崩壊寸前の岸田政権「大国外交」はもう身の丈に合わない。中央アジア諸国と首脳会議は無理筋では…

岸田政権

従前からの内閣支持率低下に加え、自民党安倍派の裏金疑惑がダメ押しとなり、政権存亡の危機を迎えた岸田首相。

Kiyoshi Ota/Pool via REUTERS

自民党安倍派が政治資金パーティー収入の一部を裏金にしていた疑惑から、存亡の危機に直面する岸田政権。

松野官房長官らの更迭人事が行われるとの報道もある中、12月16日に東京で開催される東南アジア諸国連合(ASEAN)の特別首脳会議で、岸田氏は共同議長を務める。2024年半ばには中央アジア5カ国とも初の首脳会議を開く。いずれも中国・ロシアに対抗して「大国外交」を展開するのが狙いとみられる。

「外交の岸田」の本領を発揮して政権延命を図る材料にしたいところだが、実質GDP(国内総生産)総額でドイツに抜かれ世界4位に後退した日本には、もはや大国外交を展開する余力などない。

身の丈に合わなくなってきた「大国」の肩書き

「日キルギス、脱『中ロ依存』探る 大統領が初の来日」

11月20日付の日本経済新聞の記事タイトル。読んで思わず「ええっ」とうなってしまった。2024年半ば、岸田政権が中央アジア5カ国と初めての首脳会議を都内で開催するという内容だ。

米中ロが影響力拡大を目指して激しい綱引きを演じるこの地域で、日本が何か役割を演じる余地はあるのか、疑念が浮かんだからだ。

他にも首を傾げざるを得ないニュースがある。

岸田氏は12月1日、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイで開かれた国連気候変動枠組条約第28回締約国会議(COP28)に出席、翌2日に現地でエジプトのエルシーシ大統領と会談して、最大2億3000万ドル(約333億円、1ドル145円換算)の財政支援を検討すると表明した。

同日、ヨルダンのアブドラ国王とも会談し、2024年に1億ドル(約145億円、同)の財政支援を供与すべく準備を進めると伝えた。

イスラエル・パレスチナ戦争を受け、避難者対応などで経済・財政負担に苦しむエジプト、ヨルダン両国を支援するのはうなずけるとしても、それを即時実施するのではなく「検討する」に留めるあたり、日本にとって「大国」の肩書きが身の丈に合わなくなってきた実情を示している。

日本「大国外交」の実相

ここからは、中央アジア5カ国との首脳会議に焦点を絞り、身のほど知らずとも言える日本の「大国外交」の実相に触れたい。早くその迷妄から目覚めなければ、外交資源や予算の無駄遣いになるからだ。

中央アジアは旧ソ連構成国だったから、長いこと政治的主体として注目を集めることはなかった。

転機は1992年末のソ連崩壊とともに訪れる。地域の盟主的存在のカザフスタンをはじめ、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンが次々に独立した。

中国と旧ソ連との間では、1991年5月に「中ソ国境協定」が締結され、極東地方の大部分の国境が画定していたが、ソ連が崩壊したために、中国と中央アジア諸国との間で国境の再画定が必要になった。

国境問題に加え、イスラム過激派の流入問題や、西側資本も関与するカスピ海の石油・天然ガス資源の管理・運営問題もあり、中国とロシアは1996年にカザフスタン、キルギス、タジキスタンとの首脳会合「上海ファイブ」を設立。それを母体に2001年に現在の「上海協力機構(SCO)」が発足した。

2001年9月の米同時多発テロ事件を受け、当時のブッシュ(子)政権はアフガニスタンに侵攻。アメリカはウズベキスタンやタジキスタン、キルギスで空軍基地や空港の使用許可を得るなど、一帯は国際政治の主体として注目されるようになる。

「ユーラシア外交」を提唱した過去

中央アジア外交の表舞台に日本が初めて登場したのは1997年、当時の橋本首相が提唱した「ユーラシア外交」からだ。中央アジア諸国の関係緊密化やカスピ海の天然資源をにらんで、同地域におけるロシアと中国の影響力拡大にくさびを打ち込む狙いだった。

エリツィン政権のピークこそ北方四島返還を実現するチャンスとみていた当時の外務省ロシアンスクール(ロシア語専門者による省内グループ)と経済産業省が橋本首相を動かし、アメリカや中国をけん制するためロシアとの関係強化を進めようとした。

しかし、エリツィン大統領は2000年に引退。それに伴って、ユーラシア外交も頓挫した。

その後、中央アジアと日本との対話の枠組みができたのは2004年。当時の川口順子外相がカザフスタンを訪問して最初の外相会合を開き、現在までに計9回の会合が開かれてきた。そして今回、20周年の節目を迎える2024年、首脳会合に格上げされることが決まった。

