巨泉さん墜つ 自由な発想でテレビ黄金時代を構築 「11PM」「クイズダービー」

 「クイズダービー」で司会をする大橋巨泉さん((c)TBS)
 在りし日の大橋巨泉さん=1969年1月
 最後のテレビ出演となったテレビ朝日2月4日放送の「徹子の部屋」で、永六輔さん(左)と共演した
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 「11PM」「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」などの伝説的番組を世に送り、テレビの黄金時代を築いたタレントで元参議院議員の大橋巨泉(おおはし・きょせん、本名克巳=かつみ)さんが12日午後9時29分、急性呼吸不全のため千葉県内の病院で死去したことが20日、分かった。82歳。東京都出身。葬儀・告別式は親族のみで行った。喪主は妻寿々子(すずこ)さん。後日、しのぶ会を開く予定。2005年以降、がん闘病を続けていた。

 盟友・永六輔さんの死からわずか5日後、永さんを追うように巨泉さんも長逝した。

 共にテレビの草創期から黄金期にかけて大きな足跡を残し、テレビという新しい文化を創造した巨人。「ギミア・ぶれいく」で共演した司会者の関口宏(73)は「同じ時期の旅立ちには、深いご縁を感じます」と言う。

 テレビ入りのきっかけは英語とジャズ。10代の頃にアテネ・フランセで英語を学び、FENでジャズにはまった。早大在学中の1953年頃からジャズ評論家となり、第一人者に。池間仙也(いけませんや)という人を食った別名もあった。

 53年開局の日本テレビに先輩のつてで出入りし、57年、後に「ゲバゲバ」などを手掛けた伝説のテレビマン、井原高忠さんが作る「ニッケ・ジャズ・パレード」で訳詞を担当。スタジオでテレビ番組制作を学び、構成作家への道が開けた。

 65年スタートの深夜番組「11PM」では企画から司会までこなした。取り上げる話題も政治や社会問題から、当時はあり得なかったギャンブルやお色気まで硬軟自在で、テレビの可能性を拡大。「ウッシッシ…」という独特の笑い、知性と毒舌がないまぜになった、アクの強いアドリブ全開の話術で国民的な人気者にのし上がった。

 70~80年代は競馬を反映したルールの「クイズダービー」、ゴルフ用語を導入した「世界まるごとHOWマッチ」といった自由な発想の番組で次々に大ヒットを飛ばし、テレビの黄金時代を構築。石坂浩二(75)を「兵ちゃん」(石坂の本名は武藤兵吉)と呼ぶなど、出演者との親密さを前面に出す司会も斬新だった。生の面白さにこだわり、編集には懐疑的だった。

 「クイズダービー」で共に司会を務めた小池達子アナウンサー(58)は「大橋さんは司会をしながら演出もした。解答者の性格を把握し、その人の一番面白いところを引き出す話術があった」と証言。関口は「テレビの創成期の立役者。民放らしさをつくり上げた功績は大きなものがあった」と指摘する。

 1990年のセミリタイア宣言後も、時折テレビに顔を出した。2002年のインタビューで「(テレビの)未来は暗いなあ」と懸念していた巨泉さん。今年2月、永さんと「徹子の部屋」に出演したのが、テレビ人生の締めくくりだった。

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