【政治改革】選挙制度改革の残像(11)執行部に権力、腐敗の温床 政策が似たり寄ったりに 立憲民主党参院議員 辻元清美
2022年の参院選比例代表で立憲民主党から当選した辻元清美氏は、衆院に小選挙区比例代表並立制が導入された最初の選挙で社民党から当選を果たした。鋭い舌鋒(ぜっぽう)で自民党と対峙(たいじ)してきた彼女の目に、この制度下の政治はどう映るのか。(聞き手は共同通信編集委員・久江雅彦、写真は今里彰利)
▽鋭い舌鋒で政権に対峙
小選挙区比例代表並立制には「光と影」があります。この制度下、2009年に民主党が政権に就いたことは「光」です。当時は、参議院のねじれパワーもありましたが、とにかく政権交代が可能な仕組みであると実証しました。でもそれ以上に影の部分が大きいと思います。
選挙制度改革のとき「自民党各派閥の候補が同士打ちになるから政治に金がかかり、汚職事件も起きる。小選挙区制にすれば、こうした問題は起きない」と言い立てられました。しかし改革の結果、自民党では公認権や資金を握る執行部の力が絶大になりました。
安倍晋三首相の時代に起きた森友、加計両学園や桜を見る会の問題は今の選挙制度とも関係しているのではないでしょうか。中選挙区制でこんな問題が相次げば、他派閥が降ろしにかかっていたでしょう。でも、安倍さんに権力が集中しているから誰もものが言えず、腐敗を止められなかった。現行制度では執行部の腐敗を止められない新たな弊害が生じたのです。
▽小粒化する政治家
選挙区に目を転じると与野党を問わず、政治家のスケールが小粒になりました。当選するためには地域の会合やイベントに積極的に顔を出すこまめな活動が必要です。例えば東京には区会議員よりも狭い選挙区から衆院議員を選出する地域もあり、しのぎを削ります。
それ自体を否定はしませんが、10年先の
未来や国家全体を考える国会議員の役割が薄らぐように思います。地域との結びつきが当選に直結するため、既に地盤を持つ世襲の議員がさらに強くなる傾向がある。政治家の質が全体的に劣化していると言われます。
私は以前、社民党という小さな政党に所属し、小選挙区で当選を重ねてきましたが、小政党の候補が勝ち抜くには、時間とエネルギーの大半を選挙活動に使わなければなりません。
加えて、1人しか当選できない小選挙区の場合、1対1の対決では過半数の得票が不可欠なため自分の得意分野で鋭角的な訴えがしづらくなります。他候補と似たり寄ったりの無難であいまいな政策に傾きがちです。
小選挙区でたたかっていたとき、投票用紙に「辻元清美」と書いてくれた人のうち立憲民主党やリベラル系の支持者は半分ほど。残りは保守・中道系だったのではと思います。
小選挙区比例代表並立制を導入すれば、二大政党に向かっていくと言われていましたが、現実はひとたび大きな与党ができるとひっくり返すことが難しい。私はこの制度で当選した1期生で、その前の改革論議は民間人として外から見ていましたが、当時から技術的な話ばかり。どんな二大政党を目指すのかという理念の話が欠落していると懸念していました。
27年たった現在、今の制度は、多様化している社会や国民の考えを体現しなくなったのではないでしょうか。
▽理想は穏健な連立
私は自民、社民、新党さきがけの「自社さ政権」で与党も経験しました。こうしたリベラル保守の穏健な連立はバランスがよかったと考えています。民主党も社民、国民新党と協力し連立を樹立しました。
日本で二大政党制はなかなか難しい。野党がまとまれないだけではありません。今の政権も参院で自民が過半数割れしていることもあり、公明党との連立です。
また小選挙区比例代表並立制は、女性の政治進出のハードルをますます高くしているように感じます。女性の場合は政治・選挙活動と、介護や子育てとの両立が難しい。例えば、出勤前に駅であいさつする「朝立ち」は最も多忙な時間帯です。一つの選挙区から複数が当選できる中選挙区制ならば「1人は女性を選ぼう」となるかもしれませんが、すぐに制度を戻すことは困難でしょう。
現実的な解決策として、比例代表での女性候補の割合を各政党が定める「クオータ制」の導入や少数意見でも議席を取れるよう比例代表を現在のブロック制から全国区に広げることも一案です。同時に、衆参両院とも被選挙権を20歳以上に引き下げ、若者の意見をより政治に反映させやすくなれば、日本の政治も変わっていくと思います。
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つじもと・きよみ 1960年奈良県生まれ。早稲田大卒。在学中に非政府組織(NGO)「ピースボート」創設。1996年衆院初当選。旧民主党政権で国土交通副大臣などを歴任し、立憲民主党へ。
▽辻元氏の歩み
1996年10月 衆院選の比例近畿ブロックに社民党から初当選
1998年6月 自社さ連立政権が崩壊
2000年6月 衆院大阪10区から社民党公認で当選
2002年3月 秘書給与問題で議員辞職
2005年9月 大阪10区から社民党公認で立候補し比例復活当選
2009年8月 大阪10区から社民党公認で当選
9月 民主党の鳩山内閣で国土交通副大臣
2010年7月 社民党からの離党表明
2011年3月 民主党の菅内閣で災害ボランティア担当の首相補佐官
9月 民主党入り
2017年10月 旧立憲民主党で政調会長、国対委員長
2021年10月 大阪10区で敗北
2022年7月 参院選比例代表で当選
▽「取材を終えて」経験による多角的視点
辻元清美氏は社民党、旧民主党、立憲民主党と所属が変わり、無所属だった時期もある。衆院議員から参院議員へ移り、小選挙区のほか、近畿ブロック比例代表、全国比例代表で当選を重ねた。この豊富な経験が多角的な視点の源泉だろう。
その辻元氏と言えば、リベラルの旗手という印象が強い。しかし、本人が語る選挙の基本は、自民党のベテラン議員の言葉と酷似する。それは「小選挙区は、個人票がものを言う」。得票の半分は保守・中道票だったとの回顧は説得力を持つ。
取材で聞いた、参院でキャスチングボートを握る政党が肝要との分析も鋭かった。辻元氏が提唱した穏健な連立政権は誕生するか。
▽言葉解説「自社さ連立政権」
1994年6月、羽田内閣の総辞職を受け自民、社会、新党さきがけ3党で発足した枠組み。社会党委員長から首相に就いた村山富市氏は日米安保堅持、自衛隊合憲、日の丸・君が代の容認を表明した。しかし、政権与党で臨んだ統一地方選、参院選に相次いで敗北。1996年1月に村山氏が退陣し、党名を社民党に変えたものの、9月の民主党結成で党は分裂した。10月の衆院選も惨敗に終わり、社民党は閣外協力に。1998年6月に連立を離脱し、自社さ体制は崩壊した。