午後からの取材で始めに向かったのは、由宇町の海岸沿いにある通称"ハワイ通り"と呼んでいた場所。この呼び方で合っているのか分かりませんが、今回は子どもの頃に呼んでいた名称で書かせていただきます。
(編集部注)「ハワイ通り」の正式名称は「南沖(みなみおき)親水公園」といいます。
由宇町には灘小学校から転校した小学4年生の夏から高校3年生まで住んでいました。家から歩いてすぐのところに海があり、この海岸沿いのヤシの木が並んだハワイ通りは友達としゃべったり一人で考え事をするにはちょうど良い場所でした。
この日はお天気も良くて堤防の方にも釣り人がチラホラ見かけられます。やっぱり瀬戸内海の穏やかな海は良いですね。
引越をして初めのうちは慣れないことも多かったし、新しい友達が出来たりで変化に順応しようと頑張っていたように思います。今でも仲良くしてくれている友達に出会ったのもこの時期でした。
そして小学校高学年から高校生までの思春期は、何だか色んなことで悩んだり将来のことなどを考えたりしていたなぁと懐かしくなります。
この時期に悩みや不安があったのは将来のこともありますが、一番大きかったのは母の病気が分かって余命が長くないと知ったことでした。
母は闘病の末に私が高校2年生の夏に亡くなって、実際に絵の仕事をする姿を見せることは出来ませんでしたが、将来に向けて頑張れたのは母を安心させてあげたいとか、母に語った夢を実現させるんだとか、そういう気持ちになれたからだと思います。
今は寂しさも乗り越えて、母のことを懐かしく思い返すことができるようになっています。いろんな事があった時期でしたが、あの頃の私はぼんやりと海を眺められる場所が近くにあって随分癒されていました。
瀬戸内海を見るとほっとするのは今でも変わりません。
すずきえりな