神奈川県鶴巻温泉の旅館「元湯 陣屋」(以下:陣屋)。その4代目女将が宮崎知子さんです。夫と共に経営を引き継ぐことになったのは今から10年前の2009年。宮崎さんは突如、創業100年を超える老舗の舵取りを託されることになりました。
就任当時は10億もの負債を抱え、半年後には倒産しようかという窮状。そんな崖っぷちから、わずか3年で経営を立て直した宮崎さん。さらに、週休3日制や有休完全消化など、従来の旅館業ではあり得なかった働き方改革にも取り組んでいます。
古参の従業員からの戸惑いや反発もあったなか、宮崎さんはどのように老舗旅館の変革を成し遂げたのでしょうか? 苦闘の日々について伺いました。
サラリーマンの妻から、いきなり「女将」へ
宮崎知子(以下、宮崎) 2009年の10月に陣屋の事業を先代から継承し、夫が社長、私が女将に就任しました。義父が急逝し、義母が体調を崩してしまったことで、急きょ長男である夫が継ぐことになったわけです。当時、私は2人目の子供を出産した直後。産後2カ月で、女将として仕事を始めるような状況でしたね。
宮崎 夫はもともと本田技術研究所のエンジニアでした。大学も理系の学部で大学院まで進学し、そのまま本人の希望通りエンジニアとして好きな研究の仕事に従事していましたから、義両親も当初は息子に陣屋を継がせることを想定していなかったようです。私もあくまで「ホンダの社員」と結婚したつもりでおり、まさか夫が旅館を継ぎ、私が女将になるなんてことは全くの想定外でした。
宮崎 商売をしているので借入金があるのは普通ですが、額が尋常ではありませんでした。というのも、義父が当時は上場企業の社長も兼務していたため、その信用力ゆえに高額な借り入れができたんです。でも、義父が亡くなり、その後ろ盾がなくなったことで金利を上げると言われたら、おそらく半年で焦げ付くだろうという状況でした。
宮崎 雇用している従業員もいますし、ほったらかしにするわけにはいきません。もちろん、当初は売却も考えました。ただ、リーマンショック後ということもあり、どこも条件は非常に厳しかったです。運営権を買っていいというベンチャー企業もありましたが、経営権だけを譲渡し、破綻の責任はこちらが被るというもので、極端な話「明日不渡りになります。すみませんでした」と突き放される可能性もあるわけです。
それなら、まだ自分たちでやった方がいいだろうと。経営がダメになったとしても、幕を引くのなら自分たちで……と考えました。うまくいかない可能性の方が高いと思いましたが、やるからには最善を尽くそうと。
「情報共有のIT化」と「マルチタスク化」を目指す
宮崎 現場の従業員はとても一生懸命なのですが、それが生産性に結び付いていませんでした。根本の原因は、情報の伝達が全て紙のメモや資料の受け渡しによるやりとりだったため、従業員同士の連携がうまくとれていなかったことです。
何でも紙に書きコピーして配るといったやり方だと、同じことを何度も繰り返し書いたり、新しい情報が更新されるたびにメモをしたりしないといけませんよね。それに、スタッフが何十人もいると、ちゃんと全員がメモをしてくれているとも限りません。結果、言った・言わないの押し問答に無駄な時間が割かれたり、それによって従業員の間に殺伐とした空気が流れたりと、あまりいい状況ではありませんでした。
宮崎 例えば、旅館に到着されたお客さまの情報は、接客のご案内係やフロントが最初に取得します。本来はそこからスムーズに全従業員へと拡散されるべきなのですが、フロント係はチェックインやお客さまをご案内する業務があり、共有がどうしても後回しになる。すると、接客の夕食係や清掃のスタッフは、ギリギリまで出てこない情報にやきもきします。素早く情報が共有されていれば、先回りして準備しておけることもありますからね。
接客係の従業員はホスピタリティが高いからこそ、自分の裁量で仕事をコントロールできないことに大きなストレスを感じてしまうんです。
