イスラム教徒の関取・大砂嵐。断食しているのに、なぜ強い? その思いに迫る

    「俺にとって相撲はすべて。相撲は俺の情熱、人生、心、そして家だ」

    大相撲初のエジプト出身力士、大砂嵐 金崇郎(24)。190cm、体重153キロ。ムスリムとしては初の幕内力士だ。

    2011年、当時19歳だった大砂嵐は、相撲の世界に魅了され、エジプトから日本に移り住み大嶽部屋に入門した。そして2012年3月、初土俵を踏む。そこからわずか10場所で新入幕を果たした大砂嵐は、元大関の琴欧洲を抜いて、外国人力士として史上最速の出世となった。

    イスラム教徒の大砂嵐は毎年、1ヶ月間、ラマダンに入る。ラマダンはイスラム教徒にとって神聖な月。この期間は日の出から日没まで、飲食を一切断つ。近年、ラマダンは、7月の名古屋場所と重なることが多い。

    大砂嵐は、ラマダンをどのように乗り越えるのか。BuzzFeed Newsは、愛知県稲沢市の大嶽部屋宿舎を訪れた。

    6月28日。あいにくの雨。風が横に強く吹いている。屋外にある大嶽部屋の稽古場。土俵の周りには、見学者用の椅子が並べられているが、どれも雨で濡れていた。

    早起きした若い力士たちは、6時半過ぎから箒で土俵の掃除を始める。徐々に他の力士たちも集まり、7時から稽古が始まった。稽古初日は、四股踏みやストレッチ。大嶽親方は座っているところから、四股の踏み方に檄を飛ばす。

    外の気温は18度。息を吐くと白くなるくらい、寒い。だが、30分も経たないうちに、力士たちは汗をかき始めた。

    休憩時に力士たちは、柄杓でバケツから水を汲み、水分補給する。だが、大砂嵐は飲まない。水を口に含め、うがいを2秒ほど。水は飲み込まずに吐き捨てた。

    8時18分。ちゃんこの美味しそうな匂いが土俵の周りにも漂ってきた。

    8時半に稽古が終わると、大砂嵐は見学者に投げキッスをしたり、変顔を披露したり、周囲の人を笑わせる。ファンサービスだ。

    稽古後、1歳のころから稽古を見学に来ている古谷飛鳥ちゃん(5)を抱きあげる。「俺とこのおじさん、どっちが好き?」と隣に立つ力士・電山博保を指差す大砂嵐。

    日本について何も勉強せずに来たと話す大砂嵐。

    「日本についてまったくわかんなかった。日本のイメージは、ブルース・リーだった。日本に来て、ブルース・リーが中国人と聞いて大ショックだった」

    外国人力士がいない相撲部屋を調べ、7つの部屋に足を運び自分を売り込んだ。次々と入門を拒否された。それに加えて、体験参加した取組で怪我をしてしまう。

    それでも諦めきれなかった大砂嵐は、焦りを感じながらも、最後の望みを賭けて大嶽部屋を訪れた。大砂嵐の情熱に感心した親方は、宗教や文化の違いを気にするなとアドバイス。そして、こう言った。「その情熱をどれだけ相撲に使えるかだけを気にしろ」

    大砂嵐はこう振り返る。「人生で一番幸せな瞬間だった」

    大嶽部屋に入門し、勝ち続ける決意を固めた。自分だけではなく、チャンスを与えてくれた親方のために。そして、遠く離れた場所から応援してくれる家族と母国エジプトのために。

    9時半。シャワーを浴びた後、床山が大砂嵐の部屋で髪を結う。部屋は土俵の前に設置されているプレハブで作られた一人部屋。プレイステーション4の箱が置いてある。お気に入りのゲームは何か聞くと、対戦ゲームが好きだと話す。

    日本大相撲」など、相撲ゲームを遊んだことがあるか聞くと、大笑いした。「嫌だよ、それ嫌だよ(笑)。コール オブ デューティとかが好き」。

    大砂嵐はスマートフォンをつつきながら、時々床山と会話をする。「この長さまで伸ばすのに、5年くらいかかった」。髪の毛について、必死に話しかけてくる大砂嵐。だが、話にどうしても集中できない。部屋の冷房がゴーゴー効いていて、とにかく寒い。

