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テーマ : 読み物・コラム

市川團十郎さん襲名公演に感動 現代人にいま、歌舞伎をお勧めする理由【茂木健一郎のニュース探求】

 11月、12月と、東京の東銀座にある歌舞伎座に、市川團十郎(いちかわ・だんじゅうろう)さんの襲名披露公演を見に行った。海老蔵さんが「市川團十郎白猿(はくえん)」を襲名すると同時に、息子さんの勸玄(かんげん)さんが、「市川新之助(いちかわ・しんのすけ)」を襲名した。来年3月には各地を巡業されるようで、素晴らしい舞台をたくさんの方が見ることができたらいいと思う。

茂木健一郎さん(撮影・徳丸篤史)
茂木健一郎さん(撮影・徳丸篤史)
日本外国特派員協会で記者会見する十三代目市川團十郎白猿さん=11月、東京都千代田区
日本外国特派員協会で記者会見する十三代目市川團十郎白猿さん=11月、東京都千代田区
十三代目市川團十郎白猿さんの「襲名披露公演」を前に、混み合う東京・歌舞伎座前=11月7日午前
十三代目市川團十郎白猿さんの「襲名披露公演」を前に、混み合う東京・歌舞伎座前=11月7日午前
茂木健一郎さん(撮影・佐藤優樹)
茂木健一郎さん(撮影・佐藤優樹)
茂木健一郎さん(撮影・徳丸篤史)
日本外国特派員協会で記者会見する十三代目市川團十郎白猿さん=11月、東京都千代田区
十三代目市川團十郎白猿さんの「襲名披露公演」を前に、混み合う東京・歌舞伎座前=11月7日午前
茂木健一郎さん(撮影・佐藤優樹)

 私の心に強く残ったのは、團十郎さんが演じた「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」。江戸で評判の美男子の助六は、女性にもてもてで、チャラチャラしているように見えて、実は仇討ち(あだうち)の大望を心に抱いている。いろいろな人にやたらと喧嘩(けんか)をふっかけるけれども、その目的は相手に刀を抜かせること。仇討ちと、お家の再興のために名刀を探し求めているのである。
 表面は軟弱に見えて、実は芯はしっかりしている。そのような「助六」の人物像は、江戸時代の人々の美意識を反映していると感じる。そして、演ずる團十郎さんのお人柄とも深いところで共鳴しているように思えた。
 襲名披露公演の目玉の一つ、「口上」の中で、居並ぶ歌舞伎界の幹部のお一人が、團十郎さんのことを、「かつては暴れん坊将軍として世間をお騒がせして」と表現して観客の笑いを誘っていた。確かに、いろいろと話題を呼ぶこともあった團十郎さんだったが、芸に精進してこうして立派に襲名披露の公演を迎えている。記念すべきお祝いの席で、人の心の機微に通じた素晴らしい口上を聞いたように思った。そして、優男に見えて実は芸においては硬派な團十郎さんの姿が、江戸の色男、助六に重なって見えた。
 人間というものは複雑なものであって、そう簡単には割り切れない。今の日本は、なんだか堅苦しくなってしまって、本音と建前の区別もなくなってしまっている。ルールを守ることはもちろん大切だが、みんなが学級委員のようになってしまっては味気ない。
 たとえ、心の中に真面目な目標を抱いていても、それをやたらと口にするのは「粋」じゃない。「助六由縁江戸桜」の舞台から伝わってくる江戸時代の美意識は、現代の日本から見るとまぶしいほどに新鮮である。歌舞伎のような古典芸能に接することは、今日の価値観を相対化する効果があるように思う。
 海外の眼から見ると、歌舞伎というのは不思議な存在に見えるかもしれない。なにしろ、「團十郎」という名前が代々継がれていく。英語で「十三代目」の「市川團十郎」と表記されると、そこだけ太字になっているような新奇性がある。そもそも芸名とは何か、襲名というのはどのような考え方で行われていくのかというところから説明していかなくてはならない。
 歌舞伎の世界を貫いているのは、一人ひとりの個性を超えた、文化や歴史としての継続性。一人ひとりの生身の人間にはもちろんかけがえのない個性がある。西洋的な、あるいは現代的な考え方で言えば役者は一期一会で、その人限りということになるだろう。一方、歌舞伎では、芸事や芸名が代々受け継がれていく。そこにあるのは、伝統芸能は個人を超えた持続可能な文化であるという感覚である。
 歌舞伎役者の家に生まれた子どもが芸名を継いでいくというしきたりにも、独特の合理性がある。今回の襲名披露では、9歳の若さで「外郎売(ういろううり)」の長台詞(ながぜりふ)をこなし、「毛抜(けぬき)」の難しい役柄を演じた新之助さんが大喝采を浴びていた。台詞回しや所作など、幼い頃から厳しい修業をして身につけていかなくてはならないたくさんのことが、歌舞伎の世界にはある。
 私自身は歌舞伎を大学生の頃から見ている。最初に見たのは、先代の市川猿之助(いちかわ・えんのすけ)さんの「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)」のうち、「川連法眼館(かわつらほうげんやかた)の場」だった。人間に化けた狐(きつね)が瞬時にその姿を現す「早変わり」や、最後に空を飛んで去っていく「宙乗り」など、見どころいっぱいの舞台にすっかり魅了された。
 私たちは、ひょっとしたら凝り固まってしまっているのかもしれない。歌舞伎の舞台に接するたびにそんなことを思う。脳を柔軟にして、新しい発想を生み出すためにも、時々歌舞伎に足を運ぶことをお勧めする。
 歌舞伎の世界には、現代の私たちの前提にしている価値観や、ものの枠組みを超えたなんとも言えない自由な空気がある。華があって芸もしっかりとした市川團十郎さんの襲名を機会に、世界に誇るべきこの伝統芸能にさらに注目が集まったら素敵(すてき)なことだと思う。(茂木健一郎、隔週木曜更新)
 ※来年3月の「十三代目市川團十郎白猿」襲名披露巡業の開催地は、開催順に石川県小松市、金沢市、静岡市、神奈川県小田原市、山形市、福島県郡山市、富山市、長野市、群馬県高崎市、新潟市、千葉県君津市、埼玉県越谷市、青森県八戸市、札幌市、秋田市。日程などの詳細は公式サイト(http://www.zen-a.co.jp/danjurohakuen-1/)を参照。

 もぎ・けんいちろう 脳科学者、ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。1962年東京都生まれ。東京大学大学院物理学専攻博士課程修了。クオリア(感覚の持つ質感)をキーワードに脳と心を研究。新聞や雑誌、テレビ、講演などで幅広く活躍している。著書に「脳とクオリア」「脳と仮想」(小林秀雄賞)など多数。

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