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2012年4月9日
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小原篤のアニマゲ丼

マジメとフマジメ 岡本喜八

文:小原篤

写真:岡本喜八監督=2004年撮影拡大岡本喜八監督=2004年撮影

写真:岡本喜八著「マジメとフマジメの間」(ちくま文庫)拡大岡本喜八著「マジメとフマジメの間」(ちくま文庫)

写真:アレクサンドル・ソクーロフ監督=2001年撮影拡大アレクサンドル・ソクーロフ監督=2001年撮影

写真:DVD「日本のいちばん長い日」(東宝)拡大DVD「日本のいちばん長い日」(東宝)

 「野心は持つがユメは持たない事にしている。(中略)ヒトの褌(ふんどし)で角力(すもう)をとっていても、ヨコヅナを破ろうという野心は持ちつづけたい」

 これは、昨年暮れに出版されてようやく読了した「マジメとフマジメの間」(ちくま文庫)の一節(99ページ)。映画監督の故・岡本喜八さんのエッセーを集めた本ですが、ツカミがあってヒネリがあり、リズムがよくてキレがよく、ユーモアにあふれオチが冴(さ)えている文章ばかりが並んでいて、私のようなコラム書きの端くれにとってまさに格好のお手本です。加えて、上記のような名文もそこかしこにサラリと登場します。

 実は私も、岡本監督にエッセーを1本、頼んだことがあります。朝刊学芸面(当時)の「20世紀の古典」という寄稿コーナーで、「20世紀の作品で、古典と呼んでもいいものを何か一つ取り上げ、それについての思い入れや思い出を約1千字で」というオーダーでした。監督が取り上げたのは、上京した17歳の春に見たジョン・フォード監督の「駅馬車」。

 「仰天。ただただ仰天。気が付いたら、前の座席の背もたれにガッキとツメを立てていた」と、その出会いの衝撃を記しています。そして、幻聴のように追ってくる「駅馬車」のテーマ曲を背に、東宝を受けたのだそうです。飛んで1993年春、自作のロケハンで「駅馬車」のロケ地モニュメントバレーを歩き回ったが、フォードに撮り尽くされた大荒野はどこを見ても見覚えがあるので使うのは諦めた、と書いて最後の段落へ。

 「その代わりフェニックス、ロスと乗り継ぎの間も履きっぱなしで来た編み上げ靴を、我が家の玄関のタタキでコンコンとたたいたら、赤茶けた砂がフィルムのパトローネにちょうど一杯になった。題して『駅馬車の砂ぼこり』。飾ってある」

 タン!と短く切ってスッとサゲる、まさに名人の呼吸。ウーム、うまいもんです。掲載は1998年12月25日でした。

 この時はファクスのやりとりくらいでしたが、その後一度だけパーティーでお会いしました。場所は東京のラピュタ阿佐ケ谷だったので、2000年3月から約4カ月にわたってあそこで開催された「岡本喜八映画祭」の折であったろうと思われます。

 「カッコいいなあ、ホントに服は黒ずくめなんだなあ」などと思いながら、ファンに囲まれた姿を眺めているばかりで、余りお話はできませんでした(取材スイッチが入らないと内気なもので)。盟友で名優の天本英世さんもいらっしゃいましたが、「カッコいいなあ、へーぇ細いのに結構よく食べるんだなあ」などと思いながら眺めるばかりで、死神博士の話や月見の銀二の話などはできませんでした(内気なもので)。

 2005年2月19日、岡本喜八監督死去、81歳。その報を受けたのはベルリン映画祭の取材のただ中でした。折も折、監督と親しかったラピュタ館主の才谷遼さんが、ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督によるコンペティション参加作「太陽」のプロデューサーとしてベルリンに来ていて、その日は私がソクーロフ監督のインタビューをする予定で、ホテルのラウンジで待っていました。

 「岡本喜八監督が亡くなりました」

 開口一番、才谷さんにそう告げると、通訳の方から話を聞いたソクーロフさんが言いました。

 「残念です。私は、岡本喜八さんからバトンを受け継いだと思っています」

 何のことかすぐに思い当たりました。ソクーロフ監督の「太陽」は、敗戦直前から「人間宣言」をするまでの昭和天皇を、独特の詩情とユーモアを交えて描いた映画です(演じたのはイッセー尾形さん)。日本では天皇を正面切って描くことをタブー視する空気があり、俳優が近現代の天皇を演じる例はまれです。なのでベルリン取材の準備としてそのまれな例をリストアップしていたのです。岡本監督の代表作の一つ「日本のいちばん長い日」は、まさに「太陽」と重なる時期の天皇が、「御聖断」をくだす苦悩の姿を描いています。演じたのは八代目松本幸四郎さん。弊紙も1967年3月31日の夕刊で、2段見出しにポーズ写真つきでこの配役決定を報じ「(東宝は)幸四郎出演場面の取材はいっさい断るほか、宣伝材料、ポスターにも使わないというとりきめで、日本映画にあまり例のない今上天皇の登場となった」と書いています。

 「岡本監督の『日本のいちばん長い日』は、とても参考になりました。描いてはいけない歴史などない。私が受け継いだバトンを、次は日本の映画人の皆さんに受け取ってほしい」

 なるほど「ヨシ、俺が受け取ってやる!」という映画人の方へのつなぎにでもなれば私がベルリンへ行った甲斐(かい)もあろうと、「バトンを」という言葉はベルリン映画祭報告の記事の締めに使わせていただきました。

 「日本のいちばん長い日」は、反乱軍が玉音放送阻止を図る後半の緊迫したサスペンスが見ものですが、前半の、敗戦が避けられない状況なのに降伏を決断できず延々と会議を続ける政治家たちの姿は、「わかっちゃいるけど決められない」今の政治状況とダブって、見ていてやるせないものがあります。とはいえそのメンバーは笠智衆、山村聡、三船敏郎ら超豪華キャストなので、何も決まらない会議もものすごく見応えがあるんです。この原稿を書くために天皇登場場面だけチェックしておこうとDVDを再生したら、2時間38分ほとんど見ちゃいました。

 「マジメとフマジメの間」所収の「無批評はシャクの種」(112ページ〜)は、岡本監督の代表作「独立愚連隊」を弊社の大先輩が批判したことに対する反論が中心ですが、映画作りへの愛を巧みな比喩で表現した冒頭に強くひかれます。

 「撮影が始まる前は初恋のときの如(ごと)くに胸がときめく」「撮影中は恋に狂った若者だ」「完成試写の日は愛児誕生の日だ。と同時に離別の日だ」「旧作を気にかけるよりは、新しく初恋の相手を捜す方が先だ」

 どうです、カッコいいでしょう! え、他人の文章を引いてオチにするつもりかって? イヤイヤこれが、ヒトの褌で角力をとっていてもヨコヅナを破ろうという野心ですよ。

プロフィール

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小原 篤(おはら・あつし)

1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。2012年4月から名古屋報道センター文化グループ担当部長。※ツイッターでもつぶやいています。

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