シカゴ・マラソンが織りなす人間模様

シカゴ・マラソン、招待選手のスタート。最前列にケルヴィン・キプトゥム選手、2人のペースメーカーの背後に市田孝選手が見える。 (Credit © Bank of America Chicago Marathon/Kevin Morris)

 第45回バンク・オブ・アメリカ・シカゴ・マラソンが10月8日、秋晴れの下で開催され、ケニアのケルヴィン・キプトゥム選手が2時間00分35秒で世界新記録を打ち立てた。2時間01分台の壁を破ったニュースが世界を駆け巡り、2時間台を破る可能性も現実味を帯びて来た。

 女子マラソンではオランダのシファン・ハッサン選手が2時間13分44秒でゴールを踏み、自らを世界第2位に押し上げた。

 主催者の発表によると、シカゴ・マラソンには100ヵ国を越える国々から4万人が参加した。

 日本からは招待選手として松村優樹選手(ビブ# 11番)、市田孝選手(同12番)、野中優志選手(同18番)、津田将希選手(同20番)、東瑞基選手(同21番)が出場した。ビブ#は招待選手の自己記録順になっており、日本人選手の5人はオリンピック出場を有望視される選手ばかり。

 車いすマラソンでは、洞ノ上浩太選手と渡辺勝選手が招待選手として出場した。

 

ケルヴィン・キプトゥム選手

ゴールに飛び込むケルヴィン・キプトゥム選手。2時間00分35秒という世界新記録が出た瞬間となった。(Credit © Bank of America Chicago Marathon/Kevin Morris)

 ケルヴィン・キプトゥム選手(23)は、2022年12月のヴァレンシア・マラソン(スペイン)でデビューし、2時間01分53秒でいきなり優勝し、2時間02分台を切った世界で3番目の男となった。2度目に出場した2023年4月のロンドン・マラソンでは2時間01分25秒で再び優勝し、エリウド・キプチョゲが持つ世界記録2時間01分09秒に16秒届かず、世界で2番目に速い男となった。

 そして3度目のシカゴ・マラソンでキプトゥム選手は、スタートから5キロ地点で同国人のダニエル・メイディエイコ選手と共に先頭集団から抜け出した。中間点のタイムは1:00:48、4月のロンドンマラソンの1:01:40よりも52秒速い。

 キプトゥム選手は中間点を過ぎると帽子を投げ捨て、30キロ地点を1:26:31で通過した。シカゴ・マラソンがデビュー戦であり、キプトゥム選手のペースメーカーの役割を果たしたメイディエイコ選手はここで脱落した。とてもメイディエイコ選手が保持できるペースではなかったが、キプトゥム選手は5キロを13:51のペースで走り続けた。35キロ地点を1:40:22、40キロ地点を1:54:23で通過し、更にスピードを上げフィニッシュラインに2:00:35で飛び込んだ。

メディアセンターでカメラに向かってほほ笑むケルヴィン・キプトゥム選手

 ヒルトンホテルに設置されたメディア・センターに現れたキプトゥム選手は「(シカゴ・マラソンの)記録を出したいと意識していたが、それが世界記録になってとても嬉しい。世界記録を今日出せるとは思っていなかったが、いつかは世界記録保持者になれるだろうと思っていた」と語った。

 ケルヴィン・キプトゥム選手は1999年12月2日に生まれ、標高2600mにあるケニアのチェップサモ・ヴィレッジで育った。そこは断層地域で、標高2600mから一気に800m‐1200mに下がる地形もある。この地域からは有能な長距離選手が多く出ている。キプトゥム選手は13歳からトレーニングを始め、ハーフマラソンに出場していた。2019年にリスボン・ハーフマラソンで初優勝している。

 

日本人招待選手インタビュー

 日本人招待選手の結果は、市田孝選手(旭化成)2:08:57、10位;野中優志選手(トヨタ自動車)2:14:58、20位;津田将希選手(西鉄)2:15:24、21位;東瑞基選手(愛三工業)2:17:55、23位;松村優樹選手(HONDA)2:18:59、24位。初めてのシカゴ・マラソンで様々なチャレンジがあったようだが、自己記録を更新した選手もいた。

