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将棋とともに<下> アマ九段の杏林堂名誉会長・渥美さんに聞く

2022年8月29日 05時05分 (8月29日 05時07分更新)
将棋への熱い思いを話す杏林堂の渥美雅之名誉会長=浜松市中区の同社本社で(川戸賢一撮影)

将棋への熱い思いを話す杏林堂の渥美雅之名誉会長=浜松市中区の同社本社で(川戸賢一撮影)

 牧之原市で指される「お〜いお茶杯第六十三期王位戦」(中日新聞社など主催、伊藤園特別協賛)七番勝負の第五局(九月五、六日)で、藤井聡太王位(20)と豊島将之九段(32)の対戦に将棋盤と駒を提供するのは、県内に九十四店舗を展開するドラッグストアチェーン杏林堂(きょうりんどう)薬局(浜松市)の渥美雅之(まさし)名誉会長(88)。史上三人目となる日本将棋連盟のアマチュア九段でもある。長年にわたり将棋の普及に貢献し、第五局の誘致にも尽力した渥美さんに、将棋の楽しさや醍醐味(だいごみ)を聞いた。
 −アマ九段の腕前ですね
 子どもの頃から将棋が好きで、本を読んだり、定跡を勉強したりして覚えた。小学生の頃は戦時中で、本格的に始めたのは戦後。高校で所属していた卓球部の部室に卓球台が二台しかなく、順番を待つ間、机に彫ったます目でよく将棋を指していた。東京薬科大学の学生時代は、東京都内の将棋道場に通い、東京大や早稲田大の選手とよく指した。彼らとは、今でも付き合いがありますよ。
 昨年四月に、日本将棋連盟からアマ九段の免状をいただいた。六段までは実力だったけれど、年を取ると、体力的にトーナメント戦で勝ち切るのは厳しい。今は子どもたちに教えるなど、普及の仕事を一生懸命にやっていて、そのことの評価もいただいている。
 −将棋の楽しさは
 楽しさの一つに「詰将棋(つめしょうぎ)」があって、今、一生懸命にやっている。奥が深く、長くて七百手詰めぐらいの問題もある。解く時は、頭が冴(さ)えますよ。それに、将棋を通じた仲間が本当にたくさんいる。今はメールがあるから、海外も含めて、各地の仲間といろいろな情報交換をしている。
 −第五局で盤と駒を提供する
 将棋盤は、懇意にしていた故・板谷進九段にお願いして、一九七二(昭和四十七)年に届いた。日向産の榧(かや)製で、木を乾燥させ盤を作るのに長い年月がかかり、十年越しで入手できた。駒は、駒づくり名人と言われた故・宮松幹太郎さんの作。御蔵島の柘植(つげ)の木地で、盤覆いには故・大山康晴十五世名人に「忍」の揮毫(きごう)をいただいた。
 −対局を観戦する醍醐味(だいごみ)は
 対局室に入り、十分間でも見学すると、感動しますよ。寂(せき)として声がなく、一手も進まなくても(対局中の)プロの放つ空気がすごい。藤井王位と豊島九段は過去に何回か対戦しているが、かつての大山名人と故・升田幸三実力制第四代名人の対局にも匹敵する最高レベルの将棋を今回も見せてくれると思う。
 −今後の目標は
 世界に将棋を普及させたい。私がスポンサーとなって中国で二〇一六年から「杏林堂杯青少年将棋大会」を開いている。コロナ禍で二年間、中止したが、今年は外務省の日中国交正常化五十周年事業として、八月六〜七日、北京市の在中国日本大使館で開くことができた。一企業として光栄に思う。
 「将棋を世界に広める会」というNPO法人と一緒に普及活動をしている。中国はもちろん、欧州やアフリカ、戦争になる前のロシアとウクライナにも選手がいて、会の人たちが大会のお世話をしていた。
 言葉が分からなくても、将棋のことは通じる。良い指し手を教えると「あ、こんな手があったの!」と。将棋冥利(みょうり)に尽きる。こういうことをやってれば、戦争なんて起きないですよ。 (この連載は酒井健が担当しました)

 <あつみ・まさし> 1934年3月、浜松市生まれ。浜松北高、東京薬科大卒。61年に家業の杏林堂薬局を継ぎ、63年に有限会社を設立。65年に社長に就任し、68年に株式会社化。現名誉会長。将棋では故・広津久雄九段に師事。57年に県アマ名人、64年に全日本アマチュア名人戦東地区大会で準優勝。2021年4月、アマ九段。将棋の普及と発展に努めている。

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