2008年にはじまった、NHKの人気番組『ファミリーヒストリー』。芸能人たちのルーツを信じられないほどのリサーチ力で調べ上げて、本人すら知らなかった事実を次々と明らかにしていく。

 

番組では先人たちの壮絶な人生が語られる。

第1回のルー大柴さんの回でボロボロ泣いたし、戦争の時代に命をつないだ方たちの姿を見ていると、背筋が伸びた。「くるり」のEDテーマをBGMに、芸人さんが真顔でVTRを見つめる姿も好きだった。

 

このファミリーヒストリーだが、リサーチの手法や番組製作の舞台裏は、あまり語られていないのも事実だ。


筆者である私はテレビ番組で扱う情報を集める「リサーチャー」の一人なのだが、同業者から見ても『ファミリーヒストリー』の調査力はすごい。古くは明治や大正のことから、遠く海外のルーツまで調べ上げてしまう。

 

そんな驚異的な番組は、一体どのように作られているのか? 番組立ち上げメンバーにして番組企画の考案者である、NHKエンタープライズ所属のプロデューサー・小山好晴さんにリモートでお話を伺った。

 

『ファミリーヒストリー』を企画し、番組を引っ張ってきたプロデューサーの小山好晴さん

 

ほぼ事前情報なしでオファーする

辰井「『ファミリーヒストリー』は、私がテレビ業界に入った2008年に始まった番組なので思い入れがあります。『テレビの仕事をしていると(疲れて)テレビを見たくなくなる』はあるあるだと思いますが、それでも見たくなる数少ない番組でした」

小山「ご覧いただき嬉しいです」

辰井「色々と伺いたいのですが、まず『ファミリーヒストリー』がはじまったきっかけはなんですか?」

 

小山「私の妻のお父さんが亡くなる直前に、病室で自身の生い立ちを話しはじめたことがあったんです。それを聞いていくと、一般の方が生きた歴史こそがとても興味深いことだとわかって。ならば芸能人の方のご家族の歴史を覗かせていただいて、市井の日本人のルーツをたどることが面白いんじゃないかなと、この番組を企画しました」

辰井「ご自分の体験からとは……」

小山「あとは映画の名作『ゴッドファーザー』も、いわば家族史の物語なんですよね。ほかに読んでいた小説作品も『家族のルーツ』をたどるものが多くて、『家族史はテーマにできるのでは?』と思ったこともありました」

辰井「なるほど。番組ではこれまでに、そうそうたる方々がご出演されています」

【これまでの代表的な出演者 ※敬称略】

北野武、志村けん、萩本欽一、星野仙一、オノ・ヨーコ&ショーン・レノン、加山雄三、坂本龍一、山中伸弥、三木谷浩史、西田敏行、樹木希林、古舘伊知郎、宮本亞門など

 

辰井「お名前がすごすぎてびっくりなんですけれども、キャスティングはどう行うんですか?」

小山「この番組の認知度が上がり、おかげさまで興味を持っていただけることも増えて。何年か前に断られても、諦めず再オファーした結果、ついに応じていただけることがすごく増えています」

辰井「番組が信頼されている証拠ですね」

小山「あとは『出たい』と言ってくださる方のお話が僕のところに入ってきて、『じゃあお願いしてみましょう』ということもよくあります」

辰井「志村けんさんや北野武(ビートたけし)さんまで出ていますからね。2011年に放送された、浅野忠信さんの回も話題になりました」

小山ご先祖がネイティブアメリカンだと思われていた浅野忠信さんが、オランダ系の血を引いていたことがわかった回ですね。そんな話題の回がきっかけで、出演者の輪が広がっていく手ごたえを持っています」

辰井「評判を聞きつけて」

小山「ええ。ただ、我々は毎回勝負してやっています。どんな話を発掘するか、ディレクターも含めて必死にやっているので。それを受け入れていただいていると思っています」

辰井「そこの『どう調べているのか』がすごく気になっているんです。テレビ制作の現場だと事前の下調べをして、ネタがありそうな方を見つけてオファーすることが多いですが」

小山「よくそれは聞かれるんですけれども、ほぼ何もアテがない状況から調べます

辰井「えええ~!? 最低限のネタの担保も無いなんて……ふつうの制作陣であれば、すごく怖いことですよね」

小山「第一回のルー大柴さんに関しては、『祖父は満洲帰りで、大きな時計屋をやっていた』というインタビュー記事の1行を読んでオファーしました。でも、ほとんどの回では何もわからない状態からスタートします

辰井「インタビューの1行からでも十分すごいですよ。あれだけリサーチ勝負の番組なのに……。勇気のある制作方法ですね」

 

基本は「ディレクター1人で調べる」

実際の取材風景。各地にスタッフが足を運び、地道に調査する

 

