2003年のモデルデビュー後、ストイックに俳優としてのキャリアを積み重ね、今年で20周年を迎える北川景子さん。少女のような清らかさと知的で凛としたたたずまいは、いつの時代も変わらず、さらに近年は穏やかな母性も備え、魅力がアップデートされゆく姿に私たちは魅了され続けている。

そして、今年10月に発売となったデビュー20周年を記念した写真集「37」には、一番新しい北川景子さんの姿が。俳優という仕事に改めて思うことや、結婚や子育てというライフステージにおける気持ちの変化など、ふだん語られることのない等身大の彼女にアプローチ。

interview & text: YUKI MIYAHARA

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ワーカホリックだった頃から一変、人生に意味があることを集める今

北川景子

―20年を振り返って、仕事への取り組み方や意識に変化はありましたか?

「多分あまり変わっていないと思います。その日その日、自分ができることを一生懸命やるという姿勢に変わりはなく、ずっと緊張感を持ってきました。次の仕事が当たり前にある職業ではないからこそ、一本一本、『これが最後かもしれない』という気持ちで臨むことの連続でつないできた20年でした。10周年を迎えた時、『10年やれたんだ』という達成感に似た思いはありましたが、周りの方に恵まれてやってこられたという思いは、その頃も今も変わりありません」

―多くの作品に出演されていますが、毎回新しい気持ちで臨んできたんですね。

「スタッフさんも共演者の方も全く同じ座組であることは決してなく、どんな作品や番組も一度しかない巡り合わせなので、自然と新しい気持ちになりますし、緊張もします。演じ方だけでなくコミュニケーションの取り方も考えますし、慣れることはありません。ただ30歳を超えてからは後進の育成も大事なことなので、もっと広い範囲で物事を見られるようにならないとなと思うことも度々あります」

―今まで、つらかった時期やスランプを感じたことはありますか?

「仕事がなくて苦しかった時期はあります。雑誌『Seventeen』でのモデルの仕事や、『美少女戦士セーラームーン』で1年間レギュラーの仕事をいただいていたんですが、それを同時に卒業したタイミングで、なかなか次が決まらなかった時期がありました。原作の先生が『君、絵に似てるね』と言って配役を決めてくださったけれど、実力が付いていたわけではないので、その後現場に立てない時期が続いてしまって……。オーディションに通うばかりの日々で、もちろんそれも大事なことですが、腐りそうになっていた自分もいました。また30歳前後で、周りからは順調に思われていても、自分の中では成長できていないというか、ずっと同じ表現しかできていないんじゃないか?という迷いを抱えていました。自分の幅を広げたいのに広げられていないジレンマと戦ったり、結構しんどい時期でした」

―最初の写真集「27」を出した後くらいですか?

「そうですね。20代から30代に変わる時期だったからか、体調があまり優れず、それまでのように目いっぱい夜中まで働いて、早起きして現場に出掛けるというルーティンができなくなってしまったんです。睡眠不足もつらかったですし、気持ちに体が追いつかなかったりと、いろいろなバランスが崩れてしまったんです。どうすれば良くなるのか分からず、一方で日々の仕事には追われていたので、とにかく一つ一つを一生懸命こなし、なるべく高い打率で頑張るしかないと気を張る日々を過ごしていました」

北川景子
SATOSHI OHMURA

―そういった時期をどのように乗り越えたのでしょうか?

「やがて世の中がコロナ禍になり、休むしかない期間があったのですが、ここで、それまでがオーバーワークだったことに気がついたんです。最初は、働かないことがすごく不安でした。これまでこんなに長い間仕事をしていない時がなかったため、一日何をして過ごせばよいのかわからない……。それまでプライベートに重きを置いていなかったからこそ、どのように過ごして良いのかわかりませんでした。けれど、他の方の舞台を観に行ったり、映画を見て勉強したり、いろいろインプットしてみると、『ああ、こういうことが足りていなかったんだな』と思うことが多くて。どんどん吸収していくことで、自分が抱えていた言いようのない焦りが少しずつ減っていった気がします。インプットする時間が足りない中で現場に立ち続けている状況で、キャパオーバーしていたんだと思います。今は、表に出て働くことだけが仕事ではなく、普段感じることや勉強することが自分の土台になっていくことを確信しています。時間が解決し、30代の体調に慣れてきたということもあるかもしれません。年齢を重ねることで、気持ちが楽になったようにも思います」

―一つ一つの仕事に、どんな意識を持って取り組んでいますか?

