ヒットの内実、新星に感じた諦め…小室哲哉が語る絶頂と引退、復帰

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定塚遼
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 一時代を築いたヒットメーカーは、自分の作曲能力を疑っていた。「もうヒットは生み出せない」「リクエストに応えられない」。そんな思いを抱えていた4年前、週刊誌での女性関係の報道を引き金に、突如引退を表明した。髪を黒くして教習所に通い、山登りを始めた。

 だが、小室哲哉は再び音楽活動の表舞台に戻ってきた。なぜ引退し、復帰したのか。その理由だけでなく、1990年代の小室ブームの実像と自身の変化、そして「かなうはずがない」と思ったアーティスト。率直に語ってくれた。

「どこにいっても全然気づかれなくなった」

 「けじめとして、引退を決意しました」。2018年1月、女性関係を巡る週刊誌報道の直後、記者会見で引退を表明した。

 「自分の創作力では、リクエストに応えるだけのポテンシャルは、もうないかな。自分の曲がヒットするタイミングはもう来ないだろうな、と悩んでいた」と振り返る。左耳の難聴にも苦しんでおり、報道が引き金となって引退を決意したという。

 その後の2年間は、全くキーボードには触らなかった、と振り返る。「車の免許を取るために教習所に通ったり、登山に挑戦したりしていた。金髪もやめた。元々自分はオーラなんてないけど、やめて2年目くらいからは、どこにいっても全然気がつかれなくなりました」

 時間が生まれ、自らと向き合う中で、不安や焦りも芽生え始めた。「本を書こうと思って、文章を書いてみたけれど、『慣れている人の文章ではないですね』といった評価をいただいた。結局、自分が得意なこと、みんなが『すごい』と言ってくれるものは音楽しかないんだ、ということを思い知らされ、焦燥感を感じた」

 そうした中で、デビュー時からの音楽ユニット・TMネットワークの仲間との話し合いを何度も続けるうちに、復帰へと気持ちが傾いていったという。

 TMネットワークでの活動を再開し、ツアーを回った。今春からはAI(人工知能)による作曲の研究のため、理化学研究所の客員主管研究員にも就いた。

 11、12月には東京と兵庫で、自身の楽曲をオーケストラで演奏する公演も予定している。「『タララララーン♪』とメロディーを弾いて『どこまでも~♪』と、すぐにお客さんの頭にふわりと詞が浮かんでくるような、ヒット曲を中心とした構成にしたい」と語る。

90年代、時代の寵児となった小室哲哉さん。しかしブームの実感はなかったといいます。ヒット曲を出し続けるプレッシャーの理由、その中で生まれた曲作りの変化、そして諦めに近い衝撃を感じたというアーティストの登場。絶頂と、その喪失を味わった日々を語ってくれました。

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