こんにちは。俳人の森乃おとです。
早春の2月から3月にかけて、街のあちこちから風に乗って、艶やかな芳香が漂ってきます。膨らみながら年を越してきたジンチョウゲ(沈丁花)のつぼみが、はや開き始めたようです。雨が降っていても、夜の闇に包まれていても、その芳香は途切れることなく、確かな春の訪れを告げてくれます。
室町時代までに中国から渡来
ジンチョウゲはジンチョウゲ科ジンチョウゲ属の常緑低木。樹高は1メートルぐらいにしかなりません。原産地は中国南部で、日本には室町時代までに渡来し、東北地方以南の平地で庭木として植えられています。
花期は2月上旬~4月。枝の先に10~20個の小花を半球状につけます。小花は十字花のように見えますが、筒状の萼(がく)の先端が四つに分かれたものです。花弁はありません。萼の外側は紅紫色、内側は白です。萼が内外とも白い種類は「シロバナジンチョウゲ」と呼ばれます。
ジンチョウゲは雌雄異株で、日本で見られるのは、ほとんどが雄株。挿し木で増やします。雌株はまれにしかありませんが、丸い赤い実をつけます。かつては実をつぶした苦い汁が喉の腫れの治療に使われたそうですが、猛毒なのでご注意ください。
ジンチョウゲ、クチナシ、キンモクセイで「三大香木」
香りが強いので、中国では瑞香(ずいこう)と呼ばれます。ジンチョウゲという和名の由来は、江戸時代の絵入り百科事典「和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)」(1713年)によれば、「其(その)香烈しく、沈香丁香相兼ねるが故に、俗に沈丁花という」。つまり、名高い香木のジンコウ(沈香)と、スパイスとして有名なチョウジ(丁子:英名「クローブ」)を合わせた香りがするから、だそうです。
ジンチョウゲは、夏のクチナシ(アカネ科クチナシ属の常緑低木)、秋のキンモクセイ(モクセイ科モクセイ属の常緑高木)と合わせて「三大香木」とされます。
香りが良すぎて、茶の湯の世界では「禁花」に
茶の湯の世界では、茶花として使ってはならないとされる花があります。「禁花(きんか)」と呼ばれ、その筆頭に挙げられているのがジンチョウゲ。
わび茶を大成させた千利休の作とされる狂歌二首が、『南方録』(なんぼうろく)という秘伝書に収録されています。
・花入れに 入れざる花は 沈丁花(じんちょうげ) 太山樒(みやましきみ)に
鶏頭(けいとう)の花
・女郎花(おみなえし) 柘榴(ざくろ)河骨(こうほね) 金盞花(きんせんか)
せんれい花をも 嫌うなりけり
ジンチョウゲを禁花にした理由は、匂いが良すぎて、茶のほのかな香りを味わう妨げになるからでしょう。現代の茶道の各流派では三大香木はもちろん、ユリも禁花です。ミヤマシキビには毒があり、ケイトウやオミナエシは名前のイメージが良くなく、キンセンカも「金銭花」に通じるとして遠ざけられました。
別名「チンチョウゲ」はいつまで残る?
沈丁花は正しくは「ジンチョウゲ」と読みますが、「チンチョウゲ」という読みも許容している辞書がまだかなりあります。
1933年に夏目漱石の弟子の久米正雄(1891-1952年)が、東京朝日新聞(朝日新聞の前身)に「沈丁花」という連載小説を掲載、「チンチョウゲ」と読みを振りました。多くの読者から、「ジンチョウゲが正しいのでは?」と疑問が寄せられましたが、久米は「この場合は万葉風に清音にするのがふさわしい」と、訂正に応じません。連載直後に、小説は映画化され、田中絹代主演で大ヒット。読みをめぐる混乱が続くことになりました。
花言葉は「栄光」「永遠」「甘美な思い出」
ジンチョウゲの学名は「Daphne odora」(香りの良いダフネ)で、英語名は「Winter Daphne」(冬のダフネ)。「ダフネ」はギリシャ神話のニンフ=精霊の名前です。太陽神アポロンに追い掛け回され、逃げ続けた末にゲッケイジュに変身します。ダフネ=ゲッケイジュとジンチョウゲとは関わりがありませんが、常緑の葉の形が似ていることから名付けられました。
ジンチョウゲの花言葉は「栄光」と「永遠」。そのほか「甘美な思い出」など。いずれも青々とした常緑の葉と香りの良さからの連想です。
ジンチョウゲ(沈丁花)
学名Daphne odora
英語名Winter Daphne
中国名 瑞香
ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属の常緑低木。中国南部原産。日本には室町時代までに渡来。花期は2~4月。雌雄異株で、日本には雄株のみ。挿し木で増やす。
森乃おと
俳人
広島県福山市出身。野にある草花や歳時記をこよなく愛好する。好きな季節は、緑が育まれる青い梅雨。そして豊かに結実する秋。著書に『草の辞典』『七十二候のゆうるり歳時記手帖』。『絶滅生物図誌』では文章を担当。2020年3月に『たんぽぽの秘密』を刊行。(すべて雷鳥社刊)
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