第1回萩本欽一82歳、「欽ちゃん」と呼ばれたい ユーチューブにも挑戦中
欽ちゃん。そう呼んでもらえるとありがたいね。へへへ。
《82歳のテレビスターは、孫ほどの年齢の記者から、何と呼んだらいいか尋ねられると、笑ってそう答えた》
「欽ちゃん」じゃなくて、「萩本さん」って言われるようになってから、テレビがつまらなくなったね。違う人生が始まっちゃったっていうかさ。
最近は「欽ちゃん80歳の挑戦!」というユーチューブのチャンネルで番組をやってるよ。この間、七夕のお願いに関するネタを募集したら、「家の前にも、電車が通りますように」だって。年を取ってもそんなかなわぬ夢を、と思って、ウケたね。年寄りのばかばかしさって、何か笑える。
《精力的に活動しているが、2021年に放送された「欽ちゃん&香取慎吾の第98回全日本仮装大賞」では番組中に降板を示唆した》
去年脳梗塞(こうそく)もやったし、体力的にテレビはきつい。ユーチューブで座ってやるのは失礼かと思って立ってやったら、最後に気持ち悪くなっちゃったこともあった。動きまくる「コント55号」で出てきた欽ちゃんが、座ってやってるっていうので終わりたくないと思っていたから、仮装大賞のときにアドリブで「今回でね、私この番組終わり」って。テレビ局からは何とかやってくれないかと言われていたんだけど、断ってたの。でも、たくさん要望があると聞いて、うれしくて。「応援します」と言ってたら、今度出ることになっちゃった(笑)。
でも、運って正面からではなく、後ろから来る。無理だなと思うことをやったら、逆のいい方向に変わっていく。これから話す僕の人生、そんな感じなんです。
実にウソがうまい、味のある母
《1941年、東京・下谷区の稲荷町(現在の台東区東上野)で生まれた。6人きょうだいの5番目だ》
「欽一」は本名なんだけど、おやじが、お坊さんか何かに頼んでつけてもらったらしい。おやじは俳優の上原謙さん似のスマートな男で、稲荷町でカメラの製造販売の会社をやっていた。4歳のときに埼玉県の浦和に引っ越したけど、お手伝いさんもいて、裕福な家庭でね。
ただ、おやじは土曜ぐらいしか帰ってこない。おふくろに「どうして?」って聞くと、「月~金、朝から晩まで働いているのよ」と。「でも、他の家は毎日帰ってくるよ」って言うと、「それ、仕事してないんだ」って(笑)。だから、尊敬してたんだ。
コメディアンの萩本欽一さんが半生を振り返る連載「欽ちゃんの 笑いって最高だよ」。全5回の初回です。
でも、後にわかったんだけど…
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