もうずっと尾崎亜美でいたい 喪失からの再生 母の死「曲が降りてこない」最大の危機

 松田聖子の「天使のウインク」、杏里の「オリビアを聴きながら」などの提供曲や「マイ・ピュア・レディ」などのヒット曲で知られるシンガー・ソングライターの尾崎亜美(65)が21日に大阪・なんばHatch、23日に東京・EXシアター六本木、27日に名古屋・ダイヤモンドホールでコンサートを行う。昨年、デビュー45周年を迎えた尾崎が、直前に迎えたキャリア最大の危機や、ツアーへの意気込みを明かした。

 45周年に記念アルバム「Bon appetit」を発表し、夫の小原礼、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆というレジェンド4人のバンド「SKYE」との記念ライブも行った尾崎だが、そこに至るまでに「デビューしてから一番の試練だったかもしれない」という危機に直面していた。

 音楽活動しながら介護していた母が2019年2月に死去。「時間がなくても(音楽を)生み出していくようなエネルギーの作り方が癖になっていたから、(介護がなくなった分)楽になったら、あれ?ってなってしまった。生き方が分からなくなった」。曲が降りてこないのは「初めての経験」だった。

 「創作意欲はあるけど降りてこない状態が続いて、何かを失ってしまったんだろうか?っていうような不安の中にいた。曲の作り方は知ってる。でも、駆り立てるような思いみたいなもの、満ちあふれてくるようなものは1年半ぐらい待ったかもしれない」

 背中を押された要因の一つはコロナ禍だった。「みんな今、何かを失った気持ちになっているのではないか。そういう時に音楽という言葉で皆さんと話してきた、メッセージも続けてきた私が『曲作れなくなっちゃった』って言ってる場合じゃない。そこ(喪失)からの立ち上がり、もう一度音楽っていう言葉でちゃんとお話ししよう。この思いも描かないといかんって思った」と振り返る。コロナ禍の学びから「曲を作る気持ちがまた盛り上がって」生まれた。

 もともと、東日本大震災の時から「(喪失を)どういうふうに自分は見つめてきたか、どういうふうに越えてきたか描かなければいけない」というテーマは強くあったという。

 「それなのに母の死で、どうやって曲って作ったらいいんだろう?ってなっちゃった。本当にぺっちゃんこになってからの再生だった。私ね、尾崎亜美やってて初めて尾崎亜美じゃなくなるかもしれないと思いました。曲書かない尾崎亜美、尾崎亜美じゃないんですね、私の中では。良かった、戻って来られて。尾崎亜美に戻れたー!と思って。もうずっと尾崎亜美でいたい」

 今回のツアーの裏テーマは「あなたの心のそばに私は行きたいよー」だ。「コロナ禍でまだまだ大変な思いをしている人もいるし、そばにも寄れないような距離感も大切にしないといけない。だからこそ、すごく心のそばに寄り添いたい」と説明。「そのために何ができるかなっていう作戦はすごい考えている」と知恵を絞って、秋のステージを迎える。

 ◇尾崎亜美(おざき・あみ)1957年3月19日生まれ、京都市出身。76年、シングル「冥想」でデビュー。シンガー・ソングライターとしての代表曲に「マイ・ピュア・レディ」「蒼夜曲」など。デビュー3年目から楽曲提供を始め、代表曲に「オリビアを聴きながら」「天使のウィンク」「ボーイの季節」「伝説の少女」など。97年にサディスティック・ミカ・バンドなどのベーシスト・小原礼と結婚。今年、銀婚式を迎えた。

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