野中広務氏が死去…沖縄への思い、常に弱者に寄り添っていた人
官房長官や自民党幹事長などを歴任した元衆院議員の野中広務(のなか・ひろむ)氏が26日午後、京都市内の病院で死去した。92歳だった。83年に57歳で中央政界入り。村山内閣で初入閣し、阪神・淡路大震災、オウム真理教のよる地下鉄サリン事件への対応で指揮を執った。小渕内閣で官房長官を務め自自公連立政権樹立に尽力。2003年の政界引退後もメディア出演など精力的に活動。04年4月から07年3月まではデイリースポーツでコラム「老兵が吠える」を連載し、鋭い視線で世相を斬った。
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野中さんが政界引退した直後の2004年3月から3年間、「老兵が吠える」を担当させてもらった。
“影の首相”とまで呼ばれた大物政治家。しかし、その鋭いまなざしとは対照的に、偉ぶるところはなく、その人柄は気さくだった。戦争の犠牲となった沖縄への思いをはじめ、常に弱者に寄り添っていた人だった。
連載が終了してからも野中さんとの付き合いは続いた。毎年、野中さんの誕生日の10月には京都の事務所へ伺った。行けば必ず食事に誘ってもらっていた。独身の記者に「結婚はしたのか?」と気にかけてくれるのも毎年恒例で、実際に紹介されたことも。ただ、秘書の方に「先生、その分野は得意ではないんですけどね…」と耳打ちされたが…。
昨年も誕生祝いに事務所に伺う予定だった。折悪しく衆院選の最中だったため、一段落した12月に伺う約束だったが、その数日前に倒れて入院。結局、会うことはかなわなかった。
なぜもう少し早く行かなかったか…、悔やまれてならない。心よりお悔やみ申し上げます。(デイリースポーツ報道部・赤尾直人)