宮崎 情報の格差がなくなったことで、指示待ちの人間が劇的に減りました。また、システムの導入と並行して着手したのが、従業員の「マルチタスク化」です。それまでは「布団を敷く係」「部屋へ案内する係」など自分の持ち場のみをこなす形だったため、人数は多くても、そのリソースを十分に活用できていませんでした。各々の専門領域は磨かれていくものの柔軟性がなく、例えばフロントがチェックインで忙しい時間帯にもかかわらず、手すきの人間が出てしまうような状況だったんです。
宮崎 はい。まれに20組のご予約中15組のお客さまが同じ時間に集中していらっしゃるなど、フロントが恐ろしく多忙になることがあるのですが、そんな時でもパニックにならず質の高いサービスを提供するためには、従業員のマルチタスク化は欠かせません。
iPadでつぶさに状況を共有し臨機応変に手助けを要請できる仕組み、そしてマルチタスク化によって、館内のマンパワーを適切に采配できるようになりました。
決めたルールを曲げず、分かってもらえるまで伝え続ける
宮崎 とにかく、ひたすら伝え続ける。これだけですね。確かに、高齢の従業員に「陣屋コネクト」のシステムを使ってもらうのは苦労しましたし、本当に慣れてもらうまで2年以上はかかったと思います。それでも、丁寧に伝えていけばちゃんと使えるようになる。ただ、それには同じことを30回くらい聞かれても、笑顔で対応する根気が必要です。
宮崎 もちろん不満や戸惑いの声はありました。ただ勤怠管理もシステム上で行う仕組みにしてからはログインして出勤ボタンを押さないと給料が発生しないため、全従業員が使うようになりました。他にも、各種申請書類も社内SNSを介して受理するルールを作り、当初は半ば強制的にシステムを使ってもらうようにしていましたね。
紙の申請書類は頑なに認めなかったので、反発を受けたり、時には泣かれてしまうこともありました。でも、そこで受けとってしまうと抜け道の前例ができてしまいます。申請書類のフォーマットは問わないし、数行の箇条書きでもいいから、新しいルールに則ってくださいと。そこは強い気持ちで、絶対に曲げませんでした。
宮崎 そうですね。現状はうまく情報共有ができていないためにお客さまにご迷惑をおかけしていること、また、そもそも経営状況がピンチで、今までのやり方を大きく変える必要があることも包み隠さず伝えていました。当初はあまりその切迫感が伝わっていなかったようですが、私たちが従来のやり方を次々と変えていったことで従業員にも「他人事じゃない」という意識が芽生えていったように思います。
もちろん私たちの方針を受け入れてもらえず、残念ながら退職に至るケースもあれば、変革を快く引き受け、業務の範囲をどんどん広げてくれる従業員もいました。本当に歯車がかみ合い始めたのはここ数年ですね。それまでは日々トライ&エラーの繰り返しでした。
宮崎 陣屋コネクトを使い始めて数年がたち、現場もそれなりにシステムを使いこなせるようになってきました。一方で、こなれてきたがために現場から改善要望が上がらなくなってしまったんです。エンジニア出身の夫としては、陣屋コネクトはまだまだ未熟なシステムで、ブラッシュアップする余地はあると考えていたようです。
そこで、外部の方にも使っていただき、忌憚のない意見や要望を吸い上げることでさらにシステムを発展させられますし、それがひいては陣屋のサービス向上にもつながると考えました。当初は夫がキャンピングカーで地道に全国を回って営業し、現在はホテルや旅館、結婚式場など300以上の施設でご利用いただいています。
旅館業では例のない、週休3日制
宮崎 疲れてしまって……。就任から3年間ほとんど休みがなく、気が休まることがありませんでしたから。それに、合理性、生産性を突き詰めるなかで疲弊しながら頑張ってくれた従業員の方々にも、何らかの形で報いたいと考えていました。賃金も少しずつ上げてはいましたが、黒字化したばかりで財政的にもまだまだ脆弱でしたので、十分に還元できているとは言えない状態。ならばせめて、お休みを増やそうと。そこで、2014年から週休2日制を取り入れ、2015年に有給休暇の完全消化、2016年には週休3日制へと移行しています。