    冷房の設定温度は外と同じ18度。高血圧のため、冷房をつけている。

    10時から約1時間ほどお昼寝タイム。一旦部屋を離れることにした。

    10時40分。大砂嵐の昼寝の途中、お腹を空かせた力士たちは食卓に集まり、昼食を取る。

    この日のメニューは、野菜のカレーちゃんこ、ナポリタンスパゲティ、赤味噌風味の豚キャベツ、そしてマグロ南蛮。

    ラマダン期間中、大砂嵐は食卓に近寄らない。部屋でゲームや昼寝をしているという。

    11時。大砂嵐の部屋へ行くよう呼ばれる。ドアを開けると、大砂嵐は着替えて祈りの準備をしていた。

    「どうぞ」

    大砂嵐は、私にそう一言かけると、目を閉じた。立礼で声を出さずに唇だけ動かしてコーランを唱える。体をゆっくりと動かしながら、跪拝、座位へと移る。

    最後に、座ったまま顔を右へ、そして左へ。

    ふぅ、と息を小さく吐く。祈りが終わった。

    すぐに切り替え、昼の力士会、そして夜のイベントに向けて支度を始める。

    本場所前。体力を消耗しきった稽古後に、水分補給や食事ができない。大変だと感じたことはないのか。

    「大変じゃないよ」

    さらっと答える大砂嵐。なぜか素直に納得してしまうのは、きっと誰に対しても絶やさずに見せている笑顔と、水一滴、飲んでいないにもかかわらず、他の力士と同じ稽古をこなしているから。

    日本で初めて迎えたラマダンは、2012年の名古屋場所だった。エジプトでは体験したことのない湿気。145キロから15キロ、体重が落ちた。蜂窩織炎になり、足の不調に襲われた。悔し涙を流しながらも初日は休場。だが、「絶対に出たい」と病院を去り、残り五番に出場して勝ち越した。

    翌年2013年の名古屋場所では、ラマダンが取組日程と重なった。体重が10キロ近く減ったが、まるで影響がなかったかのように10勝5敗と好成績を収めた。2015年の名古屋場所も11勝4敗と、決して成績を落とさない。

    日中に食事ができない分、夜中に高カロリーの食事を摂取するなど、工夫する。名古屋場所では、お気に入りの焼肉屋で15人前の肉を平らげたり、ラーメン屋で替え玉4つをすする。母国が恋しくなったら、エジプト料理で思い出せばいい。

    だが、大砂嵐が乗り越えなければいけないものは、断食だけではなかった。

    「おい、イスラム国!」

    2015年の初場所。勝ち名乗りを上げた大砂嵐に、心ないヤジが飛んだ。

    日本に住み始めて5年。まだムスリムへの理解が足りない。そう感じる時もある。個人的な話も、ムスリム全体の意見として誤解されてしまう。

    「宗教について誤解している人も少なくない。俺にとって、宗教は神とのプライベートで特別な関係。それについて、話すのは俺の仕事じゃない。けど、しょうがない」

    「しょうがない」。日本に来てから覚えた、便利な言葉。

    だが大砂嵐にとって、相撲は自分自身との闘いだ。イスラム教徒であることとは、関係ない。断食をずらさなかったのも、自分の限界にチャレンジするため。

    ラマダンは、相撲の修行の一部。大砂嵐は言う。「苦しみではない。どちらかというとトレーニング。相撲のトレーニングだ」

    7月10日から始まる名古屋場所で、大砂嵐は東の前頭三枚目に就いている。ようやく、三役を狙える番付までたどり着いた。大砂嵐はまるで土俵での大きな砂嵐を予告するような目でまっすぐとこちらを見つめながら、どっしりと構えて話した。

    「一番力を出して、良い相撲をしたい。俺にとって相撲はすべて。相撲は俺の情熱、人生、心、そして家だ」

    セクション・ディバイダーのクレジット: Human Pictogram 2.0 / Eimi Yamamitsu / BuzzFeed