「レッスン生に戻して」 伸び悩んでいた山内惠介さんは師匠に訴えた

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渡辺純子
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 「ぼくはエンカな高校生」。演歌歌手の山内惠介さん(39)は2001年春、そんなキャッチコピーでデビューした。福岡県の糸島から上京してわずか半年後だった。

 デビュー曲「霧情(むじょう)」の作詞は故・星野哲郎さん、作曲は師匠の水森英夫さん。巨匠の手がけた演歌を17歳が歌う。イベントを開くとマスコミが詰めかけた。

 だが、ステージに立つと思ったように声が出ない。次の年も、その次の年も星野さんと水森さんのコンビが新曲を作ってくれたが、ヒットしなかった。「お客様は甘くない。実力不足でした」

 やがてテレビ番組に呼ばれなくなった。新聞や雑誌の取材も入らない。仕方なく夜になると公園の月明かりで歌を練習した。

 家族に愚痴はこぼせなかった。甘えん坊の「末っ子気質」を知る水森さんに、「錦を飾るまで故郷に帰るな」と釘を刺されたからだ。思い切って携帯電話の番号と住所を変え、連絡を絶った。母から時折事務所に届く手紙だけが唯一の絆だった。

 04年に出した「君の酒」に「今は帰れぬ あの故郷(まち)だけど」という歌詞がある。9歳上の兄がたまたま飛行機の放送で耳にして、「あいつ大丈夫かな」と涙ぐんだと、あとで聞いた。

 3年が過ぎたころ、水森さんに訴えた。

 「僕をレッスン生に戻してください」

 同じ「水森門下生」の兄弟子…

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