辰井「ファミリーヒストリーではどんな方が、どうリサーチしているかが気になります」

小山「基本的には、ディレクターがひとりで調べます。部分的にリサーチャーやADが手伝う形ですね」

辰井「驚きです。多くのリサーチャーさんが手分けしてやっているのかと思いました。通常の番組はディレクターさんってそんなにリサーチせず、ADさんにお願いすることが多くないですか?」

小山「そうなんですが、ひとりのディレクターがやったほうがより深い取材ができる感触があるので」

辰井「あの膨大な調査を……。リサーチのノウハウはみんなで共有するんですか?」

小山「戸籍や軍歴を調べる手続きの方法は共有しますし、外交史料館や国会図書館など、ここに情報がありそうだとか、この専門家さんに聞いたほうが良さそうだとかは把握しています。ただし取材自体は、ひたすら足で稼いで話を聞き、古い書物を探すものですから……」

 

小山「一番のノウハウは根性です」

辰井「根性! 基本的なものは共有しても、地道な調査が下地にあるんですね」

小山「古い話は特にまとめられていないことが多いので、足で稼ぎます。ただいつ事件や出来事があったかをよく新聞で裏付けするんですけれども、何年何月号のことなのかわからないまま探すことがよくあるんです」

辰井「大変だ……!」

小山「そのときはADやリサーチャーさんに行ってもらって、国会図書館で何日間もカンヅメになることもありますね」

辰井「苦労が身に染みます」

 

ハデな情報が出てこない……。そんな時はどうする?

辰井「番組を作る上でのピンチはなんですか?」

小山いちばん困るのは、情報が出てこないことです。派手な歴史のあるご家族は必然的にいろんな事実が浮かび上がりますが、そうでないご家族もあるわけで。ふつうに生きていて、表立った大事件はないこともあります」

辰井「そんなご家族も多いかもしれませんね……そういうときはどうするんですか?」

小山「目線を変えて、よりご家族の話に深く入っていきます。父母や祖父母がどう生きてきたか。兄弟間で何があったか。地域でどんな自然災害があったか。派手ではないご家族になるほど、より深い取材が必要です。その結果、個人的な深い絆のようなものが見つかることがあります

辰井「個人的な話ほど、奥に埋もれていそうですね。どんな例がありますか?」

小山「ある方の回で、ご本人が思っていた家族の歴史がことごとく違っていたんですよ」

辰井「ええ?」

小山「祖父が鉱山主だったとか、お金持ちの商人だったのに事件で一文無しになったとか。言い伝えを調べたら、まったくそんなことはなくて。そこで頭を抱えたわけですよ。放送時間を短くしようかと思ったくらいに追い詰められて」

辰井「私も仕事でリサーチするからわかりますが、無いものは無いですもんね……。普通の番組なら事前のリサーチをするので、大事故は防げますが」

小山「でも諦めかけたとき、親戚の女性が、今まで誰にも話していなかったお父さんとお母さんの結婚のなれそめを教えてくれたんですよ」

辰井「おお……!」

小山「2人は大恋愛だったんですが、実はそこにもう一人お父さんのことを好きだった女性が絡んでいたんです」

辰井「三角関係?」

 

小山「いえ、その前にお父さんはその人と結ばれるはずだったのが、戦争によって引き裂かれて、戦後お父さんは違う女性と結婚したんですけれども、そのお母さんは、引き裂かれた女の人とも知り合いだったんです」

辰井「悲しくも数奇な運命ですね」

小山「ほかのご家族は知らない、1人だけが知っていたようなことが出てくるんです。人が結ばれるにもいろんな経緯やいきさつがあって、大きな物語になっているんだなと。派手で大きなできごとはなくても、目線を変えれば何かがあると実感しています

辰井「目立つ人生でなくても、物語がある」

小山「深い取材で乗り越えていくことをいつも心がけています。大変ですけれども、結果としてはすごく心温まる物語があることが多いです」

 

「We must live(生きていかなければ)」

辰井「そうして番組を苦労して作り上げられて、放送回は160を超えました。小山さん自身が、もう一度見たい回はありますか」

小山「全てを全力で作りますから、全部に思い入れがあります。ですがこの番組、ときどき制作陣の想像を超えていく回がありまして、それがターニングポイントになるんです。その典型例が、落語家の桂文枝さんの回でした」

辰井「どんな回ですか?」

小山「文枝さんのお父さんは、戦争で病気になり亡くなられていました。ですが取材の際に、ずっと見つからなかったお父さんの遺骨が発見されたんです

辰井「おおおっ!!!」

小山「番組の中で、文枝さんにそのお骨と対面していただき、大泣きされて。大きな事実が番組の取材で出てきたことに、我々も視聴者の方とともに驚いたんです」

辰井「番組をきっかけに、なかったはずの再会が……」

小山「この回の話を松本人志さんがツイートしてくれたり、笑福亭鶴瓶さんがラジオで語ってくれたりと反響がありました。そんなことが番組で起こる可能性があると知っていただけたのも嬉しいですね」

