元球児のゴルゴ松本さん「全力でいけ!」 後輩にエール

構成=高絢実
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 第101回全国高校野球選手権大会がまもなく開幕する。「とにかく全力で!」。34年前の春、高校球児として甲子園の舞台に立ったお笑い芸人のゴルゴ松本さん(52)が自らの高校時代を振り返りながら、球児たちにエールを送る。

 ―野球はいつから始めましたか

 小学校まではソフトボールで、野球は中学と高校の6年間です。甲子園に行きたくて、夏に5回出ている熊谷商を選びました。後に甲子園に行けたので、選択は間違っていなかった。願いを持って行動に移したら、夢って実現するんだと。でも、グラウンドではみんなの力があって、僕の力はほんの小さな砂利一つくらい。甲子園は憧れの場所で、あの年代を夢中にさせる何かがありますね。

 ―選抜大会に出場された時のことを教えてください

 1985年の3月、3年生になる春休みです。行進曲チェッカーズの「星屑のステージ」でした。「甲子園だ!」って思いました。スタンドがとにかく大きい。「夢かなってるよ、ここでやるんだ」と。でも初日の第3試合、宇部商(山口)に1―9で負けました。打てなかった。勝てば、次は「KKコンビ」のいるPL学園だった。負けた後、かすかなオレンジ色の夕日が三塁側に差し込みました。人もまばらで。「あぁ、終わった。甲子園、早いよ」と。

 ―その夏の埼玉大会は

 準々決勝で負けました。6―0で勝っていて、あと1点でコールド勝ちというところで逆転されて。こちらのエースが交代して、流れが変わった。登板した2番手はその前までずっと投げてきて、20イニング以上無失点だった。走者がたまって、3番手投手が3点本塁打を打たれて一気に。相手が諦めなかったということです。

 ―高校時代に一番きつかったことはなんですか

 1年生の夏の大会が始まるまでの間です。腕立てや手押し車、ランニング。体力作りを延々やっていました。当時は家に帰るまで水を飲んではいけなかった。泥だらけになって汗だくになって。最初の1カ月くらいは特にきつかった。でも、体力がないとけがをするし、スピードについていけなかったらチームの邪魔になる。基本は体力。そして、気力が伴わないと成長しないでしょう。「体力、気力、努力」という看板が部室に掲げてありました。

 ―その経験、どう生きていますか

 それ以来、つらいことがない。芸能界を目指して家賃3万円の風呂なしアパートに住んでいても、まったく苦しくなかった。「下積み時代」「つらい経験」って思われているけど、野球部の経験に比べたら楽しい。水も飲めるので。10代の時の経験は僕の人生の根底にあります。すべてに生きている。

 ―球児に伝えたいことは

 「とにかく全力でいけ!」。後悔することはあるけれど、なるべく後悔をしないように、全力でやってほしい。何を目指してきたか、初心に戻って。甲子園の舞台に立ちたいんでしょ、と。行けるのは1校。1回戦で負けても、決勝で負けても、行けない。夢をかなえられない人の方が多いけれど、全力でやりきれば次に進める。中途半端では、その時の自分を乗り越えるまで時間がかかるんです。

 だから僕は、高校野球が終わった時にすっきりしました。セミがミンミン鳴くなか、県営大宮球場を出てみんなが泣いている時に「夏休み、何やったらいいんだ。勉強しなきゃいけないのかな」って思いました。

 あの白球に思い切り、魂を込めてプレーしてほしい。新しい時代の一球入魂を、令和生まれの人たちに伝えられるような野球をやってほしいです。(構成=高絢実)

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 ごるご・まつもと 1967年生まれ。埼玉県花園町(現・深谷市)出身。埼玉県立熊谷商では三塁手。1985年の第57回選抜高校野球大会に出場した。94年、レッド吉田さんとお笑いコンビ「TIM」を結成し、バラエティー番組などで活躍。少年院で命や言葉などをテーマにした講演活動も精力的に行い、昨年、法務省の「矯正支援官」に就いた。

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