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2023.08.09

【報告】シリーズ講演・討論「東洋美学の生成と進行」第5回「日本的美意識の一段面:朦朧と浸透の美学」

 7月31日にシリーズ講演・討論「東洋美学の生成と進行」第5回がハイブリットで開催された。青木孝夫氏(広島大学人間社会科学研究科 ・名誉教授)より、「日本的美意識の一段面:朦朧と浸透の美学」という題の講演をいただき、鄭子路氏(江西師範大学美術学院・准教授、東京大学大学院人文社会系研究科・外国人研究員)よりコメントをいただいた。司会は本ブログの執筆者である丁乙(EAA特任研究員)が務めた。

 (講演者:青木孝夫先生)

 (コメンテーター:鄭子路先生)

 (司会:丁乙)

 青木氏の講演はまず、東洋の美学の探求姿勢について、K・レーヴィットのいわゆる「近代日本の二階建て」理論を援用し論じた。「近代日本の二階建て」理論とは、日本人は一階では日本的に、二階ではヨーロッパ流に思考するが、その二つの階の間に「段階」が存在しない、という日本の文化ないし学問に向けた根本的な批判である。日本ないし東アジアに容易に移植されたのは、西欧の宗教的・倫理的伝統や、芸術をめぐる理念と制度の上に成り立った芸術産品、青木氏の言葉によれば、たかが「氷山の一角」と考えられる。それに対し、青木氏は、より深い階層での日本の文化や感性から日本美学について考えたいという。
 そこでまず取り上げられたのが、夏目漱石『草枕』(1905)の入浴シーンである。それは混浴が許される文化を大前提に書いており、主人公の西洋画家は、風呂の薄暗い中、濛々たる湯気の中に立ち現れる女性が別世界の住人であるように捉えている。湯気は裸身と画工の視覚的距離的隔たり・障害というより、両者を包んで、独特の雰囲気を醸していると解釈される。こうした「身を包む大気への感受性」こそ、日本美学を捉えるには肝心であるという。青木氏が注目したのは、「朦朧」「湿度」「しみる」といった契機であった。具体的には、歌謡曲「柳ヶ瀬ブルース」の歌詞「雨の降る夜は、心も濡れる」や、文筆家・竹西寛子の「溪の雨/身に沁む/心に沁」という表現が例として挙げられた。
 青木氏の学生でもあった鄭氏は、まず東アジアにおいて「藝術」を理解するための背景を補足した。儒家思想の「六藝」から、近代西洋のアートの概念が導入されて以降の変容について述べた。とりわけ重要なのは、伝統芸能が、アートの定義に収束されず、アカデミック世界に排斥され、「学問的なキッチュ」となっている事情である。そこで日本の土着の民族・民俗文化などに対する美学的な検討が十分行われていないこと、また青木氏の研究の意義が一層明白となった。また青木氏による東アジアの藝術思想の特色に関して、「藝術家に於いて美的人格(=藝術的能力)と歴史的人格との深い並行関係を想定し、藝術的実践を通じて全人格の向上を期待する点にある」と述べた。
 上記のコメントを踏まえ、総合討論では西洋の芸術理論との対話可能性や、環境もしくは雰囲気の美学の現代における展開と意義といった質問に対し、青木氏はさらに具体例を取りながら詳細に論を展開した。氏の美学思想のあり方に関しては、人間としてただ生きるのではなく、その人間らしさをこそ求めるべきだ、という回答の言葉によって概括されうるであろう。

報告者:丁乙(EAA特任研究員)