小倉智昭さん、吃音と歩んだテレビ人生 「とくダネ!」で心がけた事

編集委員・沢伸也
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 20年以上朝の情報番組の司会を務め、立て板に水のような語り口調で知られるタレントの小倉智昭さん(75)は、言葉が詰まってうまく話せない吃音(きつおん)に苦しんできた。そして今も、吃音があるという。「吃音がなかったら、今の小倉智昭はなかった」という半生とは――。

 テレビ局のアナウンサー就職試験。志望動機を聞かれ、小倉さんはこう答えたという。

 「どもりだからです」

 アナウンサーや役者、政治家など話す仕事を夢見ていた。それは「周りを見返したい」という思いからだった。

 物心ついたころから吃音があり、「吃音っていうことは常に頭の中にあって忘れたことがない」という。

 幼稚園のときから周囲に話し方をマネされ、小学3年ぐらいからは、馬鹿にされるようになった。

 小学1年のときのことが忘れられない。両親に「学芸会で演劇をやるから、ぜひ見に来てほしい」と大見えを切った。

 仕事を休んで演劇を見に来た父親は出番を待ったが、息子の姿を見つけられなかった。足だけしか見えない木の役だったのだ。

 「先生が気遣って、セリフがあるとみんなに笑われるだろうからって、木の役にしたんだろうと思います」

 劇で一言のセリフが出てこず、悔しくて、泣きながら家に帰ったこともあった。

 「人には絶対負けたくない」。そんな思いで話すことを一生懸命練習した。本や演劇のシナリオ集を読み込んだ。

 アナウンサーの就職試験で吃音を明かすと、驚かれた。

 「家に帰るとどもりますが、マイクの前では絶対にどもりません」と続けた。

 東京12チャンネル(現テレビ東京)のアナウンサーになった。

 人と話すときは身構えて吃音を隠すが、そんな状態が続くと精神的にまいってしまう。だから、気を許せる人の前では、「堂々と」どもっているという。

 朝の人気情報番組「とくダネ!」の司会を22年続けた。守り続けた信念がある。「僕はその人が話し始めたら、最後まで聞くことにしていた。CMになっても、その後、続けて聞いた」

 その理由とは。

 「それってね、おそらく裏返しかもね。これまで、吃音の僕の話を最後まで聞いてもらえなかったから。言おうと思うんだけど、最後まで言えずに終わったことが度々あったから」(編集委員・沢伸也)

     ◇

 おぐら・ともあき 1947年生まれ。東京12チャンネル(現テレビ東京)のアナウンサー出身。76年からフリーになり、「世界まるごとHOWマッチ」(TBS)などで独特のナレーションで注目される。99年4月から21年3月までの22年間、朝の情報番組「とくダネ!」(フジテレビ)の司会を務めた。

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