宮崎 満場一致で喜んでくれました。せっかく黒字化したのに大丈夫かと、メインバンクの担当さんは心配されていましたけどね。
宮崎 週休2日制を取り入れた初年度こそ売り上げが頭打ちになりましたが、翌年から順調に回復し、利益については問題なく推移しています。というのも、もともとお客さまが少なかった火曜と水曜を定休日にしたため、売り上げが大きく落ちることはなかったんです。
ただ、火曜を休みにしても月曜日にも宿泊を受け入れると誰かが火曜日に出勤をしないといけなくなる。そこで、2016年からは月曜日も休みとした週休3日制にしました。月曜日はランチまでは実施していますが、丸2日は休めることになります。
まとまったお休みがとれることでプライベートの計画が立てやすかったり、生活のリズムを整えやすいという効果もあって、結果的に労働意欲や生産性が増したようにも感じます。
宮崎 子供の幼稚園の行事に参加しやすくなりましたね。じつは上の子の時にはほとんど参加できなくて、幼稚園のこともよく分かっていませんでした。それでも、周囲の保護者さんたちが優しい方ばかりで、たまにお会いしたときに園の状況や子供の様子などを事細かに教えてくれたんです。その恩返しのためにも、週休2日制になったタイミングで、幼稚園で毎年開催しているフェスティバルのリーダーを引き受けました。最初の一年は、全ての定休日をそれに捧げましたよ。
宮崎 そうですね(笑)。でも、そういう幼稚園の活動って、どうしても専業主婦や専業主夫の方に負担が偏りがちなんです。逆に働いている人も、他の方にお願いばかりしている負い目を感じてしまうこともあると思っていて。そこで、仕事をしながら幼稚園の行事に参加できるやり方を確立したいという思いもあり、引き受けることにしました。
宮崎 最も重視したのは、最初に決めたスケジュール以上は絶対に活動日を増やさないこと。そのためにも、途中で余計な制作物を増やすことはやめましょうと。なるべく負荷をかけず、決められた日程の中で可能な内容に収めることが大事だと考えました。
同時に、フェスティバルをよりよいものにするためのアイデアもみんなで考えていきました。例えば、それまでは一方通行だったバザーの順路を変え、いろんなお店を自由に回遊できる配置にして収益性を高めるといった試みですね。
あとは、それまでは手順書がなかったので、次の保護者さんたちの参考になるよう私たちのやり方をパワポの資料にまとめたりもしました。使う・使わないは別として、とりあえず困った時の助けになればということで。
宮崎 いえ、決して楽しくはないんですけどね(笑)。ただ、何事も合理化したい性格ではあるかもしれません。デパートで買い物するときも、一番上の階から同じ通路を通らずに無駄なく買い物するプランを考えるのはけっこう好きです。
宮崎 やはり、従業員が働きやすい環境を整えることが何より重要です。現状は「女将さんまだまだです。もっとやってください」と思っている人がたくさんいると思いますし、働き方や賃金を含めた労働環境をより良いものにしていかなければなりません。
また、陣屋のような単体の旅館は転勤や大きな人事異動がないため、人がマンネリ化しやすい。そこで、常に新鮮な気持ちで仕事に向かえる場を作ること、新しいチャレンジを続けることも経営側の役目です。今、陣屋コネクトを通じて全国の旅館や観光施設とリソース交換をしているのも、今までになかった旅館の価値を生み出すヒントになっているのではないかと思います。
取材・執筆/榎並紀行(やじろべえ)
撮影/小野奈那子
お話を伺った人:宮崎知子さん(「陣屋」4代目女将)
元湯 陣屋
※宮崎知子さんの「崎」は立つ崎(たつさき)が正式表記となります