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テーマ : 函南町

酪農のまち140年超の歴史脈々 函南町丹那地区 ブランド牛乳、牛飼いの誇り【わたしの街から】 

丹那の酪農家に大切に育てられる牛たち
丹那の酪農家に大切に育てられる牛たち

 函南町から熱海市に抜ける熱函道路を進むと、のどかな田園風景が眼下に広がる。白と黒のまだら模様の牛たちがゆったりと過ごす函南町の丹那盆地は、県東部の学校給食で親しまれる「丹那牛乳」を生んだ酪農のまち。140年以上の歴史を築いた牛飼いたちの熱意が今も息づく。
 丹那の酪農の始まりは明治時代。丹那牛乳を製造する函南東部農協によると、代々名主を務めた川口家の31代秋平氏が1881年、伊豆産馬会社を設立。私財を投じて米国からホルスタイン種を輸入し、住民に酪農を奨励した。標高250メートルの高冷地は良質な生乳づくりに最適。同農協の営業文句の一つが「北海道よりも長い歴史」だ。
 1918年着工の丹那トンネル工事による渇水で、農家は稲作からの転換を余儀なくされ、酪農は地域産業の中心に。秋平氏の長男秋助氏が先導し、酪農振興や乳牛改良、新鮮な生乳を販売するための道路整備といった礎が築かれた。 photo01 丹那牛乳
 「自分の子や孫に飲ませる牛乳を消費者の皆さまにも」という情熱を持った酪農家が55年、同農協を創設。地区内で牛乳の加工処理を始めた。生乳は時間とともに酸化し、風味が劣化する。最も遠い農家でも片道2時間という搾乳から短時間で加工処理できる鮮度が丹那ブランドの根幹にある。
 昭和50年代に100軒ほどあった丹那地区の酪農家は現在9軒に減った。オイルショックや流通の活発化による他地域との競争、餌代や輸送費の高騰。多くの逆風があり離農は進むが、安心安全でおいしい牛乳へのこだわりは変わらない。
 曽祖父が始めた農場を継ぐ内田利光さん(47)にとって故郷の名前を冠した牛乳は特別だ。学生時代に「東京で丹那牛乳のトラックを見たぞ」と言われた友人の言葉は今も心に残る。酪農先進国の米国でも修行したが「安心と安全では負けていない。味は格段に他とは違う」。牛飼いの誇りは脈々と受け継がれる。

  photo01
来てここ
オリジナル商品 相乗効果 酪農王国オラッチェ
  photo01 丹那牛乳を使ったオリジナル商品
 首都圏の高級スーパーでも取り扱いがある丹那牛乳のブランド価値を一層磨き上げているのが、酪農王国オラッチェだ。オリジナル商品は約20種類。牛乳との相乗効果を生む新商品を出し続け、全国に「丹那」の名を広げている。
 酪農王国は1997年の開業当初から6次産業化に取り組んできた。現在最も人気がある加工品は「地域ブランドの牛乳を使い、全国に流通している商品は他になかった」というバウムクーヘン。クッキーやラスクも地元の手土産として定着しつつある。 photo01 酪農王国オラッチェ
 西村悟社長は「足元に泉あり」と強調する。長年の歴史で培われた人と家畜が共生する土作りを大切にした循環系有機農業は「持続可能な開発目標(SDGs)」そのもの。価値を見いだされていない丹那の宝は盛りだくさん。西村社長は「丹那から観光交流人口を増やし、函南にも広げていきたい」と意気込む。

逸品名品
あみにょん焼き 道の駅伊豆ゲートウェイ函南
  photo01 あみにょん焼き
 丹那牛乳を使ったソフトクリームや飲むヨーグルトが味わえる道の駅伊豆ゲートウェイ函南(函南町塚本)で、土日祝日に販売している「あみにょん焼き」が人気だ。人間の煩悩の数にかけた一日限定108個の菓子は毎回ほぼ完売する。
 丹那牛乳のバター製造過程で廃棄される「バターミルク」を生地に使用し、あんこと一緒にはさむ白バターの原料も丹那牛乳。ぜいたくに使った牛乳の風味とコクを存分に味わえる。同町桑原のかんなみ仏の里美術館に所蔵する国指定重要文化財の阿弥陀[あみだ]如来坐像をモチーフにした形も印象的だ。
 

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