月100ページ執筆、睡眠時間は3時間以下。人気マンガ家はこうして働き方を変えた

    90年代、少女たちの心臓を撃ち抜いた『快感・フレーズ』。性描写を含めた過激な恋愛を描いた本作は、少女コミックで連載され、全世界で1000万部を売り上げた人気作だ。作者、新條まゆの現在とは──

    90年代、少女たちの心臓を撃ち抜いた『快感・フレーズ』。性描写を含めた過激な恋愛を描いた本作は、少女コミックで連載され、全世界で1000万部を売り上げた人気作だ。

    作者である新條まゆは今年、デジタル配信事業者との契約のもと、WEB配信限定で『虹色の龍は女神を抱く』の連載をスタートした。同時に軽井沢へ移住し、インテリア会社の社長としても手腕をふるう。小学館の看板マンガ家は、いかにして転身したのか?

    プレッシャーと納期に苦しんだ人気絶頂期

    世間が新條まゆ作品に抱くイメージは、「オレ様的な美男子」や「セクシーな描写」などが強いかもしれない。本人の趣味嗜好が反映されているのかと思いきや、この作風は苦心の末にようやく生まれたものだという。

    恋愛の機微を描く少女マンガよりも、ロボットが戦いを繰り広げる少年マンガのほうが好き。かつ自分自身は恋愛に一喜一憂する性格でもなかった。

    「自分は好きな物を書いて売れるような天才肌じゃない。だったら徹底して読者が読みたいマンガを描こう」

    この思いのもと、編集者からの「セクシーな描写を入れてみては?」というアドバイスを受け入れたり、世の中の動向を反映させたりした結果が、ヒットにつながっていった。

    「『快感・フレーズ』のときは、ザ・資本主義で、今の女の子はこういう物語を欲しているはずだとリサーチを徹底しました。いろんなマンガを読んで女の子が求める男の子像を研究したり、心理学とかマーケティングの本を読んだり……」

    努力の結果、小中学生の女の子たちを釘付けにするマンガが生まれた。

    隔週の連載は30ページ。増刊号が2か月に1回、40ページ分。コンスタントに1か月100ページ以上の物語をつくっていた。物語が終わってもすぐに新連載が始まるため、最終話を描きながら次の作品の打ち合わせをこなす。

    納期を優先して妥協が重なり、罪悪感が芽生える。作品がヒットしても喜ぶ余裕はなかった。

    「ずっと、こだわることができないマンガ家だった」

    苦笑いをしながら話す。自分の創作意欲が満たされれば違うかもしれないと思い、「好きな物語を描いてみたい」と打診したこともあった。しかし、編集部から返ってきたのは「甘ったれるんじゃない!」という厳しい答えだった。

    こうして2007年にフリーのマンガ家へ転身。その顛末を綴ったブログ(現在は閉鎖)は、マンガ業界の慣習への問題提起として、大きな注目を集めた。

    《どんなに忙しくても、「この雑誌に描いてほしい」と言われれば寝ないで描いていました。

    「こういうものを描いてほしい」と言われれば、出来る範囲で描ける漫画を。

    新條が漫画というお仕事でご飯を食べていけるようになったのは育ててくれた編集者のおかげだし、掲載してくれる雑誌のおかげでもあるのです。

    ただ、そんな状況が、「描いてといえば、描く作家」「注文通りの漫画を描く作家」ととらえられたとき、その関係は崩壊します。半年間コンビニにも行けず、月産120ページをこなし、睡眠時間の平均が3時間を割るような状況は当たり前ではないんです》

    その後、2014年には「プチリタイヤ宣言」をし、一線を退いた。「マンガを描くことが嫌いになってしまった」から。

    2017年から軽井沢でリモートワーク

    プチリタイヤ宣言からすぐに軽井沢へ移住を計画した。東京での暮らしは気に入っていたが、アシスタントに勧められて現地を訪れてみると、緑の美しさに息をのんだという。

    この場所で、自分がデザインした家を建てたい。マンガで実現できなかった創作意欲は、住居で満たした。

    「デザインや素材、建設フローを含めた設計の勉強はもともと好きで、以前渋谷区にあった自宅の一軒家をフルリフォームする時から始めていました。その頃は不動産投資もしていたので、軽井沢の土地探しでノウハウを活かせたんです」

    移住を決断できたのは、2012年に業務をフルデジタル化したことも大きかった。本棚もコピー機も、画材もいらなくなり、広い面積を必要としていた仕事場はガラリと変わった。

    「もはや一箇所に集まって作業する必要もないので、アシスタントさんには在宅で仕事をお願いするようにしました。リモートワークが無理な人はここで解散しようと伝えまて」

    プチリタイヤ宣言してからは、好きなように過ごした。1か月のうち25日ぐらい外食してみたり、海外旅行をしたり、趣味のドライブに精を出したり。どれも楽しくはあるものの、満たされない。ゆっくり起きてのんびりすごしても、満足できなかった。

    「持て余した時間に何をやりたいかって考えると、マンガを描きたくなった」

    久しぶりにペンをとってみると、「絵を描くのって、こんなに楽しかったっけ」と思う。健康で文化的な生活ができるようになったからかもしれない。

    クリエイターとして完全に引退したわけではなかったため、同人誌やイラストなど細々と絵を描く仕事をしていた。でも、だんだんと長い物語も描きたくなってくる。あんなに自分を苦しめた少女マンガを、またつくりたいと思えるようになっていた。

