加藤鮎子氏の父の「乱」 岸田氏振り返り「勝たなければ。しかし…」

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初入閣した加藤鮎子氏の横顔

 故・加藤紘一自民党元幹事長の三女。紘一氏が2000年の宏池会会長時に起こした「加藤の乱」は、岸田文雄氏も同調したが、党執行部が鎮圧。宏池会は分裂し、岸田氏は紘一氏とたもとを分かった。岸田氏は自著で「『勝負は勝たなければならない』しかし同時に『勝ち負けは二の次で勝敗は抜きにして打って出る』」「二律背反する、この勝負への要諦(ようてい)を教えてくれた」などと振り返っている。

 紘一氏の12年衆院選での落選後、14年衆院選で初当選し、紘一氏の側近だった谷垣禎一氏のグループに入った。20、21年の自民総裁選で岸田氏の推薦人になった。

 祖父も衆院議員だが、姉2人と兄は政治とは別の道に進んだ。2児の母親。

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