(ニュースの本棚)渡辺淳一の世界 女性への賛美と畏れを追求 林真理子

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 渡辺淳一さんが亡くなった。その死が出版界に与えた衝撃ははかりしれないものがある。

 つい最近朝日新聞の紙上で、子どもの質問に答える形で「文豪とは何か」というコラムが載った。それによると「時代を代表する文学の大家」だという。しかし漱石や谷崎は当然として、一葉が加わっていたのは私には不満である。なぜなら“豪”という漢字には作品の数も含まれていると思うからだ。その点渡辺淳一さんは、質、量ともに「平成の文豪」にふさわしい作家であった。

 ■医療から恋愛へ

 亡くなってすぐ後、新聞やテレビは『失楽園』(角川文庫・上下各596円)と『鈍感力』(集英社文庫・432円)をしきりにとり上げていたが、あれは一面であり、渡辺文学は多岐に及んでいる。三百四十万部売る小説を世に送り出した作家はこのうえなく幸福であるが、その大きさにイメージが固定されるつらさも負うのである。

 さて医師である渡辺さんは、医療小説から作家の人生をスタートさせた。デビュー作の『死化粧(しにげしょう)』(朝日文庫・756円)の手術シーンなど、現代の医療ドラマを見ているようなスリルに溢(あふ)れていて、その文章の確かさが印象に残る。しかし、それよりも私が惹(ひ)かれるのは『廃礦(はいこう)にて』である。これは実話であり、同じ話を私は渡辺さんの講演で聞いたことがある。

 「子宮外妊娠で大出血し、血圧ゼロになった女性が甦(よみがえ)ったんです。男ならとっくに死んでいます。女はつくづく強いと思った」

 医療小説というのは実はむずかしい。手術や治療という無機質なものに、ドラマを加えないと小説として成立しないのであるが、この合体は時として陳腐なものになってしまう。渡辺さんの『廃礦にて』で描かれる医師の戦いと女性への畏怖(いふ)は、きわめて自然である。厳粛なようでいてかすかなユーモアにも溢れている。そしてこの女性への賛美と畏(おそ)れは、いつしか渡辺さんを恋愛とエロスへの追求へと導いていったのではなかろうか。

 恋愛小説を書く者として、『うたかた』を読み返すと本当に驚いてしまう。主人公の男女以外ほとんど登場人物が出てこない。事件も起こらない。恋人たちは伊豆、京都、奈良、北海道を旅し、日本の四季を愛(め)でながらただ恋愛に没頭していくのだ。それなのに約六百五十ページの長編を息をつかせず読ませてしまう。そして読者を酩酊(めいてい)したような気分にさせる。これがどれほどの力技を必要とするか、プロの作家ならわかる。端正な文章、巧みな心理描写、そして贅沢(ぜいたく)な道具立てといったものを駆使して、渡辺さんは読者の心をしっかりとつかんでいった。多くの男と女どちらにも読まれ、多くの小説が映像化され、またさらに売れた。

 ■重厚感ある伝記

 一方、渡辺さんは歴史小説、伝記小説の分野でも高い評価を得た。『君も雛罌粟(コクリコ) われも雛罌粟』は、夫としての与謝野鉄幹に視点をあてずっしりと重厚感がある。そして、これらの作品群の賞賛とは別に、「作家としていちばん面白くてむずかしいのは、男と女の情痴を描くことだ」と氏はおっしゃった。その信念は不能を扱った最後の小説『愛ふたたび』(幻冬舎・1620円)に貫かれるのである。信念というより、その小説を書けるのは自分、という誇りだったに違いない。

 ◇はやし・まりこ 作家 54年生まれ。『白蓮れんれん』『フェイバリット・ワン』ほか著書多数。本紙に「マイストーリー 私の物語」連載中。

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