土井たか子(元社会党委員長)

土井たか子(元社会党委員長)
「やるしかない」「山が動いた」のフレーズで知られる土井は、女性で全国初の市の人事委員に選任された後、社会党から衆議院議員総選挙に出馬し初当選を果たす。議員となり“女性の権利”や“公害問題”に取り組み、父系しか認められていなかった国籍法の改正や伊丹空港の夜間飛行停止を実現。1986年、日本憲政史上初の女性党首となると、竹下内閣で発覚した「リクルート事件」を追及し辞職へと追い込む。第15回参院選では倍以上の議席を獲得し、政界にマドンナ旋風を巻き起こす。常に市民の声に耳を傾け、女性の社会進出に尽力した土井の気骨精神に迫る。
  • 前編(8月23日放送)
    「名もなき市民のために!気骨のマドンナ」

    土井は、1928年に兵庫県で医師の次女として誕生。幼少期より男勝りで正義感が強く、両親の男女対等という教育環境の中で成長する。大学で弁護士を目指すが司法試験を受けず大学院へ進み、非常勤講師として憲法の講義を行うようになる。やがて女性として全国初となる神戸市の人事委員に選任。雇用問題をはじめ女性差別が様々な場面である中、土井は公平無私を訴え女性職員の採用に尽力する。このような活動が周知されると、社会党から衆議院議員総選挙の出馬要請を受ける。出馬を決意した土井は、兵庫二区で次点とわずか1400票差で初当選を果たす。議員となった土井が取り組んだのは女性の権利問題。国会で“質問魔”とあだ名を付けられるほど追及し続け、様々な懸案事項が見直される。1985年、ついに「男女雇用均等法」が制定、翌年に施行され、土井の想いは身を結ぶ。しかしその後、社会党は選挙で大敗。憲政史上初の女性党首となった土井は、社会党の立て直しを模索する。

  • 後編(8月30日放送)
    「名もなき市民のために!気骨のマドンナ」

    土井は衆議院議員に初当選後、公害問題に取り組み「大阪空港騒音問題」では、現地を視察し想像以上の騒音を体感。住民に寄り添い市民目線で共に闘った結果、夜9時以降は飛行停止という和解案を成立させる。しかし選挙で社会党が大敗すると、土井は憲政史上初の女性党首となり社会党の立て直しを迫られる。そんな中、竹下内閣で戦後最大の贈収賄事件「リクルート事件」が発覚。土井は徹底追及し、竹下内閣は辞職へ追い込まれる。世論の風向きも変わり、第15回参院選では多くの女性議員を擁立した社会党が議席を伸ばし、「山が動いた」という名言が誕生。対する自民党は過半数割れとなり、これまで硬直化していた日本政治に政権交代の道すじができる。その後4年あまり委員長として社会党を支え続けるが、統一地方選挙で敗北すると委員長辞任を表明。衆議院議長に選出され、憲政史上初の女性議長となるが、2005年、選挙で落選し36年の議員生活に幕を下ろす。