ブレイク中のチョコレートプラネット長田庄平のモノマネで、注目度がアップ。テレビ出演が増加している狂言師、和泉流宗家・和泉元彌

長田との共演も快く応じているが、こうなると黙っていないのは、あの人だ。

 元彌の母・セッチーこと和泉節子である。長田は、3月14日放送の『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)には、看板コーナー「ゴチ20」にVIPチャレンジャーとして出演するが、ここになんとセッチーが乱入し、長田をパニックに追い込んだ。

「歯に衣着せぬものいいで、一時は毒舌ご意見番として引っ張りだことなりましたが、和泉流宗家継承問題やダブルブッキングなどのさまざまなトラブルを呼んでいた節子さん。いつしかテレビから消えていきましたが、長田のブレイクでまた息を吹き返しつつあるんです」(テレビ雑誌記者)

 元彌自身は素直で腰も低く、決して評判は悪くなかったが、このセッチーに巻き込まれるかたちでテレビから姿を消していた。

「当時、セッチーの傍若無人ぶりに苦い思いをさせられた関係者は多いんですが、最大の被害者こそ、息子の元彌でしょう」(舞台関係者)

 元彌が幼いころの、こんな話があるという。


「セッチーが、釣り堀が連接した割烹に元彌を連れていったときのことです。釣った魚を調理してくれる店で、セッチーは元彌とともに釣り堀に糸を垂らしましたが、『私、川魚は食べないの』と言い出し、なんと割烹の生け簀に釣り糸を垂らして、タイやヒラメを釣り上げて、得意顔になっていたといいます。元彌はそんな母の様子に恐縮しきり。あとで周囲に『恥ずかしかった』とこぼしていました」(同)

 また、元彌の学生時代にはこんな話も。

「高校2年のときに体育の授業で元彌が骨折したときのこと。『宗家が骨折したときには毎日、巣鴨のとげ抜き地蔵に通ってお参りをしたんです』というのがセッチーのお涙頂戴話として有名ですが、実は、参道にある和菓子屋が目当てで、いつもお参りもそこそこに和菓子に舌鼓を打ち、のんびりお茶の時間を楽しんでいたそうです」(同)

 さらに和泉家と親しい関係者なら誰もが知っているのが天ぷら騒動。



「セッチーは元彌を産んだ後、誰に言われたわけでもないのに、〈和泉家の嫁はて天ぷらをあげるべからず〉と言い出して、一切自分では揚げ物をしなかったそうです。セッチーが天ぷら禁止を追加したのは、表向きは元彌が油のそばにくると危ないからというのが理由だったそうですが、実際は、単に揚げ物をするのが面倒くさかったにすぎません。ところがセッチー自身は天ぷらが大好きで、いつも1人で都内の天ぷらの名店に足しげく通っていた。悲劇だったのは元彌です。日本の伝統を守るはずの家系に生まれながら、ものごころつくまで天ぷらという料理があることを知らず、今でもてんぷらが苦手だというのです」(同)

 テレビを見る限り、セッチーはいまも元気いっぱい。元彌が、その呪縛から解かれる日は、まだ遠そうだ。