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花菱アチャコ 勝山生まれじゃなかった!? 誕生の18年前 父は大阪移住 地元関係者調査、資料残る

2021年6月19日 05時00分 (6月19日 11時34分更新)
1955年の勝山市制祝賀祭で、浪花千栄子(中央)とステージに立つ花菱アチャコ(右)

1955年の勝山市制祝賀祭で、浪花千栄子(中央)とステージに立つ花菱アチャコ(右)

  • 1955年の勝山市制祝賀祭で、浪花千栄子(中央)とステージに立つ花菱アチャコ(右)
  • 帰山さん宅に残る花菱アチャコ直筆の書
  • 藤木家の墓を今も守り続ける今井芳雄さん(左)、倫子さん夫婦=勝山市猪野口で
 昭和初期に「しゃべくり漫才」を生みだし、一世を風靡(ふうび)した花菱アチャコ(本名・藤木徳郎)。NHK連続テレビ小説「おちょやん」でも登場人物のモデルになった上方漫才師は勝山市出身とされているが、出身地は別の所だった−。通説を覆すのは、藤木家が暮らしていた同市の地元関係者。アチャコが生まれる前に大阪へ移り住んでいたとして、大阪を出身地とする説を唱える。 (平林靖博)
 アチャコは一八九七(明治三十)年生まれ。藤木家の先祖は代々、現在の勝山市猪野口に住んでいた。しかし、アチャコの父廣吉さんは七九年に大阪へ移り住んだ。勝山は、アチャコから見ると「親の故郷」になる。
 そう説明するのは、地元猪野口の市議、帰山寿憲さん(63)。アチャコとつながりがあり市議も務めた祖父の長右衛門さんや父の信勝さんが調査し、廣吉さんが大阪へ移った年を示す資料が手元に残る。アチャコは戦後、勝山を訪れ、その時に書いた直筆の書もある。
 藤木家と猪野口は今も縁が深く、帰山さんは「近くにはアチャコの先祖の墓がある」と話す。その墓を守っているのは今井芳雄さん(83)、倫子さん(83)夫婦。今井さんの家は住民らのよりどころとなる「今井道場」として、藤木家が大阪に移る際、墓を守ってほしいと依頼されたことから代々墓を管理している。
 アチャコは一九五五(昭和三十)年に勝山を訪れた。市制祝賀祭で、「おちょやん」で主人公のモデルとされる浪花千栄子とともにステージに立っている。当時の写真からは、スターの“帰郷”に沸く市民の様子がうかがえる。
 この時アチャコは先祖の墓を参拝し、今井さん宅を訪ねて食事もした。当時学生だった倫子さんは「カメラを向けられると、いつでもニコッと笑っていた」と振り返る。食事の手伝いをして「ご飯を運んだら『ありがとさん』と言ってくれたことを覚えている。村中の人がアチャコを見に来ていた」と懐かしむ。
 そんな思い出を胸に、今井さん夫婦は敷地内にある藤木家の墓を管理している。「先祖あってのわれわれなので、つながりを感じながら守っています」と倫子さん。没後半世紀。出身地はどうあれ、令和でもまたスポットライトが当てられた芸人と勝山の縁を感じながら、これまでも、これからも変わらず、花に囲まれた墓を手入れする。

 花菱アチャコ 1930(昭和5)年に横山エンタツとコンビを組み、現在の漫才につながる「しゃべくり漫才」を確立した。大学野球をネタに、プレーの模様を面白くしゃべくる「早慶戦」などで観客を沸かせた。「おちょやん」の登場人物のモデルとされる浪花千栄子とも手を組み人気を博した。74年死去。


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