 

市田孝選手

2022年のシカゴマラソンで7位、米国選手でトップとなったコナー・マンツ選手(右2)をマークする市田孝選手(左2)。(Credit © Bank of America Chicago Marathon/Kevin Morris)

Q:自己ベストが出ましたね。

市田:こういう機会を与えてもらったからには自己ベストで走って帰りたいと思っていたので、最低限達成できたことは凄く良かったです。

Q:世界記録が出ましたね。

市田:そう聞いていたので、そんなに速く前の方はレースしてたんだと思うと、自己ベストで喜んでいる場合じゃないなと凄く感じますね。でもやはり、世界記録が出た時にこうやってレースに出れたという事は、本当にいいタイミングだったと思います。

Q:レースの準備はどうでした?

市田:今回は直接的にオリンピックの代表に繋がるレースではなかったので、今回のレースを切っ掛けにステップアップして行けるような位置付けでした。自己ベストを出せたので、次に繋がるレースができたんじゃないかと思っています。

Q:次のレースは?

市田:記録が出やすいレースにチャレンジして、そこでMGC派遣設定記録というのを目標に一から取り組んで行きたいと思っています。

Q:ところで、シカゴのコースはどうでした?

市田:日本と比べて確かにデコボコが多かったと思いますが、凄い直線のコースがあったり、道幅が広かったんで、逆に開放感があって走り易かったですね。

 最後の坂は力を振り絞りました。もうあそこを曲がったらゴールだと知ってたんで、出し切りました。

Q:松村優樹選手とライバルなのだそうですね。

市田:松村選手はタイム、一番強いんですよ、本当に。

 

松村優樹選手

コースを走る松村優樹選手(白いシャツ)と津田将希選手。(Credit © Bank of America Chicago Marathon/Kevin Morris)

Q:松村優樹選手の自己ベストは2:09:01で日本勢のトップでしたが、まさかの結果になりましたね。

松村優樹:あまり状態が良くなかったので、夏合宿で何とかこのシカゴに合わせようとしていたんですけど、やはり練習不足は否めず、シンプルに結果に出てしまったという感じです。

Q:やはり日本の猛暑はこたえるでしょうね。

松村:北海道も暑いんですけど、一応北海道に行って、少しでも涼しい所でということでやっていました。

Q:やはり思い通りの結果が出なくて、悔しいですよね。

松村:悔しいです。前半は予定通り、いいペースで走っていたんですけど、ハーフを過ぎて一気に足にガクンと来てしまって。そこが練習不足が出ていたかなと言う感じです。5月、6月が走れていなかったので、やはりトータルで練習できてないとダメだなと実感しました。

 悔しいです。久しぶりにこんなに良くなかったので。

Q:市田さんとは良いライバルだそうですね。お二人とも双子の弟さんがいて、弟さん達も長距離選手だそうですね。

松村:市田さんとは同期で年も一緒なんです。コースですれ違う所で、あ、市田さんは今日ははいいみたい、と自分は気付いていました。

Q:本当に良きライバルですね。今後のご活躍を期待しています。

 

野中優志選手

コースを走る野中優志選手。(Credit © Bank of America Chicago Marathon/Kevin Morris)

 Q:自己ベスト2:09:57をお持ちなのに、惜しかったですね。

野中:ちょっと納得のいく結果ではなかったかなぁと思います。

Q:コンディション作りなど、厳しいですか?

野中:いい練習ができていた中で、8月のお盆のタイミングでコロナになってしまって、そこだけ崩れてしまった部分がありました。すぐに復活したので問題はなかったんですけど、こう全体で見ると、やはりそれがハーフ以降の走りにでたのかなぁと反省してます。

Q:シカゴのコースが荒れているのはやはり影響しますか?

野中:比較的に平坦ではあったんですけど、人の後ろについて走っていると、そういう荒れた路面が見づらいところはありました。普通に走れたのは良かったと思います。

Q:世界新記録が出たのはどう思われますか?

野中:自分は後ろで走っていたので、実感が正直ないです。世界記録を語れるほど速くなく、実力はまだまだなので、正直なところ何とも言えないです。

Q:これからのご予定は?

