「志村けんのギャグはマンネリ」と批判していた人に、本人がしていた納得の反論【メメント・モリな人たち】

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「コロナが憎い」

 つらかったのはドリフのメンバーも同様だった。

「ドリフの宝、日本の宝を奪ったコロナが憎いです」というコメントを出したのは加藤茶(80)。

 仲本工事(1941~2022)は「ドリフも順番に逝く年になったとは思ったけど、一番若い志村が長さん(いかりや長介=1931~2004)の次になるとは……。非情に悔しいです」と話した。

 高木ブー(90)は「志村早すぎるよ、俺より先に逝くなんて。また一緒にコントをやりたかったのに」とのコメントを寄せた。

 実はこのころ、志村は初の主演映画「キネマの神様」の撮影が予定され、私も取材の準備を始めていた。2020年1月24日、松竹から正式に発表があったのを受け、社会面に記事を書いた。

《松竹は24日、山田洋次監督(88)の89作目となる新作映画「キネマの神様」を製作すると発表した。コメディアンの志村けんさん(69)と人気俳優・菅田将暉さん(26)がダブル主演する。原田マハさんの同名小説が原作で、映画撮影所で働く人々の夢や挫折、その後の人生を描く。松竹によると、志村さんが映画に出演するのは「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年)で炭鉱労働者を演じて以来、21年ぶり》(註:年齢は当時)

 山田洋次監督(91)は役者としての志村の才能を高く評価し、「ぜひ僕の映画に出てほしい」と志村にお願いしていた。担当プロデューサーも何度も志村の元を訪れ、直談判。志村はなかなか首をタテに振らなかったが、ようやく実現した映画だった。

 悲報を聞いた瞬間、全身が震えるほどの驚きだったという山田監督は、こんなコメントを発表する。

「『キネマの神様』の出演辞退でがっかりしていたぼくにとって、言葉を失うほどの衝撃です。志村けんさんは日本の喜劇の世界の宝でした。その存在がどれほど貴重だったかを、彼が少しでも自覚して健康に留意してくれていたら、と彼の早死が口惜しく、残念で残念で仕方ありません」

 数々の有名人の死に接してきた山田監督だが、これほどの無念な思いでコメントを寄せたことはなかったのではないか。志村の訃報は国境を超え、海外にも伝えられた。

 志村と1988年から1年間、「加とちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(TBS)の構成作家として仕事を一緒にした江戸川大教授でお笑い評論家の西条昇さん(59)は話す。

「志村さんは、コントで見せるバカバカしさとは打って変わって、真剣な表情で一点を見つめ、静かにギャグを考えていらした。何より驚いたのは、その勉強熱心な姿勢と、それに裏打ちされたギャグの貯蔵量の多さだった」

 ここで志村の経歴をたどってみよう。

 1950年2月20日、東京都東村山市生まれ。故郷は一面の桑畑と雑木林だった。お笑いの道を子どもの頃から志した志村にとっての楽しみは、自宅のテレビから流れる漫才や落語。小学校の教頭で厳格だった父が一緒に笑い声を上げて見ていたこともあり、それには驚いた。

 高校卒業直前、ドリフのリーダー・いかりや長助を訪ねた。2月の雪の降る日だった。いかりやの自宅マンション前で、何と12時間も帰りを待ち続けたという。

 冒頭にも書いたが、74年、荒井注に代わってドリフに正式加入。私は当時のことをよく覚えているが、懸命に動き回る熱演を見せるも、志村のキャラクターは世間一般にはなかなか浸透しなかった。先輩方に遠慮していたのだろうか。ブレイクするきっかけは先述したように、2年後の76年、「東村山音頭」である。

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