「“全力でやる”ということです。思いついたことやアイデアを、『これを言ったらどう思われるだろう』と自分の中でとどめておかず、『こういうのはどうですか?』と思い切って提案するようにしています。後悔のない働き方をしなければいけない、とずっと思っているんです。もちろん『完璧!』と思うことは一つもないのですが、その日その日で全部出し切っていれば、『あの時はこれが100%だった』と胸を張れるから。その日の全てを出し切ったことを確実に実感していれば、自分自身のベストを更新していけるはずだと思っています。“人と比べるのではなく、自分の中で出し切る”ということをいつも心がけています」

―37歳という年齢を迎え、新たに出された写真集。故郷の神戸が撮影の舞台となっていますが、そのいきさつは?

「20周年という節目でこの写真集の企画が立ち上がった時、海外で撮影という案もあったのですが、子どもがまだ小さいので一週間も家を空けることが気持ち的にできなかったんです。「仕事と子育ての両立って難しいな……」と思いましたが、“子どもがいる中でベストなものを作りたい”という意志を優先しました。

けれど今は、神戸を選んで良かったとすごく思います。4年ぶりに地元に帰ったのですが、昔よく行っていた神戸市立王子動物園や南京町などを改めて巡ることができて、とても楽しかったです。素の自分を出しやすかった点も良かったと思います」

―神戸のどんなところが好きですか?

適度に都会で、適度に自然があって。海もあって山もあって、食べ物もやっぱりおいしい。グイグイ来るわけでもなく、無関心すぎるわけでもない、適度に温かい人の雰囲気も好きです。そろそろ子どもにも、神戸のいろんな場所を見せてあげたいですね。1~2歳の時は新幹線や飛行機に乗せる勇気がなかなか出なかったのですが、最近は少し落ち着いて座れるようになってきたので、そろそろ一緒に帰省できるかなと思っています」

北川景子
SATOSHI OHMURA

―独身の頃とママである今とで、価値観や考え方に変化はありますか?

「独身時代はやはり、自分のために生きていました。時間も体力も全部自分のために使えますし、自分を軸に生きていくことができたのですが、今はもう完全に子どもが軸なので、そこが大きく違います。実は、独身の頃はそのような考え方が理解できなかったんです。結婚願望も全然ありませんでした。けれど、いざ結婚して子どもを授かると、仕事をしているだけではおそらく見えなかった大事なものが見えるようになった気がします。とにかくワーカホリックだったので、『それは仕事にとって必要なの? 必要じゃないの?』『それは仕事に関係あるのだろうか』と、すべて仕事を第一優先で選んでいた仕事人間だったんです。『ディズニーランドへ行こうよ』と言われても、『それで疲れてしまったら、明日の仕事に影響しないかな?』と考えてしまうタイプでした(笑)。

けれど、いいタイミングで結婚して、子どもを授かって。仕事にとって意味があるかはわからないけれど、自分の人生にとってはすごく意味があることを、今は一つ一つ集めています。『ディズニーランドか、子どもがきっと喜ぶだろうな』と思ったら、『よし、頑張ってチケットを取ろう』となりますし、水族館や普段の公園遊びさえも色鮮やかに見えるようになったのは、大きな変化かもしれません」

―忙しい中、仕事と子育ての両立は難しくないですか?