野中:今年、マラソンを頑張りたいなと言う思いでトヨタに移籍したのですが、その思いをまだ形にできていないので、それを今後形にして行けたらいいなと思っています。出場レースで言うと、おそらく2月の大阪マラソンでまた再チャレンジできたらなと思っています。自分の得意なレースは5000mやハーフマラソンになるんですけど、極端にマラソンのタイムだけ遅いので、それを改善していくのが自分の陸上の形にするという所だと思っています。

 

津田将希選手

コースを走る津田将希選手。 (Credit © Bank of America Chicago Marathon/Kevin Morris)

Q:自己ベスト2:10:40をお持ちですが、レースはどうでした?

津田:全然ダメでしたね。後半勝負を意識したんですけど、それでもだめだったので、凄く悔しいです。

Q:最後に坂があって、トリッキーなコースですよね。

津田:はい。もう歩こうかと思ってました(笑)。でも、そこは何とか最後まで走り切ったんで、そこだけは自分を褒めたいです。

Q:人種間で筋肉の違いもあるのではないですか。

津田:そこは自分の弱さだと思うので、そこはもっと改善して行かないといけないと思っています。

Q:ここに来るまでの練習はいかがでしたか?

津田:そうですね、僕は結構暑いのが苦手なので。でもまぁ、大方できたので、はい。でもこれもいい経験だと思います。

Q:今後のご予定は?

津田:冬にもう一本走るので。たぶん大阪か東京かどちらかになると思います。今回の反省をしっかりと生かして、頑張ります。

 

東瑞基選手

コースを走る東瑞基選手 (Credit © Bank of America Chicago Marathon/Kevin Morris)

Q:健闘されましたね。中間点は1:03:21でした。

東:25キロまでは市田さんと一緒にいて、30キロまで市田さんが見える位置にいたんですけど、そこから全く足が動かなくて、途中までは自己ベストを狙う気持ちで走っていたんですけど、そんな甘くなかったです。

Q:ここで加速するなど、レースの駆け引きもあるのですか?

東:駆け引きまで持ち込めなかったので、とりあえず海外レースのペースの上げ下げを経験できたのは良かったと思います。もっと力を付けて、駆け引きの場面までもっていけるように頑張りたいと思います。

Q:海外初めてですか?

東:海外は2回目なんですが、前回がちょっと入国してコロナになってしまって、まぁシカゴが初めてみたいな感じです。

Q:これからマラソンは?

東:やります!

 

井幡政等監督(三愛工業)

井幡政等監督

Q:毎年若い選手が出場されますね。選抜のポイントは?

井幡監督:各地区で選考し、日本陸上競技連盟(Japan Association of Athletics Federations)から選んで、今後世界で活躍してもらいたいという選手を送り込んでいます。

Q:シカゴ・マラソンに出場する資格はあるんですか?

井幡:連盟で話し合って、この選手を送って次に繋げて行きたい、ここでベストを出せた選手は良かったんですが、出せなかった選手でもこれを機にまた挑戦して欲しいと言う思いもあって、選手を選んで送り込んでます。やはり世界はスピードですかね。やはりスピードに対応できないといけないと感じてますね。

Q:今後監督さんはやはりスピードを中心に?

井幡:そうですね、やはりスピードとスタミナという部分をどうやって作り上げて行くかと言うのも必要かなと思っています。ここで初めて走った選手もいるので、これもまた経験にして、日本で活躍してもらいたいなと思っています。

Q:ありがとうございました。

 

壮絶なドラマ、車いすマラソン

喰らいつく勇気、心が折れそうな時も

車いすマラソンのスタート。渡辺勝選手 (Bib# 210) と、洞ノ上浩太選手 (Bib# 205) の姿が見える。 (Credit © Bank of America Chicago Marathon/Kevin Morris)

渡辺勝選手

渡辺勝選手

 渡辺勝選手(凸版印刷)は1991年11月生まれ。中高時代に野球部で活躍、19歳の時に交通事故に遭い車いす生活となる。病院でリハビリ中に洞ノ上浩太選手に触発され、車いすレースを始めた。僅か2年で日本代表に選出され、世界選手権で銀メダルを獲得した。2023年東京マラソンでは3位を獲得した。自己ベスト01:24:00を持つ。シカゴでは去年の4位から今年は6位と順位を下げたが、持っているものは出し切ったと語る。車いすマラソンの難しさとは。

Q:今日のタイムは01:35:40で6位でした。走りはいかがでした?