転換期を迎える中ロと中央アジア諸国の関係

中央アジアがあらためて注目されるようになった理由の一つが、ロシアによるウクライナ侵攻だ。

ロシア主導の軍事同盟「集団安全保障条約機構(CSTO)」に加盟する中央アジア諸国(カザフスタン、タジキスタン、キルギス)の間でロシアへの求心力が急速に低下し、中国や欧米諸国との関係を再構築することで安全保障を確保し、国際政治の主体としての存在を強化したい思惑が生まれた。

中国の習近平国家主席が10年前に広域経済圏構想「一帯一路」を発表したのはカザフスタンであり、中央アジア諸国はヨーロッパと中国を結ぶ「一帯」の経路上にある。脱ロシアを進める上で、中国の存在は大きい。

ただし、中央アジア諸国の対外貿易と対外債務に占める中国のシェアは国によってばらばらだ。

対外債務の国別内訳を見ると、タジキスタンとキルギスはいずれも中国のシェアが半分程度を占めるが、輸出入の国別内訳を見ると、ウズベキスタンやカザフスタンは欧米や中央アジア域内諸国のシェアが大きく、中国やロシアは合わせても3〜4割程度にとどまる。

アメリカ盲従の「ツケ」は重い

中央アジアのこうした状況の中で、日本はどんな役割を演じようというのか。

笹川平和財団研究員の齋藤竜太氏は、雇用をもたらす産業育成やそれを支えるための市場経済化、民主化へ向けたビジネス人材や行政官の育成など「社会経済分野の役割」を提言する(国際情報ネットワーク分析、2021年7月12日付)。

これらの提言は、アフリカや太平洋島しょ国への支援でも共通する、ある種の「謳い文句」。支援を受ける側は常に資金援助という「実利」を求める。「民主化」「市場経済化」は確かに聞こえはいい。

しかし、多種多様な部族社会で形成され、旧ソ連時代からの強い官僚システムと腐敗構造が生き残る中央アジア地域にとって、こうした提言は「魅力」だろうか。

主要7カ国(G7)議長国として5月の広島サミットを仕切った岸田氏は、日本の「国際社会をリードする大国」としての外交を自賛する。

しかし大国とは名ばかりで、2023年は実質GDP総額で世界4位に後退し、中進国への転落が鮮明になった1年だった。

「日米同盟基軸」をあらゆる言い訳にし、アメリカの世界戦略に盲従してきた戦後日本の外交は今、根本的な見直しを迫られている。

鹿児島県の屋久島沖で11月29日に発生した米空軍輸送機「V22オスプレイ」墜落事故をめぐる動きは、日本の盲従ぶりを示す分かりやすい例だ。

防衛省は当初米軍の発表通り、「墜落」ではなく「不時着水」と発表。その直後、米国防総省は機体不具合が原因と発表し、全機種の離発着を停止した。12月初旬には、オスプレイの生産ラインを2026年予定で閉鎖するとの報道も出てきた

1機当たり約9000万ドル(約130億円)もするオスプレイを導入したのは、世界でも自衛隊だけだ。アメリカ盲従のツケがいかに高いかを教えている。

対中政策転換の準備を

アメリカ一極支配の終えんが鮮明になりつつある世界秩序の中で、アメリカのいわば「下請け」として中ロ対抗を狙った日本の「大国外交」は、外交能力や資金面から息切れし、身の丈に合わない「エセ大国外交」だと筆者は考える。

バイデン政権の足元からは、台湾有事を煽り対中軍事抑止ばかりを強調する戦略は逆効果で、むしろ「一つの中国政策」を保証することで安心を中国に供与すべきという提言が出始めている(Foreign Affairs、11月30日付)。

日本政府は菅政権以来、バイデン政権とともに日米安保を「対中同盟」に変え、台湾有事に向けた日米統合戦略を推進してきた。

しかし、外務省は先日死去したキッシンジャー元米国務長官の工作で実現した1970年代の米中和解が、日本の頭越しで行われたことを決して忘れていない。

キッシンジャー氏は中国の周恩来元首相に対し、「中国には普遍的な視点があるが、日本の視点は偏狭」と述べたことがある。

朝鮮半島情勢ととともに、日本の安保政策の中心をなす台湾政策で、アメリカが日本の頭越しに政策転換するのは、外務省にとって最悪中の最悪の「悪夢」だろう。

年明け1月には、台湾海峡情勢を左右する台湾総統選挙の結果が出る。米大統領選でトランプ氏が再選されれば、対中軍事抑止を世界戦略にしてきたバイデン政権の外交政策は終わる。

米中「頭越し」外交の再来に対応するためにも、日本政府は対中政策転換に向けた「プランB」の準備に早急に取りかかるべきだ。

「窒息死」寸前の岸田政権にそれを任せられるかは、心許ないけれど。

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