<15> 互酬の経済 挑戦は始まったばかり 生きて・カルビー元社長 松尾雅彦さん(1941年~) 2010/4/28 北海道の農家との協業などを通じて、今の日本に必要だと感じるのは、相互扶助の思想に基づいた「互酬」の経済だという 互酬とは互いの違い...
<14> 美しい村 愛郷心持ち景観に誇り 生きて・カルビー元社長 松尾雅彦さん(1941年~) 2010/4/27 松尾さんは今、NPO法人「日本で最も美しい村」連合(北海道美瑛町)の副会長という肩書を持つ 1998年、仏ワールドカップサッカーに...
<13> ペプシコとの提携 違いを認め合う道選ぶ 生きて・カルビー元社長 松尾雅彦さん(1941年~) 2010/4/24 創業50周年の1999年に売上高1千億円を突破。だが2000年以降は一転、苦難の時代が訪れる ばら色の21世紀を夢見ていた2000...
<12> 父の死 肩の荷の重さを知った 生きて・カルビー元社長 松尾雅彦さん(1941年~) 2010/4/23 父孝さんは行動力のある経営者の半面、気性の激しさでも知られた ポテトチップスが伸び始めた1976年、経営のバトンタッチは始まってい...
<11> 社長就任 10年単位の開発を意識 生きて・カルビー元社長 松尾雅彦さん(1941年~) 2010/4/22 バブル崩壊後の1992年、雅彦さんは3代目の社長に就任した カルビーの商品は発売後10年たって伸びる特徴がある。だから10年ごとに...
<10> 夢のシリアル 改良重ね国内トップに 生きて・カルビー元社長 松尾雅彦さん(1941年~) 2010/4/21 1987年、創業者の孝さんは社長を退く。2代目は兄の聡さん。雅彦さんは副社長に就いた 80年代後半はスナック市場が踊り場に入った。...
<9> 北海道での挑戦 産地改革が実り最高益 生きて・カルビー元社長 松尾雅彦さん(1941年~) 2010/4/20 カルビーは1970年初頭から北海道に工場やバレイショの貯蔵倉庫を相次ぎ新設した バレイショを使う事業をやめないという意思表示ともい...
<8> 失敗から学ぶ 「鮮度、鮮度、鮮度だ」 生きて・カルビー元社長 松尾雅彦さん(1941年~) 2010/4/17 期待と裏腹に、1975年に発売したポテトチップスは苦戦する なぜ売れないのか。得意先の歌舞伎座への招待までやり、鳴り物入りで送り出...
<7> ジャガイモ 米国のスケールに感動 生きて・カルビー元社長 松尾雅彦さん(1941年~) 2010/4/16 「カルビーポテトチップス」を発売したのは1975(昭和50)年。エビからジャガイモへ―。だが「えびせん頼み」からの脱却には課題があ...
<6> テレビCM 大ヒットし成長企業へ 生きて・カルビー元社長 松尾雅彦さん(1941年~) 2010/4/14 雅彦さんが入社した1967(昭和42)年、父孝さんは米ニューヨーク(NY)で開かれた国際菓子博覧会に参加する おやじは「東京の人は...
<5> えびせん誕生 鮮度・丸ごとにこだわる 生きて・カルビー元社長 松尾雅彦さん(1941年~) 2010/4/13 「かっぱえびせん」は、瀬戸内海の小エビの天ぷらが大好物だった創業者の父、孝さんの発案だった おやじは小さいころ、エビをつかまえる名...
<4> 60年安保 議事堂前で一夜過ごす 生きて・カルビー元社長 松尾雅彦さん(1941年~) 2010/4/9 雅彦さんの青年期までを振り返るときのキーワードは「リーダー」 読書や勉強とは縁遠かったが、小学2年で級長に選ばれて大学まで、なぜか...
<3> かっぱ 人気漫画から父が命名 生きて・カルビー元社長 松尾雅彦さん(1941年~) 2010/4/8 カルビー創業者で父の孝さんは1931(昭和6)年、中学卒業と同時に家業を継ぐ。飼料や米ぬかを製造販売していた事業は当時、大きな借金...
<2> 8月6日 母と川に入って過ごす 生きて・カルビー元社長 松尾雅彦さん(1941年~) 2010/4/7 カルビー創業者の父孝さん、母寿美子さんの三男として、広島市楠木町で生まれる はっきり覚えていて最も古い記憶は、あの8月6日。4歳だ...
<1> 素材を生かす ポテト産地と試行錯誤 生きて・カルビー元社長 松尾雅彦さん(1941年~) 2010/4/6 広島発祥のスナック菓子「かっぱえびせん」や「カルビーポテトチップス」で知られるカルビー(東京)の元社長、松尾雅彦さん(69)=現相...