渡辺:凄く難しい(笑)。持っているものは出し切れたというのが正直な感想です。

 この夏は、練習不足の時期がありました。2週間前のベルリン・マラソンではやはり練習不足で久々に身体がつって、思い通りの走りはできなかったので、今回は良かったと思います。ただ5番以内という最低限の目標が達成できなかったのは力不足を受け入れざるを得ないと感じています。

Q:最後の上り坂はどうでした?

渡辺:40キロ手前まで3人で走っていましたが、その手前で一人が脱落して一騎打ちになったので、ラスト41キロ地点から前に行ききって勝負を仕掛けて、登りでも引き離しました。 

Q:それで6位を仕留めたんですね。

渡辺:余り嬉しい順位ではないですけど、一緒に走ったメンバーには勝てたかなと。本当はもう一個上が…。 

Q:車いすで集団を抜いたりするのは大変なのでは?

渡辺:その辺のテクニック面では自信があります。マルセル選手とでもトップ争いができると胸を張って言えます。しかし、彼はその技術がなくても勝てる走力を持ってるんで、一人でやりたい放題。そこはもう世界中のみんなが手を取り合って、彼を倒しに行くぐらいの感じにしたいんですけど。マルセル選手は強すぎる。

マルセル・フグ選手 (Credit © Bank of America Chicago Marathon/Kevin Morris)

マルセル・フグ選手の壁

 マルセル選手(スイス)は1986年1月生まれ。東京パラリンピックでは800m、1500m、5000mとマラソンに出場し、出場全競技で金メダルを獲得した。また、今年11月の大分国際車いすマラソンでは、10回目の優勝を手にした。

Q:マラソンって、本当にぎりぎりの所まで体力を使うんですね。

渡辺:僕も本当に5位だけを考えて走ればチャンスはあったと思いますが、やっぱり圧倒的なマルセル選手を無視して走るのはできなくて、やっぱり喰らいつきたいなぁと思います。

 今日もマルセル選手がすぐに飛び出しました。下り坂の後の90度コーナーでみんなはブレーキを使うんですが、僕はブレーキなしでマルセル選手に追いつきそうな所まで迫りました。そこで僕はちょっと深追いし過ぎて体力を使い切ったというところです。

マルセル・フグ選手(右)に喰らい付く渡辺勝選手(左)。 (Credit © Bank of America Chicago Marathon/Kevin Morris)

Q:マルセル選手はどこがそんなに違うんですか?

渡辺:完璧と言うか、欠点が見当たらないというか。技術だけは僕の方にあるのは自身があります。でも、その技術がなくてもマルセル選手は勝てる走力を持っているんです。彼は乗り物を変えてから、身体が一番いい時に乗り物がフィットする、すごい理想的な状態です。

Q:今度の目標は?

渡辺:今年はニューヨークも行くんですけど、11月に大分国際車いすマラソンがあります。そのレースでここ数年、鈴木朋樹と言う選手がずっと日本人トップを守っているので、そろそろ喰わないといけないという使命感というか、やらないといけないと思っています。大分で日本人トップを取るのが今年最大の目標です。

Q:ありがとうございました。

 

洞ノ上 浩太選手

洞ノ上浩太選手

 洞ノ上 浩太選手(ヤフー)は1974年3月生まれ。2000年にバイク事故で車いす生活となり、2002年に車いすマラソンを始めた。同年10月の大分車いすマラソンのハーフが初レースとなった。2008年北京パラリンピックに日本代表として出場し、5000mとフルマラソンで共に5位となった。以後東京、ボストン、ロンドン、ベルリンなどのメジャー大会で優勝、または2位、3位の上位を占めて来た。01:20:54の自己ベストを持つ。

Q:今日は01:40:10で、12位でした。事故と聞きましたが?

