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『松山窯』大聖寺藩 古九谷の系譜 石川県九谷焼美術館企画展

2023年12月24日 05時05分 (12月24日 10時24分更新)
古九谷の青手をほうふつとさせる松山窯の大皿作品=石川県加賀市の県九谷焼美術館で

古九谷の青手をほうふつとさせる松山窯の大皿作品=石川県加賀市の県九谷焼美術館で

  • 古九谷の青手をほうふつとさせる松山窯の大皿作品=石川県加賀市の県九谷焼美術館で
  • 多彩な小皿も見どころ=石川県加賀市の県九谷焼美術館で
 加賀藩の支藩だった大聖寺藩が運営した再興九谷「松山窯」に光を当てる企画展「古九谷の再興-閉窯一五〇年大聖寺藩御用 松山窯」が、石川県加賀市の県九谷焼美術館で開かれている。これまであまり注目されてこなかった松山窯作品の全体像を把握できる貴重な機会だ。
 松山窯は1848(嘉永元)年、大聖寺藩の11代藩主前田利平の治世に藩の贈答用品を作る窯として、領内の松山村(現加賀市松山町)に開かれた。明治維新で民営に移行した後、72(明治5)年ごろに閉窯した。江戸後期は加賀藩や大聖寺藩領の各地で窯が興ったが、松山窯は江戸初期に古九谷を生んだ大聖寺藩の藩窯という点で特別だ。
 企画展では加賀市内に伝わる個人蔵の作品を中心に652点を紹介。松山窯作品は不透明な水色の「花群青」と呼ばれる色味、灰色の素地などに特徴があるが、器全体を緑や黄の色絵の具で彩る絵画性豊かな表現は、いかにも古九谷の青手をほうふつとさせる。
 ところで利平は、10万石の石高を7万石に戻したいと願い出るほど財政難の状況で、なぜ藩窯を開いたのか。開窯17年前にあたる31(天保2)年、領内では古九谷復活を目指して、芸術性高い作品を生産した民営の吉田屋窯がわずか7年で操業を終えていた。このため藩自らが、松山窯を築いて古九谷の再興に取り組んだと、地元では考えられてきた。
 中越康介学芸員は「藩主が公式にイメージした古九谷が松山窯作品だと言える。松山窯を知ることが、古九谷を知ることになる」と話し、古九谷が佐賀・有田産とする「古九谷有田説」の再考を求める。今回初めて、松山窯作品を網羅する図録が刊行された意義は大きい。
 企画展は来年1月28日まで。後期展として約400点を展示している。(小室亜希子)

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