まだまだ投げます!81歳鉄腕サウスポー 愛媛新聞記者と対決 その結果は…?
「軟式野球で81歳の現役ピッチャーが愛媛にいる」。知り合いの野球愛好家から話を聞き、驚いた。人生100年時代といえども、81歳といえば日本人男性の平均寿命。一体、どんな球を投げるのか。どんなトレーニングをしているのか。自分の目で確かめに行った。(樋口和至)
「遠投なら40~50メートル投げられます」と話す81歳の猪塚さん
5月下旬、松山市勝岡町の松山発電所記念公園グラウンド。強い日差しが照りつける中、松山市の還暦チーム「オール松山60」のメンバーが黙々と練習に汗を流していた。その中で、ひときわ元気よく動き回っていたのが、チーム最年長の猪塚正敏さん(81)=松山市畑寺3丁目=だ。
チーム練習は週2回。ランニングやキャッチボール、ロングティー、フリーバッティング、内野ノックなど基礎練習が中心。猪塚さんは打撃練習で率先してボールを投げるなど、ムードメーカーとしてチームメートを鼓舞していた。
猪塚さんは香川県さぬき市出身。中学1年の夏から軟式野球を始め、志度商業高校では硬式野球部の左腕エースとして甲子園を目指した。しかし、高校2年の時に秋季県大会の決勝に進んだのが最高成績で、甲子園出場の夢はかなわなかった。
社会人野球時代の猪塚正敏さん=1960年3月ごろ
運命が変わったのが高校3年の8月。社会人野球・四国電電(後のNTT四国)硬式野球部の伊賀上潤伍監督(本名・伊賀上良平、松山商高卒)が内野手と外野手のスカウトのため高校へ視察に来ていた。「自分は関係ない」と思っていたら、練習後、伊賀上監督から突然声をかけられた。「進路が決まってないなら、うちに来ないか」。バッティングピッチャーをしている猪塚さんを見て、伊賀上監督が即決したという。急な話で驚いたが、話はトントン拍子に進んだ。
卒業前の1959年2月中旬から松山市に引っ越して四国電電の練習に参加した。就職が決まったのはうれしかったが心残りもある。卒業式に出席できなかったことだ。「当時は移動に時間がかかった。香川県の母校まで片道8時間以上必要やった。出席したかったね」
猪塚さんが入団して約1年後、伊賀上監督はプロ野球・阪神の打撃コーチに就任して、別の監督に交代。次第に試合への出場機会が減少し、社会人野球生活は3年で終わった。
20代後半の松山電話局時代、東京で開催された全国大会に出場した猪塚さん(本人提供)
「故障をして辞めたわけじゃないけん」。その後も仕事をしながら松山電話局の軟式のチームに入って野球を続けた。26歳の時に関連会社に勤めていた3歳年下の妻・悦子さんと結婚。家庭を持った。
第一線から一歩引いたものの、高校生の指導にも時間を割いた。甲子園で実績を残した故一色俊作さんや故上甲正典さんとも親交があり、打撃投手や投手コーチとして球児の育成に尽力した。1969年夏に決勝再試合で全国制覇した松山商高、2013年選抜準優勝の済美高など県内強豪校を長年、裏方で支えた。特に済美高出身の安楽智大投手=現、楽天=は忘れられない一人という。「新入生のときからものすごい球を投げる桁違いの選手でした」と振り返る。
技術指導と並行して・・・
81歳でも投げ続けられる秘訣はまさかの…!!
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