洞ノ上 :スタートから1.5キロの地点で、こけてしまったんですよ。ちょうどペースが上がった所で前の選手の後ろについていたんですが、たぶん道路のへこみだと思いますが、倒れたままズズズ―っと滑って行きました。ケガはちょっと擦ったぐらいで、全然問題はないです。

Q:それでどれぐらいのロスに?

洞ノ上 :車を起こすのはすぐですね。でもその時にはだいぶ抜かれていて、スタートからすぐだったので。

 マラソンは最初が肝心で、どの集団になれるかで全然違うんです。それで後ろからのスタートになって、渡辺の集団が向こうに見えていたので、あそこまで行きたいなと思ってめちゃくちゃ頑張ったんですよ。そこからずっと頑張っていて、20キロ地点でちょっと無理かなと感じました。でも、そのまま頑張っていれば8番か9番ぐらいは行けそうだと思ったのですが、前方の集団もペースが上がっていて、30キロ地点ぐらいでガクンとペースが落ちて、スタミナ欠になってしまいました。

 一度自分が抜いた後ろの集団も近づいてきてたんですよ。集団にいればローテーションして風よけしながら体力を温存できるんですよね。彼らが追いついて来て、それを見てから気持ちも折れて、後ろの集団に入りました。その後の上り12キロを一人で走り切る自信がなかったですね。

Q:集団に入って風をよけると、だいぶ違います?

洞ノ上:全然違いますね。だからどの集団につくかですね。自分より少し速い集団に付ければ後ろで休めるんですけど、遅い集団だったら自分がけっこう頑張らないといけないんですよ。だからギリギリ自分の実力よりも上の集団になんとか喰らいつければというのが、車いすマラソンのレース展開ですね。

Q:レースを見ていると、体力だけでなく難関を切り抜ける勇気が必要みたいですね。

洞ノ上:良く聞く心技一体ですよね。力があっても、追いつこうという気持ちがなかったら追いつけないですし、勇気が必要ですし、すごく難しいですね。一瞬の迷いでもう集団から落ちてしまうとかありますね。

Q:マルセル選手はいつもぶっちぎりですね。

洞ノ上:勘弁してもらいたいです(笑い)。他の選手が束になっても勝てないですね。

マルセル選手は、頭一つ、二つぐらい抜けています。やはり車いす競技にかける時間だったり、ポールという凄いコーチがいたり、練習環境、車いすをサポートしてくれるチームだとか、鬼に金棒、その金棒がいくつもあるという感じです。

 それでも、結果が悪い時もあると思います。自分も昔はマルセル選手とデッドヒートする時代もあったんですよ。やはり、コーチの言葉を信じて、淡々と一日一日を積み重ねて行くという事なんだろなぁという気がしますね。

Q:ベルリンはどうでした?

洞ノ上:その前の週のシドニーマラソンに行きました。とんでもないコースなんですよ。高低差があっても、自分たちは上った分下るから、プラスマイナスゼロと考えているんですけど、下ってブレーキを掛けて直角コーナーだったりUターンだったり、上って下がる分を生かせないし、非常に危ないです。石畳や海沿いの長いウッドデッキの下り坂、砂場もありました。

Q:障害物競走みたいですね。

洞ノ上:そうですね。レース前に自分はコースを軽く走りに行きました。上り坂を頑張て登った後に坂がもう一つあるのか、そこで終わりなのか、全然力の出し具合が変わって来るんですね。コースが約7割ぐらい頭に入っていたら心の準備ができるんですけど。

Q:若い人たちがみんな洞ノ上さんを見てるでしょう?

洞ノ上:なかなか、自分はもう21年ぐらいやっているんで、もう肉体的なピークは過ぎて、後はテクニカルな部分でやって行くみたいなところなんですけど、なかなかメンタルな面もきつくはなって来ますね。自分に合う練習方法を試していろいろやって来て、若手も来ているから…。もうみんな速いですね。まともに正面からぶつかって行っては勝てないですね。

Q:今後のご予定は?

洞ノ上:11月の大分国際です。今年はそれで終わりですね。

Q:ありがとうございました。

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