昭和の微笑 夏目雅子29年目の真実

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      みどころ

      将来を嘱望されながらも27歳の若さで夭折した「昭和の微笑」女優・夏目雅子。
      旅立ちから29年。今も、その微笑は昭和を知る人々の心の中に生き続けている。
      女優として、ひとりの女性として、家族の一員として、夏目雅子はどんな人生を送ったのか。
      ゆかりの人たちの証言と資料映像をもとに、昭和最後の美人女優、夏目雅子の真の姿に迫る。
      ※夏目雅子・昭和32年12月17日 生まれ~昭和60年9月11日没(享年27)

      内容

       27歳で生涯を閉じた夏目雅子だが、その人生は波瀾万丈であった。良家の子女からモデル、
      女優デビュー、恋愛、闘病、そして旅立ち…。
      番組では、雅子が27年間に体験した出来事を
      「その時 雅子は」をキーワードに、デビューから、映画・テレビドラマ・CMの撮影秘話、闘病、
      旅立ちと夏目雅子ひまわり基金まで、関係者の証言と映像で、夏目雅子の素顔に迫る。

      武田鉄矢 藤田弓子  
      武田鉄矢
      (「幕末青春グラフィティ坂本竜馬」共演) 
       藤田弓子
      (「時代屋の女房」共演) 


      【少女・小達雅子】
      雅子が女優の夢を抱いたのは小学3年生の時。きっかけはテレビドラマ「チャコちゃんハーイ!」。明るく元気な主人公に内気だった雅子は憧れた。さらに実家の小達家は六本木で雑貨商を営み裕福であったが、両親は仕事で忙しく幼い頃、雅子は寂しい思いもした。だが、内向的だった少女は、やがて明るく芯の強さを持つ女性へと成長して行く。
       
      お手伝いさん

      野村一徳(いとこ) 弟・小達敏明
      当時のお手伝いさん  野村一徳(いとこ) 小達敏昭(弟)

      【女優デビュー】
      17歳の雅子は1本の映画と出会う。イタリア映画「ひまわり」。戦争で消息不明となった夫を懸命に捜す妻の物語で主演はソフィア・ローレン。雅子は強い意志で愛を貫くソフィア・ローレンの演技に感銘を受け、本格的に女優を志す。そして18歳でテレビCMに出演。女優デビューはテレビドラマ「愛が見えますか」のオーディションに500人の中から選ばれたこと。しかし、役どころは盲目の少女。演技の勉強をしたことがない雅子は監督の要求にこたえることが出来ず、何度も涙を流したという。

      高倉三郎(テレビP)    
      高倉三郎(「愛が見えますか」プロデューサー)    

      【クッキーフェイスで“夏目雅子”ブレイク】
      女優としてデビューしたものの注目されることはなかった雅子は、テレビCM「クッキーフェイス」のモデルに起用され、芸名も“夏目雅子”に変える。これが雅子の運命を変える。健康的な笑顔と姿態が反響を呼び、瞬く間に時の人に。だが、雅子の芸能活動に反対の母との対立は深まって行く。この撮影で後に結婚することになる伊集院静氏と出会っている。

      田川清美(カメラマン) 兄・小達一雄  
      田川清美(カメラマン)  小達一雄(兄)

      【“お嬢さま芸”の苦悩】

      やがて雅子はテレビドラマ「西遊記」で三蔵法師役を演じ不動の人気を得る。が、「自分が思う演技が出来なくて悲しい…」と常にコンプレックスを持ち続けていた。「お嬢さま芸」「学芸会」と揶揄されることも多かった。こうした中、最大の理解者であった父、宗一が他界。雅子はNHKドラマ「ザ・商社」に出演。初の汚れ役に挑戦。女優として変身を始める。

      志村彰(ドラマP)    
      志村彰(テレビドラマプロデューサー    

      【女優として変身、映画「鬼龍院花子の生涯」】
      昭和57年、24歳になった雅子は東映「鬼龍院花子の生涯」(宮尾登美子原作)に出演。土佐の侠客、鬼龍院政五郎の養女、松恵を演じ、迫真の演技が評価されブルーリボン賞主演女優賞を獲得。ついに女優としての地位を確立した。雅子のセリフ「なめたらいかんぜよ!」が流行語となった。ただ、このセリフは台本にないものだった。娘の作品を見ない母、スエは雅子の強い要請で映画を見たが激怒。理由は劇中で雅子が夫を看取る演技はスエが宗一を看取った姿、そのものだったからだ。

      日下部五朗(鬼龍院制作) 増田悦章(鬼龍院・照明) 田中としお(鬼龍院・美粧)
      日下部五朗
      「鬼龍院花子の生涯」制作総指揮

       増田悦章
      「鬼龍院花子の生涯」照明)
      田中利男
      「鬼龍院花子の生涯」美粧)


      【監督・相米慎二との闘い、映画「魚影の群れ」】
      昭和58年、雅子は奇才と言われた相米慎二監督の映画「魚影の群れ」に出演。青森・大間のマグロの一本釣りの漁師の娘を演じた。父親役の緒形拳が1ヶ月前から現地入りし役作りをする中、雅子は物おじせず体当たりで演技。役者を褒めることのない相米監督をも納得させた。

      榎戸耕史(魚影_助監督) 宮島秀司(魚群制作)  
      榎戸耕史(「魚影の群れ」助監督)  宮島秀司(魚影の群れ」プロデューサー  

      【素顔の雅子秘話】
      銭神信子はファンとして雅子に接するうちに人柄に魅せられ、自ら志願し「鬼龍院花子の生涯」のキャンペーンから付き人になった。付き人初日、雅子の家を訪ねると…

      銭神信子(付き人)    
      銭神信子(付き人)    

      【愛に生きる】
      雅子は「クッキーフェイス」で知り合った伊集院氏と交際を重ねやがて結婚。だが、その道のりは順風満帆ではなかった。母の反対、伊集院氏の女性関係。雅子は愛を貫いたのだ。

      小花寿司・三倉夫妻    
      三倉夫妻(「かまくら小花寿司」店主)    

      【闘病~旅立ち】

      女優として映画だけではなく舞台進出も果たした雅子だったが昭和60年2月、舞台「愚かな女」の最中に体調不良を訴え緊急入院。急性骨髄性白血病と診断された。だが、雅子本人には本当の病名を伏せられた。入院から7カ月、病状も回復、退院も検討されていた矢先、抗がん剤の副作用等が原因とみられる肺炎を併発。高熱を発し意識不明の重体になり、雅子は27歳の生涯を閉じ、天国に旅立った。

      出演

      小達一雄(兄)、小達敏昭(弟)、本山和政(いとこ)、三倉夫妻(「かまくら小花寿司」店主)
      武田鉄矢(「幕末青春グラフィティ坂本竜馬」共演)
      藤田弓子(「時代屋の女房」共演)
      日下部五朗(「鬼龍院花子の生涯」制作総指揮)
      榎戸耕治(「魚影の群れ」助監督)
      宮島秀司(「魚影の群れ」プロデューサー)
      酒井政利(「クッキーフェイス」CM曲プロデューサー)
      岡田美津子(「魚影の群れ」方言指導)
      幼少期の当時のお手伝いさん
      ほか

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