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稲見眞一

沖縄/ 大東島の旅(12)北大東島燐鉱山遺跡(国指定史跡)のトロッコ軌道。

国指定の史跡名勝天然記念物/史跡「北大東島燐鉱山遺跡(きただいとうじまりんこうざんいせき)」。

(詳細解説 文化庁国指定文化財等データベースから転載)

大正8年(1919)から昭和25年(1950)まで,主に化学肥料の原料として重要視された燐鉱石(りんこうせき)を採掘した鉱山遺跡である。沖縄本島の東方約360kmの太平洋上に位置する北大東島の西端部に所在する。明治43年(1910),玉置半右衛門(たまおきはんえもん)が採掘を試みたが取り止めた後,大東島の経営権を取得した東洋製糖株式会社が大正8年(1919)から採掘を開始した。その後,昭和2年(1927)以降は大日本製糖株式会社が経営した。燐鉱石の積み出し量は,大正末期は1万トン前後であったが,その後増産し,第二次世界大戦中の昭和17年(1942)には最大の7万トン台に達した。大戦後,米国軍政府の直轄で採掘されたが,昭和25年(1950)に閉山した。現在も,採掘場,日乾堆積場,トロッコ軌道,ドライヤー建屋,燐鉱石貯蔵庫,積荷桟橋(つみにさんばし),船揚げ場,火薬庫等,燐鉱石の採掘・乾燥・運搬・貯蔵・積出に至る生産施設が大規模に残る。これほど大規模に燐鉱生産施設が残るのは北大東島のみであり,唯一国内に現存するものとして貴重である。我が国近代農業を支えた燐鉱採掘産業の歴史を知る上で重要である。

北大東島の西港近くにその遺跡はあります。

そして先の解説文にある「トロッコ軌道」を求めて今回、この島の土を踏むことにしました。

それにしても各所に残る建物などの遺構。

規模の大きさに圧倒される。

かつての「東洋製糖北大東出張所」を復元し、「りんこう交流館」という資料館になった建物。登録有形文化財(建造物)に指定されています。

展示されている資料は、興味深いものばかりで、時間がどんどん過ぎていきます。

そこにあった燐鉱山の往時を再現したジオラマ。これを見ただけで、トロッコ軌道がどれほど張り巡らされていたかが容易に想像出来ます。

断崖絶壁の上の線路が、ほんの一部だけですが、それが目視できる場所があると、以前にこの地を訪れたかたから聞いていました。それはこのジオラマのどの部分なのでしょうか?見当がつきません。

そして線路跡。見つけることが出来ました。

ほんの数メートルの遺構。

日本の農業を支えた鉄路。感無量。

解説文には「施設が大規模に残る」とありましたが、私が足を踏み入れて良さそうに見えたのはこの場所だけ。これ以上探すには、村役場の了解を得るべきと判断しました。

これを以て今回の南北大東島探訪の目的を達成しました。

もっとも我ながら何をしているのだろうと思わないわけがないとでもしておきましょう。

6月28日の昼食。実は「りんこう交流館」の中に島人酒場トロっこ(しまんちゅさかばとろっこ)があり、そこで焼きそばを食べました。

登録有形文化財の建物で、燐鉱山の資料を見て食事をすると言う、得難い体験。

なお参考までにですが、昼食は一般的な沖縄のランチメニューで、居酒屋メニューは夜のみです。

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