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公開日:2024年1月1日 更新日:2024年1月1日
足立区立江北小学校出身で、東京ヤクルトスワローズの清水昇選手に少年時代の思い出や、これからの目標を聞きました。
写真提供:(株)ヤクルト球団
父親が草野球をやっていたんです。そこによくついて行っていたのが野球を始めたきっかけですね。自分も野球をやってみたくなって、小学1年生の夏に区内の少年野球チーム「ジュニアヤンガース」に入りました。当時からずっとピッチャーをしています。
今も両親が区内に住んでいるので、シーズンが終わるといつも報告しに帰っています。僕は18年くらいしか住んでいませんでしたが、生まれたまちですし、帰りたいと思う場所です。
小学校の同級生で、よく一緒にいるメンバーの1人でした。僕が駿台学園中学校に進学したこともあって、高校受験のときに彼から、駿台学園高校(駿台学園中学校と一貫校)について相談を受けました。そのときは「ボクシングをやるには、いい学校だと思う」と答えました。僕は中学生のときに生徒会長を務めていたので、森脇選手から「高校の面接で清水の名前を使わせてもらったよ」と言われました(笑)。彼が駿台学園高校に、僕が帝京高校に進学して入れ違いになってからは、しばらく会えてないな。機会があれば、対談とかしてみたいですね。
いえ、僕はあまり興味がなかったと言いますか、進んでプロ野球の試合を見るタイプではありませんでした。アニメやドラマを見る方が楽しくて、試合が長引いて好きな番組が見られないのが嫌でしたね(笑)。アニメの中でも野球が題材の『メジャー』が好きで、それは毎週録画してよく見ていました。
当時は野球漬けの毎日だったんですが、練習に行くのが憂鬱な日もありました。野球は好きだけど、きつい練習はしたくないな、とか。そういう気持ちのときでも、僕のまわりの大人たちは「三振取れて、すごいじゃん!」とか、褒めて気持ちを盛り上げてくれることが多かったんです。僕の場合は、そういう言葉を原動力に野球を続けられたからこそ、今があるんだと思います。
褒められてうれしくない人はいないと思うんです。ちゃんとやったときは、ちゃんと褒めてあげる。プロになった今、僕が子どもたちに教えるときのスタンスに繋がっています。
例えば「ケーキ屋さんになりたい」とか、そういうのと同じで漠然とした感じだったんですけど、将来の夢の欄にはいつも「プロ野球選手」と書いていました。ただ、学生時代はプロ野球というよりも、「甲子園に出たい」という気持ちの方が強かったです。
中学生のとき、全国大会の帰りに監督が「甲子園を見てから帰るか」と言ってくれて、初めて生で見たのが2011年の日本大学第三高校(西東京)と光星学院高校(現・八戸学院光星高校)(青森)の決勝戦でした。結果は、日本大学第三高校が優勝。甲子園で地元東京代表の高校が全国優勝したというのが、僕の中ですごく大きなきっかけだったんです。「中学校の全国大会に出場できたんだから、甲子園にだって行けるはず」。そのときから甲子園の舞台に立ちたいと、強く思うようになりました。
当時は「甲子園出場」以上のことを考えられなくて、高校を卒業したら野球を辞めてスポーツトレーナーなど、違う道に進もうと思ったこともありました。でも、夢だった甲子園には行くことができなかったんです。だから、そこで燃え尽きることができなくて。本気でプロに行きたいと思ったのはそのときです。「甲子園に出場した選手に勝ちたい」という気持ちもあって、両親に「どうしても野球を続けたい」と伝えました。
高校3年生の夏、甲子園に出場できていたら、もしかしたら今の自分はなかったかもしれないですね。挫折は必ずしもマイナスにはならないですし、何かのきっかけになることもあります。僕の場合、この挫折があったからこそ、「野球でもっと活躍したい」と、目標を新たにすることができました。
1年目は思ったような結果を出せず焦りだけが募っていて、プロに入ったことを後悔するくらいの気持ちでした。僕の場合は「プロに入りたい」という想いが強く、今思い返すと、それで満足してしまった自分がいたのかもしれません。
チームの先輩の石川雅規さん、石山泰稚さんのお2人が僕を特に気にかけてくれたんです。石川さんからは、「ケガをしない限りいくらでも練習できる。練習できなければ強くなれないし、試合にも出られない。試合に出なければバッターに打たれることはないけど、その代わり成績を残すこともできない」と言われました。今もすごく覚えています。ケガをしてしまったら自分の実力を見せるチャンスすらもらえない。1年目のシーズンが終わった秋からは、この言葉を心にとめて、ケガをしない体をつくるために死に物狂いで練習しました。そこから上手くいくようになったと思います。
2年目の2020年は、「投げられるならどのポジションでもやる」という気持ちで挑んだ結果、セットアッパーを任されるようになり、翌2021年にはシーズン50ホールドで日本記録を更新して「最優秀中継ぎ投手」のタイトルを獲得できました。決して自分だけの力だけでは成しえませんでした。支えていただいた周囲の方々に、本当に感謝しています。
2021年、2022年はチームも優勝して、自分も良い成績を残せたんですけど、2023年は自分でも納得のいく結果を出すことができませんでした。この結果を受け止め、今後はセットアッパーだけでなくクローザーなど、いろんなポジションで投げたいですし、またタイトルを獲りたいです。
僕もプロ6年目に突入します。チームが低迷している時にこそ踏ん張らないといけない立ち位置になりつつあります。もっと自分の実力を磨いて、自分の活躍でチームが優勝に近づけるよう、2024年シーズンも全力投球していきます。
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清水 昇(しみず のぼる)27歳 |
※インタビューの内容などは、取材当時のものです。
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