「そうですね。産後のあるあるなのかもしれませんが、育児を人に任せたくない、全部自分でやらなくちゃ、という気持ちがしばらく強かったんです。昼は仕事場に連れて行き、夜は数時間で起きてしまうから、そのお世話で何度も起き、という日々を続けていたら、ある日、帯状疱疹(ほうしん)が出てしまったんです。仕事も育児も手放したくないという気持ちとは裏腹に、身体は悲鳴を上げていたんですよね。昔から気合や根性論を信じていた自分としては、“気合でいける”と思っていたのですが、こればかりは『あ、駄目か……』と実感しました。そして自分の体の声を聞くしかなく、仕事を減らす方向に切り替えたんです」

―仕事を減らすことへの心配はありませんでしたか?

「正直、少しありました。『今まで仕事を頑張ることで喜んでもらえていたのに、表に出る機会が減ってしまったらファンの方もがっかりするのでは』とか。とはいえ、精神的にも肉体的にも無理なところまで来ていたので、定年もない仕事ですし、またこれまでと同じように仕事ができるようになって、求めてくれる場があったら頑張ろうという方向に、何カ月かかかって気持ちを切り替えていきました。それまで、ノンストップで走り続けなければ自分の席はなくなってしまう、とずっと思ってきたので、止まろうと思うことは一度もなかったのですが、一度止まってみたら、すごく気持ちが楽になったんです。やはりその時の自分に合った働き方をしていかないと、結果的に自分のパフォーマンスの質も下がることを実感しましたし、無理やり立ち止まることで、自分と向き合うことができて本当に良かったと思っています 。ある意味、子どもに救われたなと感じています」

―結婚、そして出産を経て、ご自身の考え方に変化がありましたか?

「結婚してから役柄の幅が広がったり、子どもの話をする機会も増えて、皆さんから親しみやすく感じてもらえるようになったのは、変わった点かもしれませんね。今までは完璧な仕事人間の役も多かったですし。けれど、自分自身は20年前と何も変わっていなくて、さまざまなことへの好奇心や、面白いことが好きな関西人らしい素質といった本来の自分をやっと出せるようになってきたのかなと感じています。俳優という仕事の本質は今後も磨き続けますが、私のいろんな面を知っていただけることはうれしいなと感じる今日この頃です」

北川景子
SATOSHI OHMURA
ジャケット¥217,800、ブラウス¥86,900、パンツ¥72,600/ヌメロ ヴェントゥーノ(IZA ) イヤリング(左耳)¥827,200 イヤリング(右耳)¥286,000 リング(右手薬指)¥349,800 リング(右手人差し指)¥363,000~/以上ピアジェ(ピアジェ コンタクトセンター)
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北川景子 20周年記念写真集『「37」20th anniversary』

SDP 北川景⼦ 写真集『「37」20th anniversary』

北川景⼦ 写真集『「37」20th anniversary』

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デビュー20周年を彩る写真集は、地元・神戸でのロケも敢行。仕事からプライベートまでさまざまな角度からファンからの質問に答えるQ&A企画や、一万字以上のロングインタビューなど、さまざまな表情の北川景子が詰まった渾身の一冊。

発売を記念して、写真集公式Instagramを期間限定で開設。アザーカットの公開や、動画コンテンツの投稿などさまざまな情報を発信中。

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北川景子(KEIKO KITAGAWA)

2003年、雑誌『Seventeen』の専属モデルとしてキャリアをスタートさせ、同年にテレビドラマ『美少女戦士セーラームーン』で俳優デビュー。その後も数々の映画やドラマなどで主要キャストを務め、俳優として活躍。2023年の出演作では、ドラマ『女神の教室〜リーガル⻘春白書〜』では月9枠初主演。映画『ラーゲリより愛を込めて』ではヒロインを務めた。現在放送中のNHK大河ドラマ『どうする家康』では、お市役に続いて茶々役としても出演している。

北川景子公式X(旧Twitter):@KKeiko_official

北川景子公式サイト: https://official.stardust.co.jp/keiko/


photo: SATOSHI OHMURA hair & makeup: TAKUMA ITAKURA / nude. styling: TAKAYUKI HAYASHI interview & text: YUKI MIYAHARA

■問い合わせ先

IZA  0120-135-015
ピアジェ コンタクトセンター  0120-73-1874