沖縄尚学支えた2人のセンバツV投手 比嘉監督とOB会長の照屋さん

酒瀬川亮介
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(19日、第105回全国高校野球選手権記念大会準々決勝 慶応7ー2沖縄尚学)

 夏の選手権大会で9年ぶりに8強入りした沖縄尚学には、ふたりの甲子園優勝経験者がいる。いまは監督とOB会長としてチームを支えている。

 比嘉公也(こうや)監督(42)と照屋正悟さん(41)は、1999年の選抜大会で沖縄県勢初の甲子園優勝を達成した。比嘉監督はエースとしてチームを引っ張り、照屋さんは決勝のマウンドで完投。照屋さんは「ライバル関係というより、助け合っていた」と振り返る。

 比嘉監督は2006年、母校に戻って指揮を執るようになった。照屋さんは東京農大に進み、卒業後は埼玉県の企業で4年間働いた後、沖縄県糸満市にある実家の建設業の会社に戻った。

 照屋さんは卒業生の有志として野球部に顔を出し、選手にバーベキューをふるまったりしていた。昨年11月、関係者から「若い卒業生をまとめて欲しい」と頼まれ、OB会長に就いた。

 早速、遠征費用やグラウンド設備にあてる資金を補助するため、クラウドファンディングを実施し約55万円を集めた。比嘉監督は「僕たちより下の世代が協力してくれるようになった」と語る。

 2人は、お互いを「正悟」「公也」と呼び合う仲だ。だが取材中、照屋さんは「比嘉先生」と呼んだ。理由は「選手の親なので」。長男の希空(のあ)投手(3年)は、控え選手として甲子園のベンチ入りを果たしていた。

 ひじと腰を痛め、沖縄大会と甲子園の3回戦までは登板機会はなかった。けがは癒え、準々決勝の九回に4番手としてマウンドに立った。

 希空投手は「父からは『いつでもいけるように準備しておけ。甲子園のマウンドは投げやすいぞ』と言われていた」。慶応の4番打者から三振を奪うなど無失点。「緊張してたけど、抑えられてよかった」と語った。

 沖縄尚学は敗れ、夏の甲子園では初となる4強入りを逃した。アルプス席で応援していた照屋さんは「力の差が少しあった。でも希空がマウンドに立ったところを見られてよかった」と話した。

 台風6号の影響でチームの甲子園入りが遅れた。学校のグラウンドは台風で大きな被害を受けた。甲子園から戻れば、バッティングケージの修復など、監督と2人で話し合うことがたくさんある。「頼るときには頼ってきてくれる」と照屋さん。比嘉監督は「いいコンビです」。深い信頼関係があった。(酒瀬川亮介)

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