こんにちは。俳人の森乃おとです。
新緑の美しい季節に、郊外にある戦国時代の山城の跡を訪ねました。落城時の悲劇が語り継がれ、長い間立ち入りが遠慮されてきた場所です。林に包まれた薄暗い斜面や沢のほとりには、可憐なシャガ(射干、著莪)の花が咲き群れていました。
シャガはアヤメ科アヤメ属の常緑多年草です。湿り気のある日陰を好み、九州から本州までの人里近い林や低地に自生しています。原産地は中国東部・ミャンマー。日本の文献に初めて登場するのは15世紀末なので、室町時代に渡来し、帰化したと推測されます。
花期は4~5月、アヤメ属の植物では最も早く、花色は白または淡青色。花の直径は4~5㎝で、他のアヤメ属よりも一回り小ぶりです。
アヤメ属の花は、いずれも6枚の花被(かひ)からなります。花被とは、萼(がく)が花弁の色と同一に変化し、区別がつかない場合に、双方を合わせて指す用語です。萼が変化した3枚の外側の花被は大きく、中央に黄色い斑(ふ)とトサカ状の突起があり、それを青い斑が取り囲んでいます。縁は糸状に飾りのように細かく切れ込んでいます。本来の花弁である内側の3枚の花被はやや細く、中心部にある雌しべの柱頭も、糸状に裂けています。
シャガの花は清楚で控えめな印象ですが、よく見ると華やかな飾りを備えています。薄暗い林間で白い花を見かけると、まぶしくさえ感じます。
俳人・後藤比奈夫(ごとう・ひなお/1917~2020年)の名句は、そのようなシャガの花の明りを繊細に詠んでいます。
日本に渡来したシャガは染色体数が3倍体です。種子は作れず、遺伝子型はすべて同一。その代わりに地下茎を旺盛に伸ばし、次々に新しい芽を出して大きな群落を作ります。
しかし、全国に広がるには、地下茎を掘り取ってきて植えるなど人間の手助けが必要でした。人が踏み入らない深い山ではほとんど見られず、植林された杉林や竹林の近くに多いのは、そのためです。
江戸時代の俳人・高井几董(たかい・きとう/1741~1781年)の俳句は、贈り物のタケノコにシャガの花が結び添えられた情景を詠んでいます。筍とシャガという初夏の季語が二つ並んでいるのも江戸期ならではの大らかさ。いかにもふさわしい取り合わせです。
原産地の中国には2倍体のシャガがあり、青色の花などさまざまな品種が生み出されているそうです。
学名は「日本のアヤメ」の意
シャガの学名は「Iris japonica」。属名の「Iris」は、ギリシャ語で虹の女神イーリスを指し、種小名の「 japonica」は「日本の」という形容詞。全体では「日本のアヤメ」という意味になります。
命名者は、長崎のオランダ商館付き医師として18世紀に来日したスェーデン人カール・ツンベルク。植物分類学の父・リンネの直弟子であり、学名に原産国ではない「日本」が含まれたのは、そのためです。彼が命名した植物の中にはカキ、サザンカ、ナンテンなど、和名がそのまま学名になったものもあります。
英名のFringed Irisは「総飾り(フリンジ)のついたアヤメ」という意味。花被の飾りからつきました。
シャガの本来の中国名は「胡蝶花(こちょうか)」。花の姿が蝶の舞うように見えることから生まれた名前でしたが、日本ではあまり普及しませんでした。代わってアヤメ属のヒオウギを指す「射干」が使われ、その発音がなまって「しゃが」と読まれ、「著莪」と書かれるようにもなりました。室町時代には、やはりアヤメ属のイチハツなども渡来しており、名前の混同や誤用も生じたようです。
花言葉は「反抗」「友人が多い」
シャガの花言葉は「反抗」と「友人が多い」。「反抗」は、鋭い剣状の葉を持ち、日陰を好むことから。シャガの葉は厚くて艶があり、緩く垂れた姿が気高く優美です。「友人が多い」は、種子は作らないけれど、地下茎を伸ばして大群落をつくることから生まれました。
山城の跡に咲くシャガの佇まいに、歌人・福田栄一(1909~1975)の短歌を思い浮かべました。悲運に抗い雄々しく生きようとする人を、シャガの花は慰め、励ましてくれるのでしょう。
シャガ(射干、著莪)
学名Iris japonica
英名Fringed Iris
アヤメ科アヤメ属の常緑多年草で、中国東部・ミャンマー原産。本州から九州までの、あまり日の当たらない林地に自生。地下茎で群落を作って増える。花茎は高さ30~50㎝で総状に分枝し、一日花を次々につける。
森乃おと
俳人
広島県福山市出身。野にある草花や歳時記をこよなく愛好する。好きな季節は、緑が育まれる青い梅雨。そして豊かに結実する秋。著書に『草の辞典』『七十二候のゆうるり歳時記手帖』。『絶滅生物図誌』では文章を担当。2020年3月に『たんぽぽの秘密』を刊行。(すべて雷鳥社刊)
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