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ゴッホやモネに影響を与えたと言われる葛飾北斎。富士山を描いた代表作『富嶽三十六景』はどこかで見たことがあるはず。実は今年は北斎生誕260年。新型コロナウイルス感染症の影響で延期されていたけれど、現在北斎の作品を見られる2つの展覧会が同時開催中。この稀代の絵師の魅力を存分に楽しむために、知られざる10のトリヴィアを大公開! (この特集で紹介されている作品の一部は、展覧会では展示されていません。)
過去1000年で最も偉大な業績を残した100人に
1999年にアメリカの雑誌『ライフ』が選んだ「過去1000年で最も偉大な業績を残した100人」に唯一エントリーしたのが北斎。86位だった。ちなみに1位は電球や蓄音機を発明したトーマス・エジソン(右)。画家で最上位に入ったのは5位のレオナルド・ダ・ヴィンチだった。
「富嶽三十六景」には原宿が描かれている
北斎といえば、富士山の見える風景を描いた連作『富嶽三十六景』が有名。富士山を描いているため、静岡県や愛知県の風景ばかりだと思いがちだけれど、実は都内の風景も。この「隠田(おんでん)の水車」は今の渋谷と原宿を結ぶキャットストリートから見た風景。キャットストリートの下にはかつて渋谷川(隠田川)が流れていた。
ゴッホに影響を与えた「グレートウェーブ」
「富嶽三十六景」でも最も有名な絵の1つがこの「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」。海外でも「グレートウェーブ」と呼ばれ、モネやゴッホに絶賛された。日本の浮世絵が大好きで、コレクションしていたゴッホ。彼の作品にも北斎の影響が見られる。
その1つがこの「星月夜」。画面右の平たい山や町は上から見下ろした視点、左側の糸杉の木や空に白い渦は下から見上げた視点で描かれている。これは北斎が画面右の船を上から、波を下からの視点で描いたのと同じ。波のウェーブと空の渦巻きも言われてみればそっくり!
「三十六景」、実は四十六景
この「富嶽三十六景」、タイトルを聞くと36枚の絵で構成されていると思ってしまうけれど、実は合計46枚。売れ行きが好評だったことから、この絵を含む10枚を追加したそう。これは現在の品川あたりにあった高台、御殿山から見た桜と富士。御殿山は江戸でも有数の桜の名所だった。
超、遅咲き
前出の「神奈川沖浪裏」やこの通称「赤富士」(正式なタイトルは「凱風快晴」)を含む連作「富嶽三十六景」は北斎の代表作だが、発表したのは71歳のとき! 準備し始めたのは 60歳を過ぎた頃だったそう。江戸時代の平均寿命は30歳くらい。ただしこんなに短いのは赤ちゃんの死亡率が高かったからで、長生きする人は60歳くらいまで生きたとか。そうは言っても、60歳を過ぎて新しいことを始め、70歳でブレイクするとは! このバイタリティはぜひ見習いたい。
90歳で巨大天井画
彼のエネルギッシュぶりを示しているのは「富嶽三十六景」だけではない。この「八方睨み鳳凰図(はっぽうにらみほうおうず)を描いたとき、北斎はなんと89歳。小布施にあるお寺、岩松院の本堂の天井に描かれたもので、大きさは横6.3m、縦5.5m。広さにして21畳。金箔を440枚を使い、かかった絵具代は150両(今の価値で1,500万円くらい)というから大きさも予算も桁違い! 弟子が手伝ったという説もあるけれど、並々ならぬパワーの持ち主だったのがわかる。そもそも江戸から長野県小布施まで歩いて行っているのがすごい。
怖過ぎて打ち切り!
70歳を過ぎてからも新しいことにどんどん挑戦した北斎。その1つがおばけを題材にした錦絵「百物語」。当時、美人を描いた「美人画」、歌舞伎役者を描いた「役者絵」はあっても、お化けをモデルにしたものはなかったそう。絵を売り出す版元(出版社のようなもの)は「売れるんだろうか……」と思いつつも、当時の錦絵の定番サイズの半分の大きさで売り出した。(続)
結果は惨敗。「百物語」というからには100枚の連作になるはずだったけれど、確認されているのは5作品だけ。売れなかった理由はお化けの描写がリアル過ぎたこと。部屋に貼るには怖過ぎたと見られている。確かに。
「70歳までの作品なんて、取るに足らない」
そんな北斎の名言が残っているのが絵手本「富嶽百景」の後書き。「6歳の頃から絵を描いてきたが、70歳以前までに描いた絵は取るに足らない。73歳にしてようやく動植物の骨格や出生を悟ることができた」「80歳ではさらに成長し、90歳で絵の奥意を極め、100歳で神妙の域に到達し、百何十歳になれば1点1格が生きているようになるだろう」。引退しようなんて考えていなかったもよう。
(絵手本とは、江戸時代から明治にかけて描かれた絵本。絵の描き方を学ぶための手本として出版されたため、この名前がつけられたが実際には観賞用のことが多かった。)
引越し大好き!
絵に全力投球だった北斎。でもプライベートでも変わった人としてエピソードをたくさん残している。画号は生涯に30回変え、転居はなんと93回。主に住んでいたのは今の墨田区と台東区界隈で、この地域内で90回以上転居を繰り返したそう。理由の1つは恵方(恵方巻を食べるときに向く、あの恵方)。江戸時代の人たちは遠回りして恵方から初詣に向かうなど、方角にこだわって暮らしていた。北斎も同様。方角にこだわった結果、毎年のように住む家を変えることになった。ちなみにこれは彼のベースだった隅田川周辺を描いた作品。隅田川にかかる両国橋の向こうに富士山が見える。
ゴミ屋敷のスイーツ大好きおじいちゃん!
絵師というと破滅的な生き方をしていたと思いがちだけれど、北斎の生活ぶりは質素。お酒もタバコもやらず、煙が嫌いだから蚊取り線香も炊かなかったと言われている。好きなものはお菓子。訪問客が大福を持ってくると大喜びで平らげていたとか。さらに服装にも気を使わず、着ている服はボロボロで食べ物が包んであった竹の皮もそのまま放置。ゴミに囲まれて描いていたとか。よく言えば、絵にしか興味がない天才芸術家。悪く言えば……ゴミ屋敷の迷惑おじいちゃんかも。(これは晩年の自画像。)
「おいしい浮世絵展 ~北斎 広重 国芳たちが描いた江戸の味わい~」2020年7月15日(水)~ 9月13(日)森アーツセンターギャラリー
「The UKIYO-E 2020 ─ 日本三大浮世絵コレクション」2020年7月23日(木・祝)~9月22日(火・祝) 東京都美術館
(ともに日時指定入場制)
参考文献:
『もっと知りたい葛飾北斎』 監修:永田生慈
『北斎への招待』 監修:内藤正人
『HOKUSAI NOTE』 監修:安藤敏信