の頃は6着や7着ばかりで、辞めたくて辞めたくて......」
自分の走りがまったく通用しない。各種大会で優秀な成績を残してきた強者達が集う養成所のなかで、勝てない現実に打ちのめされる日々が続いた。
それでも竹野は逃げ出さなかった。それは「歴代の強い選手たちはこの養成所でみんな先行してきた」という先生方の言葉があったからだ。自分が力をつけて頂点に立つためには、とにかく「先行」にこだわらなくてはいけない。
そこから「先行一本」を自分に課した。この強気の姿勢が功を奏し、出走40回中、実際に「先行」できたのが27回で、そのうち10回で1着を獲得。「先行」しなかったレースでの1着を含めると計15回1着をとっており、最終的に在所成績1位で卒業することができた。
卒業時の竹野の資料には、得意な戦法の欄に「自在」と自ら記している。「自在」とは、「先行」「まくり」「追い込み」「マーク」などの戦法を状況に合わせて駆使するスタイルのことだ。
歴代の名選手たちにならい、敢えて「先行」を選択して実力をつけた竹野。ここから先は手ごたえを掴んだ「先行」を武器にしつつも、臨機応変なスタイルで勝利を目指すはずだ。困難な状況のなかで「先行一本」という選択をした、その強い覚悟を今後も持ち続ければ、彼女の目標であるガールズグランプリ優勝も現実のものになるかもしれない。
能力評価で唯一2連続A評価を獲得した戸邉香奈実
競輪一族の大器
戸邉香奈実(とべ・かなみ)
1993年10月6日生まれ、茨城県出身
そのルーツから大きな注目を集めているのが、戸邉香奈実だ。父の戸邉英雄、祖父の戸邉弘、大叔父の戸邉純一は元競輪選手で、従兄の山口翼、又従兄の戸邉裕将は現在でも競輪選手として活躍するなど、彼女はまさに競輪一族のなかで育った。
幼少期から競輪は身近な存在だったが、ガールズケイリンのスタートが2012年だったこともあり、多感な中高時代に競輪選手になる夢を持つことはなかった。どちらかというと彼女は競輪や運動とは無縁の道を歩んできた。
「語学に興味があって、高校の時にアメリカに留学をしていました。そこで英語を学んで、今度はロシア政府の奨学金の試験を受けて、国費留学生としてロシアでも勉強をしました」
高校時代にアメリカに留学し、その後、日本に戻って高校を卒業。今度は京都産業大学に入学し、最終的にはロシア国立研究大学高等経済学院を2019年に卒業した。その時彼女は25歳。アメリカ、ロシアで学んだことを生かして、社会人として生活し始めた矢先に、新型コロナウイルスがまん延。生活やビジネスのスタイルが否応なく変化していくなかで、彼女の心にも変化が訪れた。
「1回きりの人生なので、興味があることはなんでも試してきましたが、そんななかで(新型)コロナが流行して思ったんです。競輪一族に生を受けたのに、私の代で競輪選手を途絶えさせるのはもったいないと。だから適性(試験)の受験を決めました」
これには周囲が驚いた。それまで運動部に所属したことがなく、入っていたのは茶道部と筝曲(そうきょく)部。しかも受験を決意したのが、応募の締め切りからわずか1か月前のこと。「父も『受けてみれば』みたいな感じ」で合格するとは思っていなかったようだ。
日本競輪選手養成所の一般試験には2つのタイプの受験があり、彼女が受けたのは、自転車未経験者のための「適正試験」。垂直跳び、長座体前屈、背筋力、固定自転車でのパワー数値などをもとに合否が判定される。彼女はこの試験に見事合格した。第124回生の「適正試験」の合格率が28.6%だったことを考えると、驚異的とさえ言える。
ただ自転車未経験者のため、在所中はかなり苦労した。40レース中、3着以内が8回と満足する結果を手にすることはできなかった。
しかし3度行なわれた記録会での能力評価では全選手のなかで唯一2連続A評価を得ている。スタート能力、ペース配分能力、体力・スタミナ能力などをA~Dで評価するもので、連続A評価は彼女のポテンシャルの高さを表していると言える。ちなみに身体能力も図抜けていて、全23人中、背筋力と垂直跳びではナンバー1。握力でもトップクラスだ。
言うなれば、彼女はダイヤの原石。レースの駆け引きや勘所を身につければ、大きく飛躍する可能性がある。現に卒業記念レースの最中にも飛躍の糸口を見つけたという。
「私は結構力があるので、脚で(ペダルを)思いきり踏んでいたんですけど、『脚のつけ根から踏んで引いたほうがいい』というアドバイスをもらっていて、それを意識したら疲れが全然ないことがわかりました。今回の卒業記念レースでその言葉がピタッときて、びっくりするくらいラクに走れました。これまで養成所で10か月くらい学びましたけど、残り何日かでやっとかという感じでしたね」
競輪一族の血統であり、底知れぬポテンシャルを有する戸邉香奈実。彼女の能力を磨ききった時、一体どんな選手に変貌を遂げているのだろうか。今から楽しみで仕方ない。