 

辰井「全ての回を本気で作るからこそ、そういう回に巡り会えるのかもしれませんね。小山さんが特に嬉しい反響のあった回はありますか?」

小山「ミュージシャンの森山良子さんの回のことでした。お父様はアメリカ日系人移民として戦前に日本へやってきたのですが、戦争が起きてアメリカへ帰れなくなり、日本で戦争中も生きぬかれたんです

辰井「アメリカで生まれ育った人が、太平洋戦争中の日本で生きる。想像を絶しますね」

小山「彼は、ふたつの祖国で揺れ動きます。戦後は、日本でどう生きるかに悩む中で、息子(※森山良子さんの兄)が病気で亡くなってしまうんです」

辰井「苦しみが折り重なっていく……」

小山「でもそこでお父さんが言った言葉が、『We must live(私たちは生きていかなければならない)』だったんです」

辰井「生きていかなければならない」

小山「はい。番組で紹介したら、激動を生き抜いた森山さんのお父さんの言葉に勇気づけられたと、娘さんを亡くしたお母さんからお手紙をいただいて。番組に何かを感じて見ていただけることに、すごく手ごたえを持っていますね」

辰井「森山さんの名曲『涙そうそう』は、戦後に亡くなったお兄さんを思った歌だったんですよね。番組からは、『生きていかなければならない』というメッセージをすごく感じます」

 

出演者が口々に言う「パズルが埋まった」

辰井「印象に残っている出演者さんのお言葉はありますか?」

小山『パズルが埋まった』です。いままで解けなかったパズルのピースが埋まって、ここで合致したみたいなことを、何人もの方がおっしゃっているんですよ」

辰井「みなさん、そのフレーズを使っているんですか?」

小山「ええ。ルーツはわかっているようでわからない場合がほとんどですから、モヤモヤしていたものが解明されたと言ってくださる方が多くて」

辰井「いつか知りたいと思っていたことですからね」

小山「例えば米米CLUBの石井竜也さんは、ご先祖が米問屋で、お祖父さんは芸術を愛し、お父さんは俳優を志したり、代々絵を愛したりと、石井さんの多彩な活動に重なっていました。石井さんは『パズルのようなピースが集まって俺の顔の肖像画ができる。この番組は俺の肖像画だと思いました』と仰ったんです」

辰井「全ての先祖のピースが重なって、子孫を形作っていると」

小山「ええ。あとは『呼ばれている』とよく言うんですよ。巡り合わせで偶然この番組に出ることが、『先祖や両親に呼ばれてこの番組に出たんじゃないか』と」

辰井「ルーツとの対話ですね」

小山「収録日がお父さんの命日だったり、はじめて見る写真に自分と同じポーズを撮った写真があったり。予期していなかったものを、出演者さんが感じてくれるのがすごくうれしいですね」

辰井「それは、何かを感じるのもわかります」

小山「あと皆さんが覚悟のようなものを持って出演していただいているかもしれません。だからみんな変な緊張をすると言っていて。司会の今田さんもよくそれを言います」

辰井「自分の存在が生まれるまでのプロセスと理由を、そのまま番組としてさらけ出すわけですからね」

小山「現MCの今田さん自身に出ていただいた際も『こんな緊張ない』と。うちの番組に出たことは出演者の皆さんがみんな覚えてくれていて。それがすごくありがたいですし、醍醐味です」

 

現MCの今田耕司さん(写真右)。彼自身も2013年10月4日放送回で出演経験がある

 

辰井「人が生きることについて、視聴者としてすごく教わることが多い番組です。小山さん自身、この番組が伝えているものは何だと思いますか」

小山「ルーツの中にいる先人たちが懸命に生きてきたことです。ルーツはどうであれ、ルーツの人たちも懸命に生きていて、そこはいまの世代も変わらないですから。芸能人の方に限らず、みんな厳しい時代をくぐり抜けた。そんな普遍的なことが伝わっていればいいと思っています」

 


 

途中で電波のトラブルがありながらも、終始真摯にお答えいただいた小山さん。時おり言葉に力が入る姿には、人のルーツをあずかる者としての覚悟を感じた。

先人が必死で生き抜いてきたことを番組で教わったように、私も後世の人へ胸を張れるように毎日に懸命に生きたいと思う。

 

【番組情報】
『ファミリーヒストリー』
NHK総合/月曜 午後7時30分〜
※詳細はHP