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女性騎手の先駆者 前原玲奈さんが見る女性をとりまく競馬界の現在地【競馬の話をしよう。】

2022年6月18日 06時45分

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前原玲奈さん

前原玲奈さん

  • 前原玲奈さん
  • 騎手時代の前原さん(本人提供)
 競馬の世界を掘り下げる企画「競馬の話をしよう。」。今回は女性騎手の先駆者を取り上げる。佐賀県出身の前原(旧姓・西原)玲奈さん(40)は、2000年3月にJRA史上6人目の女性騎手としてデビューすると、当時の女性騎手1年目最多となる9勝をマーク。その後、けがなどに苦しみ10年2月に引退し、現在は調教助手を務めている。今年デビューした今村聖奈騎手(18)=栗東・寺島=に1年目の勝利数記録が塗り替えられた中、当時の女性騎手としての苦悩や現在の女性騎手の活躍、そして女性と競馬界の在り方などを聞いた。
  ◇  ◇
 ―前原助手はJRAでは史上6人目の女性騎手としてデビュー。騎手を目指したきっかけは
 「子どもの頃から動物がすごく好きで、将来は動物に関わる仕事がしたいと思っていました。そんな時、中津競馬(現在は廃止)での小田部雪さん(1994年にデビューし、2002年引退)の活躍や女性騎手の競馬学校入学のニュースを見て、騎手になりたいと思いました。その時は憧れぐらいの感じでしたが、中学3年生の進路を考える時に、騎手に挑戦したいという思いが強くなりました」
 ―当時は女性騎手の認知度も高くなかった。競馬学校への入学は家族の反対もあったのでは
 「逆に知らない世界だったのが良かったのかもしれません。父からは中途半端な気持ちではなれないと言われましたが、乗馬クラブを探してくれたり、一緒に走ってくれたり、すごく応援してもらいました。最初は腕立て伏せが1回もできないぐらいでしたし、家族の協力がなかったら合格できなかったと思います。今とは違って学費が無料だったので試験はものすごい倍率でしたが、学費無料の学校に受かったのは一番の親孝行だったなと思っています(笑)」
 ―これまでの女性騎手は同期に複数の女性がいたが、前原さんは女性が1人。苦労もあったのでは
 「入学前に『女性1人でやっていけるか』と学校側からの念押しもありましたし、やっぱりそこは競馬学校も慎重だったと思います。今までの女性騎手も苦労したでしょうし、1人だと余計に大変だと思われるのは当然ですからね。入学後も厳しいながらも、相当気を使っていただきました」
 ―女性だからと厳しい言葉もあったと聞く
 「ありましたね。周りは思春期の男の子ですし、1人の女の子をどう扱っていいか分からない部分もあったと思います。寮生活でストレスもたまる中、私が教官からひいきにされているのも面白くなかったのだと思います。正直、気持ちは結構しんどかったですね。周囲に相談できませんし、親にも心配かけたくないので話せませんから。ただ、助けてくれる同期ももちろんいましたし、厩務員課程の女性にも気に掛けていただきました。母が毎週送ってくれた手紙も心の支えでした。馬房で馬に話しかけたりして、癒やされたりもしていましたね」
 ―デビュー年に9勝を挙げるなど活躍するも、3年目以降は苦しい思いも
 「デビューした年は思ったよりも勝てたなという感じでした。ただ3年目にけがでリズムを崩してしまいました。今考えれば、3キロ減があるんだし、もっと焦らずやれば良かったんですけど…。先生に頼んで乗った障害レースで大けがをして1年間休んだりもしました。そこから減量がなくなって、乗り鞍も減ってという感じでどんどん厳しくなってしまいました」
 ―2010年からは梅田厩舎で調教助手に転身。今では、女性騎手が相談に訪れる“駆け込み寺”のような存在になっている
 「いやいや、それは言いすぎというか全くないですよ(笑)。陰から『頑張れ』という気持ちがあるだけで、全然何かをしてあげられてるわけではないんです。みんなしっかり乗りますから技術的なことを言うことは全くないですし、いつも他愛もない話をしているだけですよ。ただ年が離れているし、同じ騎手じゃないので話しやすいと思ってもらえたらうれしいですね」
 ―それでも多くの苦労をしてきた前原さんだからこそ伝えられることも