    こうして2021年からデジタル配信事業者のナンバーナインと組み、オリジナル漫画『虹色の龍は女神を抱く』を配信連載することになった。

    マンガ家に入ってくる印税は10%。もうそういう時代じゃない

    デジタル配信事業者と組んだ理由のひとつは、印税の割合だ。企業によって異なるが、マンガの場合は紙で10%、デジタル配信でもそれほど変わらない割合が作家に支払われることが多い。

    「紙の時代は、自分で写植を打てないし、出版社が書店にどれだけ面積を持っているのかが販売数を左右していたし、売れ行きのリスクもとってもらっていた。だからこそ大手出版社で作品を出すことが大事だったように思います」

    「でも、デジタルの時代になってからは、写植も自分で打てるし、出版社は配信会社に作品データを渡すだけ。それだけなのに、作家に入ってくる印税は15%ぐらい。もっとフェアな割合の出版社もありますが、作家にお金が入ってこないような契約が慣習として残っている場合も多いです」

    ナンバーナインとの契約は、自身が納得できる割合で調整したという。フレキシブルな契約、オープンな体制。長い間、求めていた環境があった。

    「私の場合は、原稿料の他に印税のパーセンテージを調整しています。原稿料を減らして印税をあげて欲しいと交渉することもできるし、その逆もできる。これまでの『慣習ですから』っていうスタンスとは違う」

    「スケジュールもフレキシブルです。インテリアの会社も運営してますし、軽井沢の自宅はお庭の管理が大変で(笑) 会社とお庭の繁忙期で原稿がヤバそうなときは、事前に相談しています」

    20歳でマンガ家デビューしてから、27年が経つ。時代は変わったと身をもって知った。あの頃とは違う。軽井沢の美しい緑を前に、視野が開けたのかもしれない。

    休業期間中もアシスタントに給料を支払い続けた結果、得られたもの

    契約や働き方だけではなく、モチベーションも大きく変わった。

    「昔は数字至上主義でマンガをつくってましたけど、今は結果にこだわらない。それよりも、自分が納得できる作品にすることが大事」

    『虹色の龍は女神を抱く』は、アシスタント1名に背景や小物を依頼するだけで、その他は自分で描くことにした。

    「髪のベタから洋服のベタも大好きで、できる限り自分でやりたかったんです。こだわると、1ページを4時間で仕上げると見積もっていても、8時間かかる場合もある。昔だったら、遅れた分を取り戻すために睡眠時間を削ったり、クオリティを妥協したりして辻褄を合わせていたんですけど、今はクオリティを最優先にしています」

    「プチリタイヤしているときにもアシスタントさんにお給料を払って、3Dの勉強をしてもらっていたんです。彼女が建物や背景を図面におこしてくれるので、効率的に作業ができます」

    ブランクに悩まされることはないのだろうか? かつて一斉を風靡した自身の強みはどう考えているのか。新條は、きっぱりと「懐古に溺れたくない」と言う。

    「『絵柄が古い』と言われるのが、一番怖いし嫌で……私は『絵が下手』という評価からスタートしてるし、失敗も多かったので、歳を重ねるごとに進化はしたいんです。話の展開は越えられない才能があると思うんですけど、絵柄は努力次第でどうにでもなる。Pinterestを眺めて世界中から今っぽいデザインのインプットをしています」

    「自分を押し殺して努力するのが成功への近道」ではなくなった現代

    現在はインテリア会社の業務や家の管理をしつつ、毎月40ページの原稿を仕上げている。「つらくなるまでひとつの仕事をしない」のが、モチベーションを維持する一番の秘訣だ。

    インテリア会社を立ち上げたのは、軽井沢の自宅を「構造計算以外のすべてのデザインをすべて自分が考えた」ことがきっかけだった。ネットで自宅を公開すると、すぐに顧客がついた。趣味を突き詰めた結果、仕事になった形だ。どんな業務をしているのだろうか。

    新條曰く、ひとことで言えば「住宅プロデュース」だという。

    「不動産投資の経験から、土地の売買のアドバイスから初めて、私が図面を引いて、優良な工務店を選定し、設計と構造計算をしてもらう。使う材料や素材を選び、見積りが適正かチェックして、私はデザイン料として、総建築費の10%をいただいています」

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    マンガ家稼業だけでなく、他の仕事を持つのにはこんな考えがあるためだ。

    「人間って、好きなことがいっぱいあるのが自然じゃないですか。だから好きなことをやっているだけ。マンガ家だからといって、インテリアを仕事にしてはいけない決まりはないはず」

    心地よく働きたい。時代とともに自分の価値観も変わった。

    「90年代は今ほど娯楽がなくて、定期的に出るマンガ雑誌が読者の支えだった部分があると思うんです。そんな読者のために、私も一生懸命、月100ページ描いてました。でも、今って『マンガを読んで楽しかった! 次はBTSのYouTubeを見よっと』みたいな選択肢がある。だったらマンガ家も『描くの楽しい! じゃあ次は他の仕事しよ!』っていうスタンスでいいと思う。マンガ家にも人格がありますから」

    「私が20代のときは、我慢した人間が成功する時代だったし、自分を押し殺すのが成功への近道だったと思います。大企業に所属して、年長者の発言が絶対的で、決められたレールがあって、それからあぶれてしまうと生きていけなかった」

    「でも、もうそんな時代じゃない。好きなことしかしなくていい。好きなことを伸ばしていったほうが幸せ。もし、『敷かれたレール」に苦しんでいる人がいるなら、そう言ってあげたいです」