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「ここまで来たら生涯現役」 舟木一夫さん芸能生活60周年

2022年11月26日 05時05分 (11月26日 17時50分更新)

「流行歌手であり続けたい」と話す舟木一夫さん=東京都内のホテルで

 今年、芸能生活六十周年を迎えた一宮市出身の歌手、舟木一夫さん(77)が本紙の単独インタビューに応じ「ここまで来たら生涯現役しかない」と意気込みを語った。生まれ育った故郷の思い出を振り返った舟木さんは、八十歳の傘寿を迎えた際に「地元で何げないご報告ができたら」との考えを明らかにした。
 一九六三年に「高校三年生」でデビューした舟木さんは六十周年の節目について「めでたいんでしょうけど、好きな歌を歌っているうちに周りから『五十年、六十年ですよ』と言われ、『あれ、そうだっけ』って感じなんですよ。だから特別、何か構えて祝おうという予定はないですね」とあくまで自然体を貫く。
 一宮市の真清田神社では九〜十月、舟木さんのグッズやポスターなど約三千点を集めた展示会が開かれた。「舟友」と呼ばれる舟木さんの熱心なファンが収集したグッズを持ち寄り、全国から四千人以上のファンが訪れるなど、盛況だった。舟木さんはこの展示会について「先日知った。(九月の名古屋市の)御園座でのコンサートのときに知っていたら、たとえ五分でも行ったのに」と悔やんだ。
 デビューから六十年がたった今でも、萩原町の生家跡などに立ち寄って“聖地巡礼”する熱心なファンが多く、舟木さんは「親兄弟にも及ばないような、まっすぐなものを僕らにぶつけてくださる」と感謝する。
 舟木さんはデビュー五十周年の区切りを迎えたお礼に二〇一三年、一宮市民会館でソロコンサートを開いた。今後の地元でのコンサートの予定を聞くと「あと二年で八十歳になる。その時まではとりあえず、なんとかごまかしながら現役をやっていこうと思っている」と述べた。
 その上で「八十歳のときに、自分が生まれ育ったところに行き、そろそろ店じまいしますよ、という意味も含めて、何げない報告ができたらうれしいかな」と明かした。その一方で、「ここまで来たら生涯現役しかない。歌うのをやめたって、何をしたらいいか分からないしね」と笑った。
 舟木さんといえば青春ソングのイメージが強いが、一九九九年発売の「燃えよドラゴンズ!99」のカップリング曲「ロックンロール ふるさと」では、地元萩原町で学校を抜けだしレンゲ畑で遊んだことなど幼少期の体験を歌った。「風も、景色も、生き物も全てね、歌の中に生きてくる。歌の中に出てくる。歌っていると上田(成幸、本名)君に戻る」と話す。
 一宮について舟木さんは「萩原町の少年にとっては都会。お小遣いを持っていかないといけなくて、行けば欲しいものがある場所」。その思いは今も変わらず「東京で仕事しているからといって、一宮市を田舎にはずっと感じない」という。
 あらためて地元に向けて「舟木一夫をやっているのは上田成幸で、やっぱり一宮・萩原町は上田を育んでくれたところ」と感謝し、「年々、感覚的に近くなってくる気がする」とも。「同世代の方々には一日でも長生きしてもらって、とにかく故郷をお願いします」とメッセージを送った。

 ふなき・かずお 1944年12月12日生まれ、一宮市萩原町串作出身。63年のデビュー曲「高校三年生」が大ヒットし、一躍トップスターに。NHK紅白歌合戦には連続9回、計10回出場。119枚のシングルと136枚のアルバムを発売。ドラマ「銭形平次」の主題歌を手がけたほか、「忠臣蔵」などの舞台・映画に多数出演。12月7日にはデビューのきっかけとなった松島アキラさんの曲「湖愁」(こしゅう)をカバーしたシングルを発売する。

「聖地」にファン4400人 真清田神社で展示会

真清田神社の楼門


 一宮市が生んだスター歌手舟木一夫さん(77)は、「尾張国一之宮」とされ、一宮の地名の由来になった真清田神社とゆかりが深い。舟木さんがデビュー直後に大鈴を奉納した縁から、「神社の顔」とも言える楼門の一室で九、十月に、舟木さんのグッズが特別展示され、全国から四千四百人が詰めかけた。最近は舟木さんとご縁があればと、神社で縁結びのお守りを買い求めるファンも増えている。

舟木さんのファンらが真清田神社楼門の部屋で9〜10月に開催したグッズやポスターの展示会=一宮市で


舟木さんが奉納した服織神社の大鈴の持ち手には名前が刻まれている=一宮市の真清田神社で

 真清田神社と舟木さんの関わりは、一九六五(昭和四十)年にさかのぼる。神社境内にある服織(はとり)神社が造られた際、舟木さんが大鈴を奉納した。今も鈴の縄の持ち手には舟木さんの名前が刻まれ、ファンにとって聖地の一つになっている。
 今回のグッズの展示会は、舟木さんの芸能生活六十周年に合わせて、市内外のファン有志十五人が企画。舟木さんとゆかりのある神社の一室を、展示会場として借りられないかと打診したところ、神社側が「舟木さんなら」と逆に楼門内の部屋の提供を申し出た。
 真清田神社の楼門は太平洋戦争末期の一宮空襲で焼失後、一九六一(昭和三十六)年に再建され、一宮の栄枯盛衰を見守ってきた。楼門内の部屋では、神社の外郭団体の書道展や写真展が開かれたりすることはあるが、民間団体に貸し出されることはめったにない。
 塚越啓陽権禰宜(ごんねぎ)(53)は「楼門は一宮市民にとって、戦災復興の象徴。そこで鈴の縁もある郷土のスーパーヒーローの展示を開くのはよいと思った」と振り返る。
 展示会の影響で神社はにぎわった。特に舟木さんのコンサートが名古屋市の御園座で開かれた九月二十二、二十三日には「舟友」と呼ばれる舟木さんの熱心なファンがコンサートの前後に遠方から楼門に足を運び、約三千点のポスターやグッズを熱心に見学。同時に真清田神社の参拝や服織神社の“聖地巡礼”が一緒にでき、好評だったという。

真清田神社が授与している縁結びのお守りと赤い糸=一宮市の真清田神社で

 さらに神社の縁結びのお守りも人気になった。服織神社は一宮七夕まつりの織り姫にちなみ、「縁結びの神様」として親しまれ、二〇一三年から「縁むすび守(まもり)」を授与している。「運命之紅糸(うんめいのあかいいと)」と名付けられ、お守りと二本の赤いひもがセットになり、一本のひもを服織神社内の縄に結び付けると縁が結ばれるという。
 これに注目したのが「チロママ」の名前でブログで舟木さんの情報を発信する一宮市の石黒直子さん(64)。お守りが舟木さんとのご縁や、舟木さんの健康を祈ることにつながることを自身のブログや会場で紹介すると、舟友たちがお守りを買い求めるようになった。
 その結果、お守りの授与数は昨年九月の三十七体から、今年九月には七十四体と倍増した。石黒さんは「地元や神社に貢献できたかな」と語り、塚越権禰宜も「一宮や神社を全国に知ってもらうきっかけになった」と喜ぶ。
 (下條大樹)
     ◇
 二十七日の「尾張まち物語」では、舟木さんの熱心なファン「舟友」や舟木さんを支える地元の同級生らを紹介するシリーズ「一宮・舟友」編をお届けします。

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