第1回ラム酒づくり、ひらめきの2年後に社長 50歳で気づく沖縄の危うさ

有料記事基地とくらしのはざまで 沖縄知事選

福井万穂 伊藤和行
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 8月下旬、那覇港に近い市街地にある倉庫で、金城祐子さん(50)は出荷作業に汗を流していた。

 ラム酒製造会社「グレイス・ラム」の社長。製造工場は、那覇市から東に350キロ離れた南大東島にある。県内有数のサトウキビの産地だ。

 社員は自分も含めて4人。年約2万6千本を出荷する。島と那覇の自宅を空路で行き来し、月に1度は全国の沖縄物産展にも出かける。

 創業は2004年。事業は順調だった。コロナ禍に沖縄がつまずくまでは。

 沖縄が日本に復帰した1972年に那覇で生まれた「復帰っ子」だ。この年に生まれた子どもたちは、沖縄でそう呼ばれる。

 「復帰っ子の入学式」「復帰っ子が成人」。自分たちの成長は、ことあるごとに沖縄の歩みと重ねられて新聞やテレビで報じられた。「自分たちは特別な世代」という意識をどこかに持って育った。

 地元企業で働き、27歳で結婚。変化を感じたのは復帰30年の頃だ。安室奈美恵さんらの活躍や、ちゅらさんブーム。沖縄への注目が高まる中、同級生の復帰っ子が次々と店を開いたり、会社を起こしたりしていた。

 「期待の象徴としてもてはやされた私たちは、ラッキーな世代。大好きな沖縄のために、自分もいつか何かできたら」。ぼんやりと、そんな思いがあった。

 目を付けたのはサトウキビだ。きっかけはひょんなこと。友人のバーで飲んでいたとき、居合わせた客から「沖縄にはこんなにサトウキビがあるのに、なぜラム酒をつくらないのか」と尋ねられたことだった。

どんぶり勘定、設備投資、高い輸送コスト…でも

 沖縄の主要作物なのに目立った特産品は少なく、農家の高齢化や担い手不足が悩み。調べてみると、南大東島で一度ラム酒による地域おこしが発案され、その後断念していたことを知った。

 絶海に浮かぶ孤島。行ったこ…

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