年が明けるといつも思い出す…『星野仙一』数十年前、男はある事務所のソファに座っていた
2023年1月4日 11時45分
◇増田護コラム
年が明けるといつもあの男のことを思い出す。亡くなってはや5年、星野仙一である。今回は本人から聞いた忘れられないエピソードを明かしたい。数十年前の出来事である。
星野はある事務所のソファに座っていた。いや、座らされていたという表現が正確か。男が合図すると、取り囲んでいた数人の若い衆が一斉にブラインドを下ろした。ガラガラという音とともに外光がさえぎられ、冷たい空間が出来上がった。
「あの時はもうあかん、と思ったよ。俺はもう投げることはできんようになるかもしれんとな」
中日の監督になっていた星野は、ドラ番記者だった筆者に述懐した。これまで乗り越えてきたマウンドで数々の修羅場など問題ではなかった。
さて、密室のなか、男は静かに言った。
「あいつを野球ができん体にしてやろうと思っとるんだよ」
事情はこうだ。星野がかわいがっていた若手選手がトラブルを抱えた。ある女性といい仲になったがどんな事情があったのかやがて破局し、父親の知るところとなった。それが目の前の男だった。今で言う反社会勢力を率いていた男の怒りは相当なものだった。その選手は逃げまわり、星野にお鉢が回ってきたというわけだ。
「ああなると腹をくくるしかなくなるもんだな」。自然と星野の口をついたのはこんな言葉だったという。
「分かりました。それで娘さんが喜ぶのならそうしてやってください」
その後の詳しい状況は聞いていないが、やがて星野は無事に解放され、当該選手に危害が加えられることもなかった。
善良な市民だろうと、度胸千両の稼業だろうと、娘の幸せを願わない父親はいないだろう。もちろん娘の悲しみを感じない親も。きっとその男もはざまで揺れていたはずだ。おびえることなく。核心をずばりつく星野の言葉が、怒りに燃える男の心に刺さり、やがて溶かしていったのだと容易に想像できる。暴対法もなく、警察は民事不介入といわれていた時代の話である。
やはり現役時代のことだが、星野は別の選手の結婚にもひと肌脱いだ。父親が古風で頑固。強硬に反対していたが、星野が実家を訪れて直談判して承認を取り付けた。その選手は今でも星野に感謝している。
星野の魅力は、こんなおとこ気だけではない。計算された類いまれな自己プロデュース能力の持ち主でもあった。それがあいまって星野仙一という男をつくりあげていた。この続きは後編で。(敬称略)
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