通常はお堂の厨子の扉が閉じられ、拝むことが許されない状態の仏像を秘仏と言う。

 多くの秘仏は、三十三年に一度とか年の一時期に、厨子の扉を開いて、一般信者に拝観させる「ご開帳」を定期的に行なっているが、中には、長野の善光寺ご本尊阿弥陀如来三尊や、お水取りで有名な東大寺二月堂の「十一面観音像」のように、過去にもまた未来にも拝むことの出来ない「絶対秘仏」がある。

 だが、仏像は本来礼拝されるものとして、偶像崇拝の対象として彫られたもので、その姿は秘して隠されるものではないはずである。

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白洲信哉
滋賀県甲賀市の櫟野寺(らくやじ)にある、日本最大の十一面観音坐像。

 
 六世紀になり渡来した仏教が、日本在来の神様と習合していく過程で、一つの霊木が御衣木として、ご神木から仏像が彫られていく。「神秘」とは、読んで字の如く神を秘めることというような神の観念が宿ったのだろうか、そうした普段は姿を現さない神様が、仏像になることによって姿かたちを現した結果、九世紀末になると秘仏として成立した特別な仏なのである。

 江戸時代になり、近世的な宗教制度になっても秘仏の伝統は維持され、さきのような三十三年に一度とかいう稀なる御開帳は寺の一大行事となっていく。

 だが、明治初年の神仏分離令や廃仏毀釈により、絶対秘仏となっていた法隆寺夢殿ご本尊である救世観音立像の白布を取り除いて、千余年の秘封をあばいたのは、岡倉天心やフェノロサという明治政府の背景をもった近代思想だった。

 今では春と秋のご開扉があり、他の諸像とまったく違った超越的な精神がみなぎったお姿に接することができるが、写真ですら御像を凝視することがはばかれるように僕は思う。まさに聖徳太子の「生身仏」として、特別な思いがみなぎっている。

 昨今、鑑賞者にとって大変恵まれた時代に生きている。本年も、坐像の千手では最古の彫像である大阪葛井寺の千手十一面観音坐像が、360度東京国立博物館にて公開。あまりの見事な厳しくも美しい尊顔に、ただただみとれていた方も多いと思う。

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白洲信哉
「葡萄寺」と呼ばれる山梨県甲州市勝沼の古刹(こさつ)、大善寺にある薬師如来像(左右に日光・月光菩薩を従えている)も秘仏として有名。国宝の本堂である薬師堂内陣にて、これまた国宝である厨子(ずし)に安置。5年に1度の御開帳であり、直近では平成30年10月1日~14日に御開帳されている。ちなみに、この薬師如来像は左手で葡萄を持っている。


 僕は「秘仏」という言葉に惹かれ、本秋も滋賀県甲賀の櫟野寺日本最大最古の十一面観音坐像や、甲州勝沼大善寺葡萄薬師三尊の特別公開に訪れた。

 人との出会いと同様、秘仏との「一期一会」その積み重ねが僕にとって目線の確認作業でもあり、来年もこうしたご縁を大切にしていきたい。が、一方で、「秘すれば花」と言われるような尊い価値観が、貴重な尊像を護ってきたことを忘れずにいたいと強く思う。


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写真提供:白洲信哉


白洲信哉
1965年東京都生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュース。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な著書に『小林秀雄 美と出会う旅』(2002年 新潮社)、『天才 青山二郎の眼力』(2006年 新潮社)、『白洲 スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”―』(2009年 飛鳥新社)、『白洲家の流儀―祖父母から学んだ「人生のプリンシプル」―』(2009年 小学館)、『骨董あそび―日本の美を生きる―』(2010年 文藝春秋)ほか多数。近著は、『旅する舌ごころ: 白洲次郎・正子、小林秀雄の思い出とともに巡る美食紀行』(2018年11月・誠文堂新光社刊)