 「私はデビューしてから女性ジョッキーというのを抱え込んでいたんですよね。自分次第で女性ジョッキーを判断されるんじゃないかって。でも年齢を重ねるごとに、自分は自分と思うようになったんです。そんな話をナナ(藤田菜七子)ちゃんに話したりはしました。ナナちゃんのおかげで2キロ(女性騎手の減量)がついたし、ナナちゃんはすごい功労者であるけど、それを背負い込んでほしくないんです。勝つためにもがくことは大事だけど、苦しんでほしくはない。せっかく好きな仕事についたのだから、楽しむことを第一に考えてほしいんです」
 ―今年、今村騎手が前原さんの記録を塗り替えるなど女性騎手が大活躍
 「聖奈(今村)ちゃんに限らず、女性騎手の活躍はめちゃくちゃうれしいですね。でも聖奈ちゃんの記録については、私が1年かけてやったことを3カ月で塗り替えたわけですから、それに関してはコメントするのもおこがましいですよ(笑)。私の現役時代の最大の後悔が、自分で壁をつくって先輩に話を聞きに行けなかったことなんですが、聖奈ちゃんは一流ジョッキーに臆することなくどんどん聞いてますよね。それは大きな武器だと思います。男女関係なく、若い子たちにはどんどん先輩に聞きに行ってほしいです」
 ―競馬サークルの女性の活躍をどう見ている
 「ニュージーランドやオーストラリアなんかは男女のジョッキーが同じぐらいですからね。そこまでいくのは厳しいかも知れませんけど、女性ジョッキーが2割、3割と増えていけばいいなと思います。ジョッキーじゃなくても、重賞を勝った女性の持ち乗り助手の方もいますし、決して女性が活躍できない世界ではないと思うんです。だいぶ偏見はなくなってきたと思いますし、どんどん女性が活躍してほしいと思います。私自身も苦しい思いはしたけど、今はそれもあっての私の人生だったと思っています。今のように楽しく仕事をして、また重賞を勝てるような馬に携わりたいですね」
▼前原玲奈(まえばら・れな)旧姓・西原。1981年11月20日生まれ、佐賀県嬉野市出身の40歳。競馬学校16期生で2000年3月に栗東・須貝彦三厩舎からデビュー。9戦目に自厩舎のキンザンウイニングで初勝利を飾ると、1年目に挙げた9勝は、増沢(旧姓・牧原)由貴子と並ぶ当時の女性騎手デビュー年最多勝利だった。10年に引退すると、栗東・梅田智之厩舎の調教助手に転身した。JRA通算590戦17勝。引退後に同じ調教助手と結婚した。
▼女性騎手の減量制度 JRAでは女性騎手の騎乗機会拡大を目的として、2019年3月1日から実施されている減量制度で、騎手免許取得後5年以上または101勝以上の騎手でも、永久的に2キロ減の恩恵が与えられる。5年未満については50勝以下が4キロ減、51勝から100勝は3キロ減(いずれも一般競走限定で特別競走は適用外)。
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今では腕利き助手として活躍する前原助手が、忘れられない一頭がショウナンマイティだ。2012年の大阪杯(当時G2)を勝ち、宝塚記念3着や安田記念2着など、G1でも好走した末脚豊かな素質馬だが、前原助手は「脚元も気性も難しい馬でしたけど、絶対G1を勝てる能力があった。でも勝たせてあげられず、苦しい思いばかりをさせてしまった」と振り返ると、「引き出しが増えた今ならもう少し何とかできたと思うし、マイティには申し訳ない気持ちしかないです」と後悔を口にする。
 それでもその経験を糧に桜花賞馬レッツゴードンキや京王杯2歳S馬ファンタジストなどの重賞馬に携わってきた。「もし今後マイティのような馬が出てきたら、もっと上手につくってあげられると思う。いつも調教を任せてくださる梅田先生には感謝していますし、強い馬を育てて先生の力になりたいです」と力を込めた。
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先週まで6週連続勝利など、すでに14勝と1年目から快進撃を続ける今村は「記録は周りの方が取り上げてくれているだけで、私は目の前に向き合って結果を出すことだけです」と謙虚な姿勢。自身が塗り替えるまで女性騎手の1年目勝利数記録を保持していた前原助手については「(前原)玲奈さんを始め、先輩方が苦しい状況の中で頑張ってくれたからこそ、今の整った環境があると思っています」と感謝している。
 一方、梅田厩舎の馬に調教でまたがることから前原助手と話す機会も多いという2年目の永島は、「どんな馬でも乗りこなしているイメージです。学ぶところばかりですね」と話すと、「歴代の女性騎手の先輩方のおかげで、今の私たちが頑張れる環境ができたと思っています。本当に感謝しかないです」とこちらも感謝しきりだった。

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