一条天皇に入内する定子や、藤原伊周(ふじわらのこれちか)、藤原隆家(ふじわらのたかいえ)といった道隆の子どもたちもさることながら、家族を支える妻・高階貴子も忘れてはいけません。
「光る君へ」で板谷由夏さんが演じる高階貴子 (公式サイトより)
そこで、今回の記事では、そんな高階貴子の「和歌」に焦点をあててご紹介していきたいと思います。百人一首に収められている歌が有名ですが、実は他にもさまざまな和歌を詠んでいました。
■高階貴子について
高階貴子は、円融天皇に仕える女官として働き、藤原道隆と結婚します。3男4女の子宝に恵まれ、中関白家(道隆の家系)を繁栄に導きました。
大河ドラマ「光る君へ」より、藤原伊周(左)と藤原隆家(右)©NHK
しかし、藤原伊周と藤原隆家は叔父の藤原道長との政治争いに敗れ、島流しになります。貴子は彼らについて行きたいと懇願しますが、受け入れられず、失意のうちに亡くなりました。
なお、詩や漢文に長けており、高い教養を兼ね備えた人物でした。
■高階貴子といえば、百人一首にも収められているこの歌
高階貴子という名前を知らなかったとしても、多くの方が
「わすれじの 行く末まではかたければ 今日をかぎりの 命ともがな」
という和歌を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
高階貴子が詠んだこの歌は、百人一首(54番)にも収められています。筆者も、中学生のころに百人一首にハマった時期があったのですが、この歌はお気に入りのひとつだったことを覚えています。
この歌の現代語訳としては
「『君のことはいつまでも忘れない』とあなたはおっしゃいましたが、それが将来ずっと続くことは難しいでしょう。だったらいっそ今日を限りに命が尽きてしまえば良いのに」
といったところでしょうか。
この歌は、後に夫となる藤原道隆との馴れ初めのころに詠まれたと言われています。
■子どもを想って詠んだ歌も
高階貴子は、
「夜のつる 都のうちに こめられて 子を恋ひつつも なきあかすかな」
という歌も詠んでいます。これは、彼女の子ども・藤原伊周が播磨国の明石に流されたときに、彼を想って詠んだと言われています。現代語訳は
「夜の鶴は籠の中で子を思って鳴いたというけれど、私は都に足止めされ、子を恋い慕いながら泣き明かすのだなあ」
です。
伊周は翌年都に召還されますが、このとき、高階貴子は亡くなっていました。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
画像出典:大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより
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