【3月12日 AFP】つい最近まで「骨董品」扱いされていた日本の演歌が、米国生まれの黒人歌手の活躍により、クールに生き返ろうとしている。

■デビューシングルはオリコン初登場4位

 ジェロ(Jero)ことジェローム・ホワイト・ジュニア(Jerome White Junior)のデビュー曲「海雪」は、2月20日の発売後、オリコンチャートで初登場4位を獲得。演歌歌手のデビュー曲としては、過去最高の売り上げを記録した。

 野球帽にパーカー、バギーパンツがトレードマークのジェロは現在26歳。日本人の祖母を持つアフリカ系米国人であるジェロは、ソウルフルな歌声に完ぺきな日本語、そしてヒップホップスタイルのファッションで、日本の老若男女を魅了している。

 都内で行われたインストア・ライブに会社を早退して来たというファンの女性は、「ジェロの声はすごくやさしくて、感情がこもっていると思う。声もルックスも大好き!」とはしゃいだ。これまで演歌は一度も聴いたことがないそうだが、ジェロの曲を聴いて以来、もっと演歌を聴いてみたいと思うようになったという。

 戦後日本で大流行した演歌は近年、テレビコマーシャルなどでよく流れるノリのいいいわゆるJポップに押され気味で、特に若いファンをつかむことができずにいた。 

 だがジェロの「海雪」は人気のJポップとは一線を画する。秋元康(Yasushi Akimoto)作詞・宇崎竜童(Ryudo Uzaki)作曲の「海雪」は、報われぬ愛を嘆き、自ら海に身を投げる主人公の気持ちを歌った曲だ。

凍える空から/海に降る雪は/波間にのまれて/跡形もなくなる/ねぇ愛してても/あぁ届かぬなら/ねぇいっそこの私/身を投げましょうか?

■「演歌のルーツを大切に」

 AFPとのインタビューでジェロは「もっと大勢の若い人に演歌を聴いてもらうのが、僕の目標のひとつです。僕の歌をきっかけに、若い人たちが演歌を聴くようになってくれたらうれしい」と抱負を語った。

「これからは、ちょっと実験的なこともあれこれやっていくつもりです。でも演歌のルーツは守りたい。ルーツを守らなかったら、ただのポップスになってしまいますから。そういうのはやりたくないんです」

 つまり、メロドラマチックな曲調で聴き手を酔わせるのではなく、演歌のルーツを認めてもらうのがジェロの狙いなのだ。

 彼の歌声にうっとりと聴きほれていた30代の女性ファンは「ジェロが演歌と日本語の美しさ、そしてわたしたちが忘れていた日本人の魂に、再び目覚めさせてくれたの。外国人にそれを教えられるなんて・・・本当に驚いてしまうわ」と語った。

■そして自身のルーツも

 ジェロにとって演歌を歌うことは、自身のルーツを大切にする意味もある。彼が初めて演歌を知ったのは祖母を通してだった。祖母は在日米軍兵だった祖父と結婚後、ペンシルベニア州(Pennsylvania)ピッツバーグ(Pittsburgh)に移り住んだ。

 演歌を聴くと、3年前に亡くなった祖母を思い出すというジェロ。「僕が演歌を歌ってみせるたび、おばあちゃんはそれはもううれしそうな顔をしました。おばあちゃんが大好きだったから、しょっちゅう演歌を聴かせてあげたものです。そのうち自分が演歌に夢中になって、将来は演歌歌手になりたい、なんて思うようになったんですよ」

 本名のジェロームを縮めて米国では「ローム」と呼ばれるジェロは、5歳で演歌を歌い始めた。だが歌詞の本当の意味は、高校生になって日本語の勉強を始めるまではわからなかったという。

 典型的な米国家庭で育った上、音楽が好きな兄弟もいなかったため、演歌好きは友達にも隠しつづけた。「小さいころは、演歌好きがバレたらいじめられると思って」いたという。だが大人になるにつれ、歌詞が日本語だからみんな理解できないのだと思うようになった。「R&Bやヒップホップみたいに、気軽に聴ける音楽ではありませんから」

■「でも最初は自信がなかった」

 2003年にピッツバーグ大学(University of Pittsburgh)を卒業後、ジェロは演歌歌手になるべく来日を果たす。その2か月後には、のど自慢大会に出場して合格した。

 来日してからは、英語教師、翻訳者、SEなどさまざまな仕事をしつつ、カラオケ大会で数々の賞を獲得。2005年に全国大会に出場したところを、ビクターエンタテインメント(Japan Victor Corporation) にスカウトされた。

 だが当初は、外国人の演歌歌手を日本の聴き手が受け入れてくれるかどうか、確信が持てなかったという。いかにも演歌歌手的な着物ではなく、ヒップホップ風の衣装をあえて選んだことも、そうした不安を感じる理由のひとつだった。

「受け入れてもらえるかどうか、ちょっと心配でした。たしかに僕は日本人の血が混じっています。でも、この服装も、この歌い方も・・・これで本当にいいのだろうかと不安でした」

 そんな彼も、現在はフルアルバムを制作中だ。今年の暮れには、日本で一番有名なあの歌謡祭に出たいと希望に胸をふくらませる。

「実際に僕の歌を聴くまでは、リスナーも困惑したり、先入観を捨てなければいけなかったりして大変だったと思います。でもデビュー曲が出てからは、僕の個性がすべて、これでいいんだと思えるようになりました」(c)AFP/Kimiko de Freytas-Tamura