有馬朗人さん死去 静岡文化芸術大理事長、元文相 90歳

 静岡文化芸術大理事長、原子核物理学者で文相兼科学技術庁長官を務めた元東京大学長の有馬朗人(ありま・あきと)さんが死去したことが7日、分かった。関係者によると、東京都内の自宅で亡くなっているのが同日午前、見つかった。90歳。大阪府出身。

2010年、文化勲章受章の喜びを語る有馬朗人さん=浜松市中区
2010年、文化勲章受章の喜びを語る有馬朗人さん=浜松市中区

 1942年から約5年間、浜松市に住み、浜松西小、浜松一中(現浜松北高)で学んだ。53年、東大理学部卒。東大助手、助教授を経て75年に教授。89~93年に学長を務めた。93~98年に理化学研究所理事長。2010年から静岡文化芸術大理事長。
 中央教育審議会会長だった96年に、学校週5日制の実施など「ゆとり教育」の導入を求める答申をまとめた。03年、静岡県教委の「確かな学力」育成会議の座長に就任した。静岡文化芸術大の理事長職は3期目で、任期は22年3月までだった。
 98年の参院選で、自民党の比例代表名簿1位で当選した。直後に発足した小渕恵三内閣で文相に就任、その後、当時の科技庁長官も兼務した。
 参議院議員は1期で引退、科学技術館の館長として理科教育の普及に尽力した。
 俳誌「天為」を創刊、主宰するなど俳人としても知られ、国際俳句交流協会会長を務めた。俳句の国連教育科学文化機関(ユネスコ)無形文化遺産登録を目指す取り組みも進めた。
 原子核理論の研究で、仁科記念賞、米フランクリン協会賞、日本学士院賞などを受賞。文化功労者。10年に文化勲章を受章した。フランスのレジオン・ドヌール勲章も受けている。

 ■学問における父
 川勝平太知事の話 日本にとって大きな損失。私にとっては有馬先生あっての県政だった。常に前向きでやらまいか精神にあふれていた。文部相を務めたからと偉ぶるところは全くなかった。学問における父として慕ってきただけに心の空隙(くうげき)をどのように埋めるかという思いだ。

 ■浜松を愛した方
 熊倉功夫静岡文化芸術大前学長の話 偉大な物理学者でありながら郷土を大事にされ、浜松を愛した方だった。一見無秩序に見えることも、先生の中では理路整然と整理されていた。大学運営には大所高所から的確なアドバイスをいただいた。本当に残念だ。

 ■「浜松の発展に貢献」 静岡県内政治家悼む
 静岡文化芸術大理事長の有馬朗人さんの訃報を受け、親交のあった石川嘉延前知事、柳沢伯夫元厚生労働相や鈴木康友浜松市長が7日、有馬さんの突然の死を悼んだ。有馬さんとは東京大の同期生という静岡産業大総合研究所の大坪檀所長も思いを語った。
 知事時代、有馬さんに複数の有識者会議の座長を依頼した石川さんは「偉大な方だが、分け隔てなく接してくれた。気軽に相談に乗ってくださり、話は常に的確だった。兄のように思わせてもらっていた」としのんだ。
 有馬さんが文相などを務めた小渕内閣で共に金融再生担当相などを務めた柳沢さんは「予算委員会で私が答弁すると、よかった、立派だと合いの手を入れてくれ、温かい人柄だった。俳句もたしなまれて多才な方だった」と振り返った。
 鈴木康友浜松市長は静岡文化芸術大理事長として大学運営に尽力した姿に思いを致しながら「地域に多くの有為な人材を輩出された。2005年度からは市のやらまいか大使としてPRにも寄与していただいた。浜松の発展に多大な貢献をいただいた」と感謝した。
 大坪さんは「会うと大きな声で話し、すたすたと歩く元気な印象しかない。どうして亡くなっちゃったのという思い」と悔やんだ。静岡産業大の俳句コンテストは、俳人でもある有馬さんの一言が開催のきっかけ。「最近は日本語教育がおろそかになっていると話したら、皆で俳句をやったらいいと言われた。話が上手で説得力があった」と話した。

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